今年のノーベル物理学賞
2008年10月12日 寺岡克哉
今年のノーベル物理学賞は、南部陽一郎さん、益川敏英さん、小林誠さんに
授与されることになりました。
このたび受賞された3人は、素粒子物理学の「理論的な研究」に、大きな貢献
をした方々です。
ところで、むかし私が大学院生だったとき、素粒子物理学の「実験的な研究」
に取り組んでいました。
そんな関係もあって、
南部さんと、益川さんは、私も実際に講義を受けたことがありますし、
そしてまた、益川さんと小林さんは、名古屋大学の先輩でもあります。
このように、私にも少なからず御縁のあった方々なので、今回の受賞は
たいへん嬉しく感じています。
なので今回は、そのことについて、お話したいと思いました。
* * * * *
南部さんは現在、シカゴ大学の名誉教授で、研究者としては益川さんや
小林さんよりも一世代上の方です。
つまり、すでに南部さんが教授になっていたとき、益川さんや小林さんは、
まだ学生でした。
その、南部さんが行った代表的な仕事は、
「なぜ素粒子が質量をもつのか?」 つまり、
「なぜ物質は重さをもつのか?」という疑問に、答えを与える道すじを
つけたことです。
皆さんは、
「どんな物でも、物質ならば質量(重さ)を持つのは当たり前ではないか!」
と、思うかも知れませんね。
しかし、それは物理学的に自明なことではなく、なかなか難しい問題なの
です。
この難問にたいして、南部さんが提唱した「対称性の自発的な破れ」という
物理学的な概念が、回答をあたえる糸口になりました。
その功績が認められて、今回の受賞となったのです。
ところで私が大学院生だったころ、南部さんを名古屋大学へ招いて、特別
講義をして頂いたことがあります。
その南部さんの講義は、まず最初に、
「私(南部)が学生だったころ、先生たちから『君ほど物分かりの悪い学生は
見たことが無い!』と、よく言われていました。」
という話から始まりました。
だから私は、「きっと、すごく分かりやすくて面白い講義をしてくれるに違い
ない!」と、期待に胸をふくらませたのです。
しかし、その私の期待は、ものの見事に裏切られました。というのは、講義
の本題に入って10分もたたないうちに、私の頭では話がチンプンカンプンで、
まったく理解できなくなったからです。
ちょうどそのとき、隣の席で講義を聞いていた教授(私の指導教官)が、
「この講義を聞いている人間の中で、ここまでの話が理解できるのは、理論
を専門に研究している、ごく数人だけだろうなあ」
と、つぶやきました。特別講義なので、学生だけでなく、教官たちも聴講して
いたのです。
もちろん、私の頭が理解できないのと、教授が「理解できない」と言っている
のでは、その内容に雲泥の差があるのでしょう。
しかしながら、それなりの人(プロの科学者)が聞いても、南部さんの講義が
相当に難しかったことは、確かなのだと思います。
南部さんについては、そんな思い出が、今でも私の中に残っています。
* * * * *
一方、益川さんと小林さんは、「小林・益川理論」というのを構築した功績
により、ノーベル賞が授与されました。
小林・益川理論といえば、素粒子物理学の教科書には必ず出てくるほど
有名です。だから私も最初は、教科書によって、お二人の名前を知りました。
ところで「理論の呼び名」では、小林さんの名前が先に来ています。なので
私はずっと、小林さんの方が年上なのだと思い込んでいました。しかし実は、
益川さんの方が5年先輩なのです。
その、小林・益川理論の功績は、
「クォークは少なくても6種類ある」と、予言したことと、
「CP対称性の破れ」という物理現象を説明したことです。
陽子や中性子などの素粒子は、さらに小さな「クォーク」という究極の
素粒子から出来ていますが、
小林・益川理論が発表された当初、そのようなクォークは3種類しか見つ
かっていませんでした。
しかしそんな時代に、「少なくてもクォークがさらに3種類以上あるはずだ!」
と、小林・益川理論は大胆に予言したのです。
そして、その後たしかに、実験によってそれら3種類のクォークが、新たに
見つかったのでした。
つまり、理論による「予言」が見事に的中したわけです。このことにより、
小林・益川理論は、絶大な評価を受けるようになりました。
一方、「CP対称性の破れ」とは、
粒子と反粒子(つまり物質と反物質)をくらべると、
それらが振る舞う様子(粒子の崩壊のしかた)に、
少しばかり違いがある(対称でない)ということです。
その、「わずかな非対称」が原因となり、
ビッグバン(宇宙の始まり)のとき、物質と反物質が同じだけ作られたのに、
「反物質」は消えさり、この宇宙に「物質」だけが残ったのです。
小林・益川理論は、クォークが6種類以上あれば、それらの複雑な混じり
合いのために、「CP対称性の破れ」が起こるとしています。
ちなみに昔は、反物質だけが集まった「反宇宙」というのが存在するはず
だと、考えられた時期もありました。
しかし現在では、そのように考えなくなっていますし、実際の宇宙観測に
よっても、反宇宙の存在は否定されています。
ところで、益川さんを名古屋大学へ招いて、特別講義をして頂いたことが
あります。
やはり私の頭では、ぜんぜん話が理解できなくて、チンプンカンプンで
した。
その講義が終わったあと、私の所属していた研究室の準教授(小林さん
と同期)が、
「益川さんも、ずいぶん偉い先生になられて、何やら分からない難しい話
をするようになった!」
という、感想をもらしていました。なので、理論を専門にやっている人でなけ
れば、やはり難しい内容だったのでしょう。
* * * * *
最後に、このエッセイを書いて、私は思ったのですが・・・
いまの社会では、偽装や不正、汚職などが横行し、
「人の上に立つ者」が尊敬できないどころか、信用さえできない世の中に
なって来ました。
そんな、胸の悪くなるような社会状況のなかで、
南部さん、益川さん、小林さんのような、尊敬できる先達(せんだつ)がいる
ことは、
「人間」というものに対して、もういちど希望を取りもどすことが出来ますし、
すごく痛快でもあります。
このたび、ノーベル物理学賞を受けられた御三方には、心からお祝い申し
上げます。
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