高齢者虐待について
                          2010年12月5日 寺岡克哉


 厚生労働省のまとめによると、

 2009年度における、高齢者への虐待は1万5691件にのぼり、

 2006年に調査を開始して以来、もっとも多い件数になりました。



 この調査は、

 2006年から施行された、「高齢者虐待防止法」に基づいて始められ
たため、まだ4年間のデータしかありません。

 しかしながら、

 2006年の1万2623件から、4年連続して虐待件数が増加してい
ます。

 つまり高齢者虐待は、一方的に増え続けているのです!



 ところで、

 2009年度の虐待件数、1万5691件のうち、

 家庭内での虐待が1万5615件で、介護施設内での虐待が76件
でした。



 さらに「家庭内での虐待」では、

 被害者の77.3%が女性(つまり、お婆さん)であり、

 一方、それに対して、

 加害者は41.0%が息子で、17.7%が夫、15.2%が娘でした。



 この問題に詳しい専門家は、

 「虐待者の大半を息子や夫が占めている背景には、介護に不慣れ
な男性が、負担に耐え切れないという面もある。」

 「息子であれば親の介護と仕事の両立が困難になり、夫であれば
”老老介護”の負担が積み重なって、虐待という形で表面化している
のではないか。」

 「介護保険制度は、介護する側の事情が考慮されておらず、制度
利用の仕方も含め、介護する側を支援する枠組みが必要だ。」

 と、指摘しています。


              * * * * *


 高齢者虐待・・・

 これから、高齢化が進んでいく日本の社会にとって、どんどん深刻な
問題になるでしょうね。

 私も将来、(もしも早死にしなければ)高齢者の仲間入りをすることに
なりますから、

 この問題が、いずれ自分の身に降りかかってくる可能性があるのは、
おそらく間違いないでしょう。

 今から戦々恐々とする思いです。



 たしかに、高齢者虐待を減らすためには、

 介護制度などの「社会福祉」を充実させることが、まず第一に必要
であり、

 政治課題としても、絶対に取り組まなければならない問題でしょう。



 しかし私は、それとは少し違う視点から、日ごろ思っていることが
あるのです。

 それは、つまり、

 「社会福祉」という、制度的な(目に見える)面ではなく、

 「人の心」とか「社会風潮」というような、目に見えにくい面に
ついてです。


 ここでは、そのことについて、考えてみたいと思います。


            * * * * *


 高齢者虐待にたいして、まず私が肌で感じるのは、

 「心」の問題として、「不寛容」(ふかんよう: 心が狭く、人の過失
を許せないこと)

 というのが、あるのではないかと言うことです。



 そしてまた、

 近年増加している「児童虐待」も、これと同じ心の問題として、

 「不寛容」というのが、共通した原因になっているように思えます。



 つまり高齢者になると、

 同じことを何回言い聞かせても理解できなかったり、

 前に言ったことを直ぐに忘れたり、

 動作が鈍かったり、物をよく壊したり、水などをこぼしたり・・・

 そのようなことが良くあるでしょう。

 それを許すことが出来ず、すごくイライラして、ついつい虐待して
しまうのでは、ないでしょうか。



 そしてこれは、

 子供が、なかなか言うことを聞かなかったり、泣き止まなかったり、

 物を壊したり、寝小便をしたり、水やジュースをこぼしたりした場合
などに、

 それを許すことが出来ず、すごくイライラして、ついつい虐待して
しまうのと、

 まったく同じではないでしょうか。



 このように、高齢者虐待と児童虐待は、

 共通の原因として、不寛容という「心の問題」が、あるように思えるの
です。

 近年のように、少子化で子供が減っているにもかかわらず、児童虐待
が増えている世の中では、

 ただでも増加していく高齢者の場合、まったく当然のごとく、虐待件数
も増えて行くような気がしてなりません。


              * * * * *


 上で話したように、

 近年では「不寛容な人間」が、けっこう増えているのは確かでしょう。



 それは例えば、

 インターネットの匿名性の高い掲示板などで、罵詈雑言が氾濫
しているのを見ても、如実に感じられます。

 もしも、あのような罵詈雑言の嵐が、人々の「隠された本心」ならば、

 周囲には見えないところで、高齢者虐待や児童虐待が行われる
のも、当然のように感じてしまいます。



 しかしなぜ、こんな世の中に、なってしまったのでしょう?



