生命のソフトウエア     2003年1月12日 寺岡克哉


 生命には、ハードウエアの部分と、ソフトウエア部分が存在すると、私は考
えています。


 ハードウエアとか、ソフトウエアというのは、コンピューターの概念です。しかしこ
れらの概念を使えば、生命の概念を大変によく表現できるのです。
 しかし「生命の話」をする前に、まずコンピューターの、ハードウエアとソフトウエ
アの概念を整理してみたいと思います。

 コンピューターは大きく分けて、ハードウエアとソフトウエアの二つの部分から成
り立っています。
 それらを一言でいえば、ハードウエアは「物質」で、ソフトウエアは「物質では
ないもの」
です。

 「ハードウエア」とは、コンピューターの本体や、キーボード、ディスプレイ、プリン
ター、スピーカーなどです。また、コンピューターの内部にあるICチップ(集積回
路)や、さまざまな電子部品も、ハードウエアです。
 ハードウエアは、コンピューターの「物質で出来ている部分の全て」を指す概念
です。つまり、コンピューターを構成している全ての物体、コンピューターの見たり
触ったりできる部分の全てが、ハードウエアです。

 一方、「ソフトウエア」とは、プログラムやデータなどの「情報」のことです。
 だから、ソフトウエアは、「物質ではないもの」です。
 ところで「ソフトウエア」と言えば、CD−ROMやハードディスク、古くはフロッピー
ディスクや磁気テープなどを思い浮かべるかも知れません。そして、「ソフトウエア
も物質で出来ているではないか!」と、思われるかも知れません。
 しかし、CD−ROMや磁気テープと言ったものは「記憶媒体」であり、「ソフトウエ
アそのもの」ではないのです。
 CD−ROMや磁気テープなどの「記憶媒体」は、確かに物質で出来ています。
しかしソフトウエアとは、それらの記憶媒体に記憶されている、プログラムやデータ
などの「情報そのもの」のことです。
 だから「ソフトウエアそのもの」は、見ることも触ることもできない、「物質ではない
もの」なのです。

 ところでプログラムやデータでも、画面に表示したり、紙に印刷をすれば、「見るこ
とが出来るではないか!」と、思われるかも知れません。しかしそれは、「情報を文
字で記述したもの」であって、「情報そのもの」ではありません。
 同様な例として、例えば新聞は「情報媒体」ですが、新聞の実際に見たり触ったり
できるのは、紙と、それに書かれた文字です。
 しかし、文章の意味する「内容そのもの」、つまり「情報そのもの」は、見ることも
触ることも出来ません。
 同様に、コンピューターのソフトウエアも「情報そのもの」のことであり、見ることも
触ることも出来ない、「物資ではないもの」なのです。

 コンピューターは、ハードウエアだけでは絶対に成り立ちません。
 ソフトウエアが全く存在しなければ、コンピューターは、キーボードをたたいても何
ひとつ反応しないからです。計算をすることも、画面に絵や文字を表示することも、
音を出すことも、何もできません。
 ところで、コンピューターのスイッチを入れるだけで、キーボードをたたくと文字が
打ち込めるのは、「キーボードをたたいた時は文字を入力せよ!」というソフトウエ
アが、既に動いているからです。
 ソフトウエアが存在しなければ、コンピューターは単なる「物質」です。ただの鉄や
プラスチックの塊です。
 つまりハードウエアという「物質」に対し、ソフトウエアという「物質ではないもの」が
働きかけることによって、コンピューターは「コンピューターとして」機能するのです。

                * * * * *

 「生命」の場合も、コンピューターと全く同じようになっています。生命も、ハードウ
エアとソフトウエアから成り立っているのです。

 「生命のハードウエア」とは、人間で言えば「人体」のことです。
 頭や胴体、手、足、目、鼻、口、耳、皮膚などが、生命のハードウエアです。
 人体を内部から観察した場合は、脳、骨、筋肉、内臓、血管などが、生命のハード
ウエアです。
 人体を微視的に観察した場合は、脳細胞や筋肉細胞などの「細胞」や、さらには
その細胞を構成する、細胞膜、細胞核、ミトコンドリアなどが、生命のハードウエア
です。
 つまり、生命の「物質」で出来ている部分。生命の、見たり触ったり出来る部分の
全てが、生命のハードウエアなのです。

 一方、「生命のソフトウエア」とは、精神や意志などと言ったものです。
 精神や意志は、「物質ではないもの」です。だから、見ることも触ることも出来ませ
ん。これも、コンピューターのソフトウエアと同様です。

 「生命のソフトウエア」のうちでも、いちばん単純なものは、「食物を取りたい!」
とか「繁殖をしたい!」などと言った、ある種の「意志」です。つまり、自発的に生命
活動を行おうとする意志、自分で生きようとする意志です。
 私はこれを、「生命として生きる意志」と呼んでいます。
 「生命として生きる意志」は、脳を持たない、細菌や単細胞生物にさえ存在してい
ます。それどころか、全く移動することが出来ない植物でさえも、「背たけを伸ばした
い!」とか、「花を咲かせて実を結びたい!」と、いうような、「生命として生きる意志」
を持っています。

 ところで、コンピューター制御の自動工作機械などは、それがいくら複雑な構造を
していても、いくら活発に動いていても、いくら大量の製品を生み出しても、それを
「生命」とは言いません。
 自動工作機械には、「自発的に生命活動を行おうとする意志」、つまり「生命として
生きる意志」が存在しないからです。
 だから、「生命として生きる意志」は、「生命の定義」のようなものです。
 そして、この「生命として生きる意志」が、いちばん基本的な「生命のソフトウエア」
なのです。

 「生命のソフトウエア」が存在しなければ、生物は、一切の生命活動を行いません。
 生命のハードウエアという「物質」に、生命のソフトウエアという「物質ではないもの」
が働きかけることにより、生命は「生命として」機能するのです。
 さらに一般化して言えば、「生命のソフトウエア」とは、肉体という物資に働き
かけ、何らかの自発的な行動や活動の動機となる、「物質ではないもの」です。

 だから人間の場合は、食欲や性欲などの本能的な欲求や、精神や意志、思想な
どと言ったものも、「生命のソフトウエア」になって来ます。

 それらについては、次回で考察したいと思います。



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