宇宙、物質、生命     2002年11月24日 寺岡克哉


 「宇宙と自分は、同じ一つのものである!」
 「宇宙には”意志”が存在し、その宇宙の意志が”愛”である!」
 「宇宙は、一つの大きな”生命”なのだ!」


 と、いうような考え方があります。これらは一見すると、今までお話してきた「大生
命」の概念をさらに広げた、高次元の生命概念のように思えます。
 私は、このような考え方を、あえて否定はしません。しかしながら、賛同は
致しかねます。

 というのは、余りにも生命の概念を広げすぎると、「実在する生命」から話がどん
どん離れてしまうからです。
 「宇宙は生命である!」と、いう考え方は、「生命の偉大さ」を強調するのには、ス
ケールが壮大で魅力的な話です。しかし、なんでもかんでも話を「宇宙」に持ってい
くと、「生命の具体性」がなくなってしまいます。「実在する生命」から、話がどんどん
遠ざかってしまうのです。

 例えばその一例として、以下のような「唯物論的な生命観」と言えるようなものを、
お話してみたいと思います。
 ・・・この宇宙は、およそ150億年前に起こった、「ビッグバン」と呼ばれる大爆発
によって誕生しました。
 「ビッグバン」は、小さな小さな点から始まりました。直径1ミリよりもずっと小さな
点から、あるとき突然に大爆発が始まったのです。
 だからそのとき、宇宙の全てが同じ一つのもの(空間上の一点に発生した莫大な
エネルギー)でした。
 分子とか、原子とか、素粒子という「物質」さえもまだ形成される前、宇宙の全て
は、一つの小さな、しかし莫大なエネルギーの塊だったのです。
 素粒子、原子、分子などの、宇宙の全ての物質は、その莫大なエネルギーが原料
となって作られました。
 だから物質とエネルギーは、本質的に同じものです。それは、アインシュタインの
相対性理論によって予言され、実験によって証明されています。
 実際に、素粒子を使った実験では、エネルギーから新しく素粒子を作ることが出来
ます。つまり、エネルギーから物質を作ることが出来ます。
 また逆に、物質と反物質を合わせると、物質が消滅してエネルギーに変わってし
まいます。つまり、物質からエネルギーを作り出すことも出来ます。
 このように、物質とエネルギーは、お互いに入れ替わることの出来る、「本質
的に同じもの」です。
 もう少し厳密に言えば、物質はエネルギーの一形態であり、実は物質も、
エネルギーなのです。


 ところで・・・ 私の体は、物質で出来ています。私の脳、筋肉、骨、皮膚といった体
の全ては、結局は、電子と陽子と中性子という素粒子、つまり物質から出来ていま
す。私の体の中には、これ以外のものは何も存在しません。
 そして、物質とはエネルギーのことだから、私の体の全ては、エネルギーで出来て
いると言えます。
 そして驚くことに、「物質とエネルギーは同一である!」との立場から見れば、「私
は150億年前から存在していた!」と言っても、間違いではなくなってしまいます。
 なぜなら、私の体を構成している物質は、150億年前に発生したビッグバンのエ
ネルギーと、本質的に同じものだからです。

 さらには、「私と宇宙全体は、同一のものである!」という主張も、可能になってし
まいます。
 遠く離れた宇宙の果ての物質と、私の体の物質は、同一のものです。それは、本
質的に同一というだけでなく、元々は「本当に同じもの」だったのです。
 ビッグバンが起こった当初は、直径1ミリよりもずっと小さな空間の中に、宇宙の
全てのエネルギーが凝縮されていました。
 私の体よりもずっと小さな一点に、私の体も宇宙の全ても、全く同じもの(エネル
ギー)として、全く同じ場所に存在していたのです。だから150億年前には、宇宙の
全体と私は、全く同一のものでした。
 そして現在・・・ 私の体は、ビッグバンの時に発生したエネルギーと本質的に同じ
ものです。だから現在においても、私と宇宙全体は同一のものなのです。
 宇宙が150億光年もの大きさに広がったとはいえ、その宇宙全体と私は、同一
のものです。逆に、私と同一のもの(エネルギー)が、宇宙全体に広がっていると考
えても差し支えありません。
 「宇宙に実在する全ては、エネルギーである!」という立場から見れば、この宇宙
全体と私は、今も昔も完全に同一のものです。
 つまり、「私」とか「宇宙」とかの区別が存在せず、ただ宇宙全体に拡散したエネル
ギーが、唯一存在するのみです。

