人類の集合意識       2002年12月22日 寺岡克哉


 あなたや私の自我意識は、死ねば永遠に消滅してしまいます。
 しかし、あなたや私の自我意識の「影響力や波及効果」は、「人類の集合
意識」の中で永遠に生き続けます。


 これからしばらくの間は、この「人類の集合意識」について、色々と考察して行き
たいと思います。
 (前回のエッセイ43では「人類の集団意識」と言っていましたが、「集合意識」の
方がより的確な表現だと思いましたので、このように変えることにしました。)

 まずはじめに、これから色々と考察を進めて行くのにあたって、「人類の集合意
識」の定義からお話したいと思います。

 「人類の集合意識」とは、「全人類の自我意識の総体」です。

 「人類の集合意識」を、以上のように定義したいと思います。
 「人類の集合意識」とは、この地球に生きる全ての人間の自我意識を、ひとまと
めにしたものです。
 「人類の集合意識」は、全ての人間の自我意識によって構成されます。
 だから全ての人間の自我意識は、「人類の集合意識」の中に含まれます。
 つまり、個々の人間の自我意識は、「人類の集合意識」の細胞のようなものです。
だれ一人の例外もなく、全ての人間の自我意識は、「人類の集合意識」の一部な
のです。
 以上が、私の考えている「人類の集合意識」というものです。

 ところで、巷にあふれている世論や風潮、流行などは、「人類の集合意識」の一
部です。しかし、「人類の集合意識そのもの」ではありません。
 さらには、世論の中で一番大きな「国際世論」でさえも、人類の集合意識の一部
であり、人類の集合意識そのものではありません。
 私の考えている「人類の集合意識」とは、国際世論に同意する人も、同意しない
人も、それら全ての人の自我意識を含むものです。
 だから、「人類の集合意識」とは、「人類全体の合意」のことではありません
 このように、「人類の集合意識」は、全ての人間の自我意識を含めた概念です。
 ゆえに、人類の集合意識から除外される人間は、だれ一人としていないのです。

 地球に住む全ての人間の自我意識は、必ず何らかの関係で一つにつながっ
ています。

 もちろん、全ての人間の自我意識が直接につながっている訳ではありません。そ
して必ずしも、全ての自我意識が友好的な関係でつながっているのでもありません。
 しかしながら、直接的、間接的、友好的、敵対的、等々の色々な関係で、全ての
人の自我意識は一つにつながっているのです。
 政治、軍事、経済、ジャーナリズム、学術、教育、文学、音楽、芸能、スポーツな
ど、人類の営むあらゆる関係によって、自我意識はつながり合っています。
 だから国や言葉が異なっていても、それらの人々の自我意識はつながっていま
す。
 「人類の集合意識」は、全人類の自我意識が一つにつながり合ったものです。
 だから一人の例外もなく、全ての人間の自我意識は、「人類の集合意識」と必ず
何らかの関係でつながり、影響を及ぼし合っているのです。

 例えば百年前の昔ならば、アフリカやアマゾンの奥地などに、人類の集合意識か
ら切り離された人々がいたかも知れません。しかし現代では、人類の集合意識から
切り離されている人間は皆無といって良いと思います。
 現代では、テレビやラジオ、新聞、書籍、インターネットなどの情報媒体が全人類
的に行き渡っているからです。
 そして、もしもテレビやラジオを持っていない人がいても、人と人とのコミニュケー
ションにより、それらの情報はいずれ行き渡ります。
 このように現代では、地球に住む全ての人間の自我意識が、何らかの関係で「人
類の集合意識」とつながっていると言えます。

 ところで「人類の集合意識」は、最初から人類に存在していた訳ではありま
せん。人類の進歩とともに、「人類の集合意識」というものが次第に形成され
て来たのです。

 例えば1万年ほど前までは、家族や部族などの「小規模な集合意識」は存在して
いましたが、「世界規模の集合意識」など存在していませんでした。
 5千年ほど前になると、メソポタミア、エジプト、インダス、黄河の四大文明が起こ
り、「国家規模の集合意識」が生じました。
 その後、それらの文化圏が次第に大きくなり、お互いに接するようになって、「世界
規模の集合意識」が生じたのです。
 家族、部族、村、都市、小さな国、大帝国、国際連合などの全地球的な組織・・・
と、いうように、「集合意識」は次第に大きくなって来たのです。

 さらに現代では、新聞、テレビ、インターネットなどの普及によって、一般の人々が
世界の情報を知るようになりました。(ほんの百年くらい前までは、世界の情報を知
ることが出来たのは、一部の限られた人たちだけでした。)
 人類が進歩するにつれて、「集合意識」は地球規模へと拡大するばかりでな
く、一般民衆へと深く浸透するようになったのです。

 そして一方、民主主義や選挙制度が発達し、言論の自由が保障され、手紙、電
話、インターネットや電子メールなどの通信手段が発達して来ました。
 つまり、個人の自我意識が、集合意識に対して働きかけが出来るようになっ
て来たのです。

 このように、まだまだ間接的ではあっても、世界中の人間の自我意識が一つにつ
ながるようになって来ました。そして、「人類の集合意識」と言えるものが、だんだん
と形成されて来たのです。

 今後、未来に向かって、個々の人間の自我意識は、さらに緊密につながり合って
行くのだと思います。
 そして、「人類の集合意識」はさらに顕在化し、より確固としたものへと成長して行
くのだと思います。
 人類の歴史を眺めてみると、それが人類進化の進む方向のように思います。

 我々個々の人間には、「人類の集合意識」を直接に認識することが出来ません。
 つまり我々には、自分の自我意識を認識するように、「人類の集合意識」を認識
することが出来ないのです。
 しかしながら、全ての人間の自我意識の総体として、「人類の集合意識」というも
のが、確かに存在すると私は思うのです。
 そして「人類の集合意識」は、人類の進歩とともに今後ますます成長し、さらに確
固としたものへと実在化して行くのだと思います。

 「人類の集合意識」の色々な側面や、「人類の集合意識」と「個人の自我意識」と
の関係について、今後さらに考察を深めて行きたいと考えています。



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