大雪山での遭難     2009年7月26日 寺岡克哉


 先日、北海道の大雪山系で、大きな遭難事故がありました。


 トムラウシ山(2141m)の近辺で、9人の方が亡くなり、

 また、

 そこから少し離れた美瑛岳(2052m)でも、1人の方が亡くなり
ました。

 両方を合わせると、10人もの方が亡くなった、すごく大型の
遭難事故となりました。



 大雪山系は、北海道の中央部にあり、2000メートル級の山々
が連なっています。

 しかし2000メートル級とは言っても、北海道にあるので、

 気象などの自然条件は、本州の3000メートル級の山々にも匹敵
します。



 ところで、

 私が高校生と大学生だったときは、山岳部に所属していました。

 そして、高校山岳部における夏山合宿では、大雪山系に入るのが通例に
なっていましたし、

 また、大学山岳部のときは、3月の積雪期に、トムラウシ山へ行ったこと
もあります。

 だから私にとって、今回の遭難が起こった山域は、まったく知らない場所
という訳ではありません。



 このような訳で、

 今回の遭難事故については、ちょっと私にも思うことがあると言うか、

 何となく考え込んでしまうのです。


                * * * * *


 遭難が起こった原因については、現在のところ、まだ捜査中なので
しょう。


 予備日(天候が悪化したとき、山小屋に退避して行動しない日)がなく、
日程にムリがなかったか?

 中高年のツアー登山で、参加者の体力や経験に、問題がなかったか?

 防寒着などの装備が、ちゃんとしていたか?

 ガイドの判断や指示が、適切だったか?

 などなど、さまざまな原因が追求されています。



 しかし私は、そのような直接の原因究明という視点ではなく、

 私が日々考えている、「地球温暖化問題」に絡んでというか、

 私の持つイメージとして、どうしても重なってしまう、

 山での遭難と、地球温暖化問題との「共通点」について、

 お話したいと思うのです。


                * * * * *


 じつを言うと私も、

 夏山で暴風雨になったり、冬山で猛吹雪になったりして、

 遭難ギリギリの目に、何回か遭(あ)ったことがあります。



 そのときの体験から、骨身に沁(し)みて、心の底まで思い知らされた
のは、

 大自然が、いったん猛威をふるい始めたら、もう人間の力では、
どうしようも出来ない!


 ということです。



 機会があるごとに、つねづね申し上げていますが、

 そのような体験を通して、

 「大自然への畏敬や畏怖の念」というものが、

 私の心と体に、深く刻み込まれてしまった訳です。



 山での遭難を、事前に避けるためには、

 「大自然の力を、けっして甘く見ない!」と言うことですね。

 それが鉄則であり、基本中の基本です。



 地球温暖化の問題についても、

 「大自然に対する畏敬や畏怖の念」をもち、

 「大自然の力を、けっして甘く見ない!」ということが、

 ものすごく大切だと思っています。



 そしてそれが、

 地球温暖化による、「壊滅的な被害」を避けるための鉄則であり、

 根本中の根本だと、私は確信しています。


                 * * * * *


 ところでまた、

 今回のような遭難が起こる原因として、

 「大自然の都合よりも、人間の都合を優先させる」

 というのも、あるのではないかと思います。



 たとえば、帰りの飛行機の日程がギリギリで、予備日のまったく無い
ような計画だったり、

 あるいは、

 「せっかく、お金を払ってガイドを雇い、ツアーに参加しているのに、
途中で引き返したりするするのは嫌だ!」

 と、言うようなことです。



 これらは、みな、「人間側の都合」です。

 しかしながら「大自然」は、人間の都合などに、合わせてくれる訳が
ありません。

 そこに、「ムリ」が生じるわけです。



 大自然に逆らって、人間の都合をムリに押し通そうとすれば、

 痛手を受けるのは人間の方です。

 なぜなら大自然は、人間の都合など、ぜんぜんお構いなしだし、

 大自然の威力は、人間の力より、ものすごく大きいからです。

 だから人間の方が、大自然の都合に、合わせるしかないのです。



 そしてこれは、

 経済活動と、地球温暖化の関係についても、まったく同じように
言えます。

 なぜなら、「経済活動」というのは「人間の都合」ですし、

 一方、二酸化炭素を増やすと、地球が温暖化するというのは、

 「大自然の都合(自然法則)」だからです。



 大自然の都合が、人間の都合に合わせて、変わる訳がありません。

 だから人間の都合、つまり経済活動を、大自然の都合に合わせる
しかないのです。

 もしも、そうしなければ、

 ものすごく大きな被害を受けてしまうのは、人間の方なのです。


                * * * * *


 さらにまた、山の遭難では、

 防寒着などの装備が不十分な者や、体力の弱い者から、

 まずはじめに犠牲になって行きます。



 一方、地球温暖化も、

 灌漑設備や、インフラ、経済力など、つまり「国の装備」や「国の体力」
が充実している先進国よりも、

 それらの貧弱な「発展地上国」から、まずはじめに犠牲になって行く
のです。


 このことも、山での遭難と、地球温暖化問題とが、似ている所だと
思います。


                * * * * *


 そして・・・

 遭難で亡くなられた方が、二度ともどって来ないように、


 いちど地球温暖化を悪化させてしまったら・・・

 絶滅した生物や、壊滅した生態系は、二度と元にもどりません!


 山での遭難も、地球温暖化も、いちど起こしてしまったら、

 もう絶対に、取り返しがつかないのです。



 最後になりましたが、

 このたびの遭難で亡くなられた方々には、心からご冥福をお祈りします。



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