東北地方 太平洋沖地震
2011年3月13日 寺岡克哉
3月11日 午後2時46分。
東北地方の三陸沖を震源とする、「超巨大地震」が発生しま
した!
東北を中心に、北海道から関東の太平洋岸に大きな津波が押し
寄せ、
被害は、ものすごく甚大であり、その全容は、まだ明らかになって
いません。
今回は、
「最新の気候変動予測」の、続きをやるつもりでしたが、
急きょ、予定を変更して、
このたびの「超巨大地震」について、レポートをしたいと思い
ます。
* * * * *
3月11日の午後・・・
北海道の札幌に住んでいる私にも、この地震による揺れが、
感じられました。
札幌の震度は3で、
地震の揺れは、そんなに大きくありませんでしたが、
しかし数分にわたって、ずいぶいん長い時間、揺れが続きま
した。
そして気分がすこし悪くなり、ちょうど「船酔い」に似た感じに
なったのです。
このように、揺れは大きくないけれど、
気持ちが悪いくらい長くつづいた地震を、私は以前にも経験した
ことがありました。
それは、
私が名古屋に住んでいた時に起こった、「阪神・淡路大震災」
です。
だから私は、
「この地震の揺れは大きくないけれど、きっと何処かで、すごく
大きな地震が発生したにちがいない!」
と、すぐに直感で、そのように思いました。
それでテレビを見たら、大地震の報道がされていたわけです。
テレビでは、
気象庁から「大津波警報」が発令されていることが報道され、
一刻も早い避難を、呼びかけていました。
それから、まもなくして、
大きな津波が押し寄せる映像が、私の目に飛び込んできた
のです!
ものすごい勢いで流される、自動車、漁船、そして民家・・・
日本全体で、いったい何人の方々が犠牲になったのか、
まったく想像もつきませんでした。
「被害の全体像」が、明らかになるまでには、
これからまだ、ずいぶん日数がかかるのでしょうが、
今までに亡くなられた方々には、心からご冥福を、お祈りします。
* * * * *
3月11日の午後2時46分に発生した、この超巨大地震は、
気象庁によって、「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖
地震」と、命名されました。
(各種の報道メディアが、勝手にいろいろな名称をつけています
が、混乱の原因になるので、本当にやめてもらいたいと思います。)
震源は、三陸沖(牡鹿半島から東南東へ約30km付近)の、
深さ約24kmの地点です。
マグニチュードは9.0で、国内では観測史上最大、世界でも
観測史上4番目の、「超巨大地震」となりました!
この、マグニチュード9.0が、どれくらい大きな地震かと言うと、
たとえば「阪神・淡路大震災」のマグニチュードは7.3でしたが、
私の計算では、
それに比べて地震のエネルギーが、354.8倍にもなりました。
つまり、
「東北地方 太平洋沖地震」は、「阪神・淡路大震災」に
くらべて、
354.8倍もの、超巨大なエネルギーの地震だといえます!
そのような「超巨大地震」の発生によって、
宮城県の栗原(くりはら)市では、震度7という揺れを観測し、
そのほか、岩手県から関東までの、とても広い範囲において、
震度5強〜震度6強の、非常につよい揺れを観測しました。
また、
午後3時50分には、高さ7.3メートル以上の大津波が、福島
県の相馬市を襲い、
午後3時55分には、高さ約10メートルの大津波が、仙台市の
仙台新港を襲いました。
そのほか、
北海道から関東の太平洋側で、3〜4メートル台の大津波が
観測されています。
さらには、
東北や関東地方で、合計およそ855万戸が停電しました。
鉄道は、東北地方と首都圏の、在来線すべての運転を見合わせ
ることになり、
首都圏では、勤め先などから家に帰ることのできない「帰宅困難
者」があふれました。
* * * * *
そして・・・
亡くなったり、行方不明になった方々は、
時間が経つごとに、どんどん増えており、
一体どこまで増えるのか、まったく見当もつきません。
3月13日の午後6時現在において、
死者が1500人を超え、行方不明が2万人以上になったと
いう報道もされていますが、
これからも、まだまだ犠牲者が増えていく可能性があるのは、
地震の巨大さから考えて、どうしても仕方のないことでしょう。
ほんとうに、大自然がいったん猛威を振るってしまったら、
私たち人間には、まったく為すすべが無いことを、
心の底から思い知らされる、ものすごく甚大な被害です。
そうではありますが、
しかしながら、これから先において、
1人でも多くの方が助かるようにと、心から祈ってやみません。
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