愛の増減法則 2002年10月13日 寺岡克哉
愛は、求めれば求めるほど失い、与えれば与えるほど得られます。
これが愛の増減法則です。
(しかしこの法則が成り立つのは、「人間同士の愛」に限った場合です。神の無限
の愛を人間が一心に求める「神への愛」。または、真理、善、美などを求める愛など
に関しては、この法則が成り立たないことを最初にお断わりします。)
愛の増減法則は、お金や物の増減法則と、全く逆になっています。そのことが、
「愛」を難解なものにしている一つの原因ではないかと、私は考えています。
お金や物は、人から奪えば奪うほど増え、人に与えれば与えるほど減って行きま
す。
しかし「愛」の場合は、これとは全く逆になっています。愛は、人から奪おうとすれ
ばするほど失い、人に与えれば与えるほど増えるのです。
この世の多くの人々が、何とかして愛を得ようと苦心惨憺し、色々な努力をしてい
ます。しかし一向に愛を得られないどころか、返って愛を失っている場合が多々あ
ります。
それは、愛の増減法則と、お金や物の増減法則が逆になっていることに、多くの
人々が全く気がついていないからです。
ところで「愛」には、「求める愛(エロス)」と、「与える愛(アガペ)」があります。しか
し日本語では、これらは同じ「愛する」という言葉でくくられていて、一般に混同され
ています。
しかし愛の増減法則から見ると、これらには大きな違いがあります。なぜなら、愛
は求めれば求めるほど失い、与えれば与えるほど増えるからです。
だから「愛の心」をさらに増大強化し、「生命肯定の道」を進んで行くためには、「求
める愛」と「与える愛」の違いを知る必要があります。
そこで、「求める愛」と「与える愛」の違いを、ここで少し確認してみたいと思いま
す。
「求める愛」とは、例えば、
「私がこんなに愛しているのに、なぜ私を愛してくれないのだ!」と、いうような心
情です。これは典型的な「求める愛」です。
これをもう少し厳密に表現すれば、「私はあなたの愛を求めて渇望しているのに、
なぜ、あなたは私に愛を与えてくれないのだ!」と、言っているのです。
また、
「誰か俺に愛をくれ!」
「私をもっと愛して!」
「他の誰よりも、一番に私を愛して!」
「誰も私を愛してくれない!」
等々の心情も、「求める愛」を表しています。
子供が母親や父親を慕う愛情も、「求める愛」です。
一方、「与える愛」とは、例えば、
「あなたがどんな状況になろうとも、私は決してあなたを嫌いにならないし、絶対
に見捨てたりしない!」と、いうような愛です。
「もしもあなたが・・・ 障害を持って生まれてきても、学校の成績が落ちようとも、
大学受験に失敗しようとも、会社に就職できなくても、リストラをされようとも、破産
しようとも、いちど結婚に失敗していても、不治の病にかかろうとも、手足を失うよう
な大怪我をしようとも、年老いて身動きがとれなくなっても・・・ 私はあなたを決して
嫌いにはならないし、絶対に見捨てはしない!」 というのが、「与える愛」の典型
的なものです。
また、
「あなたが何かで困っていたら、何とかして力になってあげたい!」
「あなたを元気づけてあげたい。」
「あなたが元気で幸せならば、それで私も幸せだ!」
と、いうような心情も、「与える愛」を表しています。
母親の子供に対する愛や、父親の家族に対する愛も、「与える愛」です。
ところで、「与える愛」について、ここで少し注意を促したいと思います。
「与える愛」とは、例えば、「俺はおまえに愛を与えてやっているんだ!」と、いうよ
うな、自分勝手で不遜なものではありません。
「与える愛」とは、相手のことを第一に考える愛です。相手の気持ちや、人格を思
いやる愛です。相手のことを本当に理解しようとする愛です。
反対に、「求める愛」は、本当は自分のことしか考えていません。自分の気持ち
が一番大切で、相手の気持ちや相手の人格は二の次なのです。
例えばストーカー行為なども、「相手を非常に愛している」ことには変わりありませ
ん。しかし相手の気持ちと人格を無視した、このような愛の貪りによって、相手か
ら愛を与えられることなど絶対にありません。
ストーカーは極端な例だとしても、一般的に、自分から愛を貪り取ろうとする人間
に対しては、警戒心や嫌悪感が起こるのは当然です。
また逆に、自分を助けてくれた人、自分に愛や勇気を与えてくれた人、自分をな
ぐさめて元気づけてくれた人・・・ に対しては、安心してその人を信頼し、「自分も
その人の力になりたい!」と思うのが、人間として自然な気持ちです。
だから「愛」は、貪欲に求めれば求めるほど失い、与えれば与えるほど、逆に与え
られて増えるのです。
相手に対して、際限なく、無限に愛を求めてはなりません!
相手の、大変に大きな負担になってしまうからです。そんなことをすれば、確実に
愛は失ってしまいます。
例えば逆に、あなたは、相手に無限の愛を与えることが出来るでしょうか? とて
も出来ないと思います。私もそうです。人間は、それが当たり前です。
無限に愛を与えることが出来る人間など、この世にいるはずがありません。
例えば、釈迦やキリストなどのように、地球全体で千年に一人くらいは、そのような
人物が現れるかも知れません。
しかし釈迦やキリストといえども、歴史上に実在した彼ら、つまり死後に神格化され
る前の人間として実在した彼らには、無限に愛を与えることなど不可能だったと、私
は思います。なぜなら、彼らも「人間」だったからです。
だから自分の身の回りに、無限に愛を与えることが出来る人間など、いるはずが
ないのです。そのような人物を無理に探し求めようとすれば、怪しげな「偽教祖」に
騙されてしまうのがおちです。
相手から、何がなんでも愛情を得ようとなどしないで、むしろ逆に、相手に愛を与え
るように心がければ良いのです。
相手を思いやり、相手の気持ちを理解し、相手の人格を尊重するのです。そうすれ
ば、相手も自然に心を開いてくれます。
相手に好かれようと躍起になり、自分の容姿や性格などを悶々と悩むよりは、相手
のことを心から好きになり、相手のことを理解しようと努めるのです。
相手に対して、優しさや安らぎ、元気、勇気を与えられるような存在に、自分がなっ
ていくのです。そうすれば、相手から信頼と愛情を寄せられるようになります。
「愛の心」を増大強化し、「生命肯定の道」を進むためには、人から愛を貪り
取ろうとしてはなりません。人に愛を与えるようにしなければならないのです。
なぜなら、愛は求めれば求めるほど失い、与えれば与えるほど増えるから
です。それが「愛の増減法則」だからです。
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