愛を与えることが幸福の本質である
2002年10月20日 寺岡克哉
エッセイ34でお話しましたように、愛には、求めれば求めるほど失い、与えれば
与えるほど増えるという法則がありました。
ところで、この「愛の法則」をさらに探求して行くと、次のようなことが分かります。
「愛を与えることそのものが、愛と幸福を増大させる本質である!」・・・と。
エッセイ34でお話した「愛の増減法則」を理解すると、始めのうちしばらくは、相
手から愛を与えられることを期待して、相手に愛を与えようとします。ギブアンドテ
イクの精神です。
しかし、その内にだんだんと、「愛の見返りを期待していること」そのものが、愛の
増大を邪魔していることに気がついてきます。
例えば、相手から愛の見返りを期待すると、どれくらいの見返りが期待できるの
かを胸算用してしまいます。そして、「これくらいの見返りしか期待できないのだか
ら、これくらいの愛しか与えないでおこう」などという、打算をしてしまいます。
また、期待したほどの見返りが得られなかったりすると、失望したり、怒りがこみ
上げたりします。「私がこれだけ愛を与えているのに、なぜあなたは、それに見合う
だけの愛を与えてくれないのだ!」という、気持ちになってしまいます。
そして、さらにもっと傲慢になると、「自分が与えた愛よりも、もっと多くの見返りが
あって当然だ!」とか、「別に自分からわざわざ愛を与えなくても、自分は愛されて
当然だ!」などと、思い上がってしまいます。
そうなるともう、「愛を与えることは損だ!」としか、感じられなくなってしまいます。
愛の見返りを求めて愛を与えようとすれば、結局、「愛の貪り」に陥ってしいます。
そして、「愛する心」を失ってしまうのです。
このように、愛の見返りを期待することそのものが、愛の増大を邪魔していること
に気がついて行くのです。
ところでまた、私が自己否定に取り憑かれていた時の経験から、次のようなこと
が分かっています。
「憎むことそのものが、苦しみと不幸である!」・・・と。
自分が、周囲の人間に対して怒りや憎しみを向ければ、それがそのまま自分の苦
しみと不幸なのです。
例えば、自分が周囲の人間に憎しみをぶつければ、それだけで、イライラや不安、
恐れ、焦燥などの不愉快な気分が襲って来ます。つまり、「苦しみ」が生じるのです。
そして、そのような「精神的な苦しみ」が長く続けば、胃腸の調子が悪くなり、よく眠
れなくなって食欲も落ち、体の具合がだんだん悪くなって行きます。
精神的な苦しみは、それだけに止まらず、身体に影響して肉体的な苦痛をも生じ
させるのです。
だから、「憎むこと」それ自体が、精神的な苦悩であり、肉体的な苦痛なのです。
そしてまた、自分が周囲の人間を憎んでいれば、自分も、「周囲の人間から憎まれ
ている!」と、思い込んでしまいます。なぜなら、「自分が相手を憎めば、相手も自分
を憎むに違いない!」というように、理性が判断をしてしまうからです。
なぜ理性がそう判断するのかと言えば、例えば逆に、自分が相手から憎しみをぶ
つけられた場合を考えると分かります。
自分が相手から憎しみをぶつけられれば、自分も相手に対して「なんだこいつは!」
と、いうような、怒りや憎悪の感情が起こります。このような経験を何度も重ねるうち
に、「自分が他人を憎めば、自分も他人から憎まれるはずだ!」と、理性が判断する
ようになるのです。しかしこれは、理性の正常な働きとして当然のことです。
「自分は周囲の人間から憎まれている!」と、思い込んでしまったら、愛を感
じることが出来なくなってしまいます。
それどころか、自分が周囲の人間から愛を与えられたとしても、それこそ、
たとえ「無限の愛」を与えられようとも、自分はその愛に気がつかないどころか、
逆に、「自分は憎まれている!」としか感じることが出来ないのです。
周囲の人間を憎悪したり、世の中を憎んだりすれば、それだけで大変な苦しみと
不幸です。「憎むこと」そのものが、精神的な苦悩であり、肉体的な苦痛であり、大変
に孤独な状態です。
逆に、自分が周囲の人間を愛せば(愛を与えれば)、それがそのまま、自分の喜
びであり、楽しみであり、幸福です。
そして、もしも何かのトラブルで、自分が周囲の人間から多少の怒りを買うことが
あったとしても、自分が周囲の人間を心から愛していれば、苦悩や苦痛、不安、孤独
などは感じません。そしていつかは、信頼を回復し、必ず仲直りが出来るのです。
以上の考察から、自分が周囲の人間に愛されようが憎まれようが、そんなこ
とには関係なく、自分から周囲に愛を与えていくことが、愛と幸福を増大させる
本質であることが分かります。
しかし、人に愛を与える時には、愛の見返りを求めてはなりません。
もちろん、相手が自分に対して愛情を寄せてくれた時には、それを拒絶してはい
けません。そんなことをすれば、エッセイ32でお話した「愛の増幅循環」が途絶えて
しまうからです。そして、せっかくの相手の気持ちも踏みにじってしまいます。
相手から愛の見返りがあった時には、素直に感謝して喜び、慎んでそれを受け
取れば良いのです。
しかし、愛の見返りを始めから求めてはいけないのです。そのようなことをすれ
ば、愛の増大を邪魔してしまい、最悪の場合は愛を失ってしまうからです。
愛は、与えれば与えるほど増えます。
しかしそれは、「自分が相手に愛を与えることにより、自分も相手から愛を与えら
れる」という、ギブアンドテイクの原理が、愛の増大の本質だからではありません。
そうではなく、「愛を与えること」そのものが、愛を増大させる本質だからです。
一見すると矛盾しているように思えますが、「無償の愛」、「見返りを求めない
愛」というのが、愛と幸福を最も増大させる愛なのです。
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