 そして私は、永遠に消滅することがありません。
 エネルギーは、絶対に消滅しないからです。エネルギーは、物質、熱、光、運動、
電磁場、重力場など、その存在形態を変えるだけで、エネルギーそのものは絶対に
消滅しません。
 私の体を構成している物質、つまりエネルギーは、色々と姿を変えていきます。しか
しエネルギーそのものは、絶対に消滅しないのです。
 私の体が分子や原子に分解されようと、さらには素粒子に分解されても、また、そ
の素粒子が反粒子(反物質)と遭遇して、物質としては消滅してしまっても、「エネル
ギー的実在としての私」は、絶対に消滅しません。

 このように、「宇宙の全ての実在」をエネルギーに還元した究極の唯物論、
つまり、「唯エネルギー論」では、
 「私は、150億年前から存在していた!」
 「私と宇宙全体は、同一のものである!」
 「私は、絶対に消滅しない!」
 「私は、永遠に輪廻転生をくり返し、色々なものへと生まれ変わっていく!」
 と、言うことが出来ます。そして、この話は「物理学的」に全く正しい記述で
あり、反論の余地がありません。

 しかしながら、「実在する生命としての私」からは、随分とかけ離れた話になってし
まいました。ここに、唯物論の限界が示されています。唯物論では、生命を正しく
記述できないのです。

 また、上記とは別の話として、
・・・ 宇宙には、物質を進化させる作用や、生命を誕生させる作用が存在してい
る!
 その証拠に、宇宙は物質の進化を繰り返しながら、ビッグバンのエネルギーから
素粒子を作り、素粒子から原子を作り、原子から分子を作った。そしてさらには、
たんぱく質などの高分子を作り、ついに生命を作り出したのだ!
 ところで、宇宙が物質を進化させ、生命を誕生させる作用は、宇宙自らが行って
いる「自発的」な作用である。なぜなら、宇宙の外からの働きかけが、一切存在し
ていないからである。
 つまり宇宙には、生命を誕生させようとする、「自発的な意志」が働いて
いる。

 そして生命を誕生させ、生命の存在を肯定する作用や働き、またはその
意志が「愛」であるから、「宇宙には愛が存在している!」と、言えるのだ。
 つまり、宇宙には愛が満ち満ちており、宇宙は一つの大きな生命なのだ!
・・・
 と、このように言われても、反論するのはなかなか難しいと思います。

 私は、以上のような話を受け入れることにより、心の平安が得られ、愛の心を
増大させることが出来るのであれば、それで良いのだと考えます。
 それぞれの人に合った方法で愛の心を増大させ、その愛がさらに周囲に広がっ
て行けば、「生命の肯定」という目的は実現して行くからです。
 私の目的は、生命を肯定し、より良く元気に、いきいきと生きることなのです。そ
のような意味では、「神や仏を信仰すること」も、私は否定しません。

 しかしながら、私は宇宙に愛や生命が満ちているとは、とても思えないのです。
 それが私の正直な心情です。
 なぜなら、実際の宇宙は「死の世界」であり、それが現実だからです。
 宇宙のほとんど全部は、「宇宙空間」で占められます。宇宙には、満天の星が輝
いて見えまが、しかし宇宙に星が存在する割合は、ユーラシア大陸に蜂が3匹とい
う程度です。だから宇宙のほとんどは、「宇宙空間」なのです。
 そして宇宙空間は、真空で水もなく、生物に有害な紫外線や、宇宙放射線が飛
びかっています。だから宇宙空間では、生物は一瞬たりとも生きることが出来ま
せん。
 つまり、宇宙のほとんど全部は、生物の存在を否定している「死の空間」
なのです。

 だから、宇宙全体に愛や生命が満ち満ちているかのような言動は、宇宙の実像
を見ないで、空想的に過ぎると私には思えるのです。

 生物が実際に存在しているのは、地球の生命圏だけです。
 地球の生命を生み育て、生命の存在を肯定しているのは、地球の生態系です。
 「生命の肯定」、つまり「愛」が実在しているのは、地球の生態系においてのみ
なのです。
 「宇宙」に比べると壮大さには欠けますが、やはり「愛」や「生命」の概念は、
生物の存在と、その作用や働きに限定するべきだと思います。その方が、
実在性と客観性が保障された、より確かな概念になるからです。

 私は、「実在する生命」として「大生命」を提唱し、「実在する愛」として「大愛」を
提唱しているのです。



                
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