「人間の」生命のソフトウエア

                                2003年1月19日 寺岡克哉


 このエッセイでは、「人間の場合」の生命のソフトウエアについて考えてみたいと思
います。
 前回でお話しましたように、「生命のソフトウエア」とは、肉体である「物質」に働き
かけて、何らかの自発的な行動や活動を起こさせる、「物質ではないもの」でした。
 人間は、高度で複雑な生物なので、生命のソフトウエアも複雑多岐に渡ります。
 これまで、「物質ではない生命」という観点から、精神や意志、意識、理性などと言
ったものを、色々と考察して来ました。しかしこれらはみな、「人間の生命のソフトウ
エア」という観点から見れば、系統的に理解できるのです。

 人間に存在する「生命のソフトウエア」を、単純なものから高度なものへ順を追って
挙げてみると、以下のようになります。
(1)「全ての生物に共通の」生命のソフトウエア。(生命として生きる意志。無意識に
  生命を維持する作用。)
(2)「動物の」生命のソフトウエア。(視覚、聴覚、味覚、触覚などの感覚器官による
  認識。本能的な欲求。単純な自我意識。単純な感情。)
(3)「人間の」生命のソフトウエア。(高度な自我意識、高度な感情、理性的な意識、
  論理的な思考、宇宙や世界に対する高度な概念把握。)
(4)「肉体から分離した」生命のソフトウエア。(人類の集合意識、自我意識の波及
  効果、宗教や思想など。)

 (1)は、生命が自発的に生きようとする意志です。これは、脳を持たない細菌や植
物にも存在しており、全ての生物に存在する「生命のソフトウエア」です。
 人間の場合では、心臓を動かしたり、体温を調節したり、呼吸をしたりなどの、「無
意識に行われる生命維持の機能」です。言葉は変ですが、「意識のないところに存在
する、無意識の生きる意志」と言えるものです。

 (2)は、「動物にも存在する」生命のソフトウエアです。これには、「本能的な欲求」、
「単純な自我意識」、「単純な感情」などがあります。
 これらは、見ることも触ることも出来ません。だから「物質ではないもの」です。そし
てこれらは肉体に作用し、人間に色々な生命活動を行わせます。だからこれらも、
「生命のソフトウエア」と言えるのです。

 「本能的な欲求」とは、食欲や性欲、水分補給の欲求、睡眠の欲求、休息の欲求、
寒さや暑さを避けたいという欲求などです。
 「単純な自我意識」とは、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚などの認識が基になって
いる自我意識で、高度な思考能力の伴わない自我意識です。人間で言えば、3才
児の子供でも持っている自我意識です。「単純な自我意識」には、周囲の人や物に
対する興味や、身の危険を察知するなどの、簡単な判断能力も伴っています。
 「単純な感情」とは、親子の愛情、仲間に対する近親間、異性に対する興味、外敵
に対する恐れや憎悪、その他諸々の喜怒哀楽などです。

 以上の「本能的な欲求」、「単純な自我意識」、「単純な感情」は、人間に備わって
いる「生命のソフトウエア」です。しかしこれらは、動物にも存在しているものです。
だからこのレベルのものは、「人間だけが持つ」生命のソフトウエアとは、まだ言え
ないものです。

 (3)は、「人間だけが持つ」生命のソフトウエアです。これには、高度な自我意識
や理性的な意識、論理的な思考、宇宙や世界に対する高度な概念把握などがあ
ります。
 また、非合理や不条理に対する憤りや不快感。真理、善、美、愛、神などへの欲
求等々の、動物には存在しない「高度な感情」も、このカテゴリーに入ります。
 これらも「物質ではないもの」です。そして人間は、これらの影響を受けて色々な
行動(生命活動)を行います。だからこれらも「生命のソフトウエア」です。
 これらは、大変に高度な「生命のソフトウエア」です。ここに至ってはじめて、人間
だけが持つ、「人間の生命のソフトウエア」と言えるものになります。
 エッセイ8でお話した、「理性的な精神としての生命(ゾーエー)」も、このカテゴ
リーに入ります。

 しかし「人間の生命のソフトウエア」には、エッセイ16でお話した「根源的な苦」や
「無限の欲望」、さらには「自己否定」や「生命の否定」なども存在します。これらは、
「そんなものが存在しないだけ、動物の方が幸福だ!」と、言えるような代物です。
 しかしこれらのものは、「生命の肯定」の原動力や、人類発展の原動力に転化す
ることが可能です(エッセイ16、27、37)。人類は、これらのものが存在するおか
げで、他の動物には及びもつかない進歩と発展が出来たのです。
 ところが人類には、戦争や大量殺戮を実行する意志や、その他諸々の「心の悪」
も存在します。これらも、人間だけに存在する生命のソフトウエアです。しかもこれら
は、人間を動物以下の存在にならしめている「悪いもの」です。
 なぜなら動物は、人間に比べると同種間の殺し合いなど皆無だし、肉食動物であっ
ても、腹が満腹で必要のない時は無駄な殺生をしないからです。
 しかし人間だけは、生命の維持に必要もないのに、同種間で大規模な殺し合いを
するのです。
 このような「悪」は、人間の高度な知的能力のために生じています。その証拠に、
動物には「悪の概念」など存在しません。
 人間の知的能力は地球の生物で最高のものですが、最高のものを悪に使えば
「最悪」になってしまいます。戦争や大量殺戮などの「巨大な悪」は、明らかに、人間
のソフトウエアの「プログラムミス」だと、私は考えます。このようなプログラムミスは、
人類の総力を挙げて是正して行かなければなりません。

 (4)の「人類の集合意識(エッセイ44)」や、人類の集合意識の中で存在し続ける
「自我意識の波及効果(エッセイ45、46)」も、生命のソフトウエアです。これらも「物
質ではないもの」であり、人間の肉体に作用して色々な行動(生命活動)を行わせる
からです。
 しかも驚くべきことに、これらの「生命のソフトウエア」は、人間の肉体から分離して
存在できるのです。
 なぜなら人間は、生命のソフトウエアを、肉体以外のものに記録して残す術をもっ
ているからです。人間は、生命のソフトウエアを、文章に記録して残すことが出来る
のです。(最近では、人物そのものの声や姿でさえも、記録して残せるようになって
います。)
 だから人間の場合は、生命のソフトウエアが肉体から分離して存在できるのです。
つまり人間は、「肉体の死によって消滅しない生命のソフトウエア」を持っているの
です。
 過去の偉人たちの思想や、宗教、道徳、法律なども、人間の行動(生命活動)に
働きかけるものであり、これらも「肉体から分離した生命のソフトウエア」と言えます。

 以上、これまでお話して来ましたように、「人間の生命のソフトウエア」は、人
間を人間足らしめているものです。人間を他の動物から区別し、「人間性」や
「人間らしさ」を人間に与えている、本質のものです。
 しかし「人間の生命のソフトウエア」は、プログラム次第によって、人間を動物
以下の存在にもしてしまいます。

 そして人類は、自らの生命のソフトウエアを、自力で開発する能力を持ってい
ます。

 現代文明は、科学と経済の発展による衣食住や医療の充実、つまり人間の肉体
(ハードウエア)の充実に、エネルギーを注いで来ました。そのため、ソフトウエアの
開発が、おろそかにされて来たような気がします。
 人類全体と地球の生命全体が、より良く幸福に生きられるようなソフトウエア、つま
り「生命を肯定するソフトウエア」を開発し、普及させて行くことが、今後の人類の課
題のように思います。



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