 それには、「社会風潮」というのが関係しているように思えます。

 つまり昨今では、

 「役に立たなくなった人間は、ゴミ箱にでも捨ててしまえ!」
いうか、

 「役に立たない者は、捨てられて当然なのだ!」とでも言うか
のような、

 そのような社会風潮が、往々にして、あるように感じるのです。



 このような風潮の横行が、

 高齢者虐待を助長しているのでは、ないでしょうか?

 そして、これと同じような「社会の目」が、

 失業者やニート、引きこもりの人たちに対しても、同じように向けら
れているのでは、ないでしょうか?



 つまり、なんと言いますか、

 「働けない者は、人間のクズだ!」と、決めつけて憚(はばか)らない
ような、

 そんな暴力的な「社会風潮」を、何となく肌で感じてしまうのです。



 そしてこれは、

 日本の経済が低迷して、終身雇用制が崩壊し、

 リストラが横行して、就職難やワーキングプアが増加したことと、

 密接に関係しているような気がしてなりません。



 つまり「経済の低迷」によって、「社会的なゆとり」が無くなり、

 そのために、人々の「心のゆとり」が無くなって「不寛容」になり、

 高齢者虐待や児童虐待、そして失業者やニート、引きこもりの
人々に対する蔑視などが、

 世の中に横行してきたのでは、ないでしょうか。



 しかしながら現代は、たとえば江戸時代の貧しい農村のように、

 姥捨て、爺捨て、間引き(育てられない子供を殺すこと)をしなければ、

 一家全員が「飢え死に」してしまうほど、追い詰められている訳では
ありません。



 それなのに、

 不寛容が蔓延(はびこ)る世の中、人を大切にしない世の中という
のは、

 やはり、どこか間違っており、ものすごく異常だと思えてなりません。


             * * * * *


 ところで、

 高齢者虐待に関しての、また別の「社会風潮」として、

 「高齢者を食い物にする」というのも、あるように感じます。



 つまり、お金は持っているけれど、

 精神力が弱かったり、判断力が鈍っている「お年寄り」を、

 ターゲット(つまりカモ)にするわけです。



 身近な例では、

 なかなか強く断りきれない高齢者が、訪問販売のターゲットに
されてしまう・・・

 と、言うようなことがあるでしょう。



 また、ひどい場合は、

 認知症の高齢者にたいして、高価な宝石を売りつけたり、

 訳のわからない株式や債券などを、大量に買わせるような、

 そんな深刻な問題も、すでに起こっているみたいです。



 さらには、

 「振り込め詐欺」なども、おもに老人が、ターゲットにされている
でしょう。



 このように、いまの世の中は、

 「敬老の精神」なんか、どこかに吹き飛んで無くなってしまい、

 企業や犯罪者などがこぞって、「高齢者を食い物にしている」と
いう風潮が、

 横行しているように思えてなりません。


             * * * * *



 ところで・・・

 ノイローゼになるほどの、極度の「介護疲れ」に陥(おちい)って、

 高齢者を虐待してしまうことも、恐らくあるでしょう。



 高齢者が、重い認知症になっていたり・・・

 重度の介護が必要だったり・・・

 このような場合は、介護制度などの「社会福祉の力」が、どうしても
必要になります。



 はじめの方で挙げた、2009年度の家庭内における高齢者虐待、
1万5615件のうち、

 被害者の45.7%が、介護の必要な「認知症」の高齢者で、

 被害者の68.6%が、「要介護認定」を受けた高齢者でした。



 なので、

 これから高齢化社会に向かって、介護制度を充実させて行くことは、

 やはり絶対に必要です。



 ところが・・・

 私が高齢者になる頃には、社会福祉が現在よりも充実していれば
良いのですが、

 しかしながら、これから将来、

 「少子高齢化」によって、若い働き手が減る一方なのに、高齢者は
増加していくので、

 もしかしたら、社会福祉によるサービスが、現在よりも低下している
かも知れません。

 このことに関しては、あまり甘い幻想をもたない方が、賢明のように
思えます。



 そのような、社会福祉の不足をカバーするためにも、

 「寛容な心」を大切にして、それを育成したり、

 「働けない人間をゴミ箱に捨てる」とか、「高齢者を食い物にする」
というような社会風潮を是正していくことが、

 これから必要になってくる(と言うよりは、すでに必要になっている)
ように思えるのです。



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