海水注入が遅れた理由
2011年6月26日 寺岡克哉
福島第1原発の事故では、
メルトダウン(炉心溶融)や、メルトスルー(溶融貫通)が起こり、
「水素爆発」が発生して、放射性物質が大気中にまき散らされ、
汚染の酷(ひど)い地域では、農作物が作れなくなり、
数10年〜100年は、人が住めない場所ができ、
原子炉に穴があいて、大量の「高レベル汚染水」が漏れ出し、
その一部が海に流出して、魚が獲れなくなり、
いま現在も、「高レベル汚染水」が原子炉の外へ漏れつづけ、
暫定基準値以下とはいえ、放射能に汚染された食品を、食べな
ければならなくなり、
つねに、放射能に脅えて暮らさなければならない生活を、多くの
日本国民が強いられています。
このように、
福島第一原発の事故は、「ものすごく深刻な問題」となって
いますが、
事故が発生した、ごく初期のうちに、原子炉へ「海水の注入」
を行っていれば、
上のような「きわめて深刻な事態」を、防ぐことが出来たはず
です。
* * * * *
一体どうして、
福島第1原発の事故では、「海水の注入」が遅れたのでしょう?
それについて、今から3ヶ月ほど前の、
2011年3月19日付け、「ウォール・ストリート・ジャーナル日本語
版」
で、報道されていました。
いま読み返してみると、
福島第1原発事故にたいしての、「過失責任」について、
ものすごく重要な内容が書かれていると思われたので、
ここで紹介したいと思います。
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2011年3月19日付け、ウォール・ストリート・ジャーナル日本語
版より抜粋・・・
福島第1原発の事業者である東京電力(東電)は、少なくとも
地震発生翌日の12日午前という早い段階に、6機の原子炉の
1機を冷却するため、付近の海岸から海水を注入することを検討
した。
しかし、東電がそれを実行に移したのは、施設での爆発発生
に伴い首相が海水注入を命じた後の、同日の夜になってから
だった。
ほかの原子炉では、東電は13日になるまで海水注入を開始
しなかった。
事故対応に携わった複数の関係者によると、東電が海水注入
を渋ったのは、原発施設への同社の長年の投資が無駄になるの
を懸念したためだという。
原子炉を恒久的に稼動不能にしてしまうおそれのある海水は、
今では原発事故対応の柱となっている。
元東電役員で、今回の原発事故対応に加わっている公式諮問
機関、日本原子力安全委員会の尾本彰委員は、東電が海水
注入を「ためらったのは、資産を守ろうとしたため」だとしてい
る。
尾本氏によると、「圧力容器に海水を注入すると、容器が
二度と使えなくなるため、海水注入をためらったのも無理は
ない」という。
ある政府関係者は、「今回の原発災害は、6割方、人災だ。
東電は初期対応を誤った。十円玉を拾おうとして百円玉を
落としてしまったようなものだ」と述べている。
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上のことが、本当だとしたら、
福島第1原発事故には、ものすごく大きな「過失責任」が
存在しています。
資産の保護を優先させて、
近隣住民の、人命、安全、健康を軽視した!
という批判が巻き起こっても、まったく不思議ではありません。
たしかに、今になってみると、
メルトダウンが起こったのは、地震発生から5時間後(3月11
日の20時ころ)なので、
3月12日の午前に、海水を注入したとしても、メルトダウンを
防ぐことは出来なかったでしょう。
しかしながら、
「水素爆発」は、防ぐことが出来たかもしれません!
もしも、「水素爆発」さえ起こらなかったなら、
大気中への放射性物質の放出を、大幅に少なくすることが
でき、
原発の近隣に住む人々は、もっと少ない被曝量で済んだで
しょうし、
農作物への被害も無かったはずですし、
広い範囲の避難も必要なかったでしょうし、
避難指示を受けた人々も、すぐに実家へ戻れるようになった
でしょう。
政府関係者の、誰がコメントしたのか分からないけれど、
「今回の原発災害は、6割方、人災だ」と、言ったのは良い
としても、
「十円玉を拾おうとして百円玉を落としてしまったような
ものだ」
と言ったのは、今から思えば、ずいぶん不謹慎なコメントの
ように感じます。
原発事故の後遺症(放射能の除去や、原子炉の後始末、
被曝者の健康管理など)は、
これから何十年も続いていきます!
(東電は絶対に否定するでしょうが) もしも本当に、
資産の保護を優先させて、海水の注入を遅らせたので
あれば、
その過失責任は、ものすごく大きいと、言わざるをえま
せん!
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