自己愛と隣人愛の増幅循環
2002年9月29日 寺岡克哉
「自己肯定の努力」を積み重ねることにより、ある程度の自己愛が持てるよ
うになって来たら、つぎは「隣人愛」に挑戦してほしいと思います。
というのは、自己愛と隣人愛も、お互いに強め合って「増幅循環」をするからです。
この、「自己愛と隣人愛の増幅循環」は、前にお話した自己愛のみの増幅循環(エッ
セイ30参照)よりも強力なものです。
だから「自己愛と隣人愛の増幅循環」を作ることが出来れば、愛の心を飛躍的に
強く大きくすることが出来るのです。
そしてまた、真の「生命の肯定」を目指すためには、自己愛だけに閉じこもってい
たのでは不十分です。真の生命肯定への道を歩むためには、自己愛から隣人愛
へ、さらには生命全体に対する愛へと、愛の心を広げて行くことが必要なのです。
ところで、上記とは逆の、「自己否定と他人否定の増幅循環」も存在します。
(ここでは、他人を憎悪し、他人の存在価値を否定することを、便宜的に「他人否
定」と呼ぶことにします。)
このエッセイでは、まずはじめに、「自己否定と他人否定の増幅循環」について
お話したいと思います。そして次に、「自己愛と隣人愛の増幅循環」との比較を行い
たいと思います。
私がいつもこのような比較を行うのは、自己否定に取り憑かれている人は、「自己
愛と隣人愛の増幅循環」はなかなか理解できないが、「自己否定と他人否定の増幅
循環」は直ぐに理解できると思うからです。
そしてもう一つの理由は、「生命の否定」に落ち込んで行く思考や認識のプロセス
と、「生命の肯定」へ昇って行く思考や認識のプロセスが、大変よく似ていると思うか
らです。
これらのプロセスは原理的に同じで、方向性だけが違うのです。だから、「自己否
定と他人否定の増幅循環」のプロセスを理解すれば、「自己愛と隣人愛の増幅循
環」のプロセスも、頭では理解できるはずです。
後になって、「自己愛と隣人愛の増幅循環」を実感すれば、心の底から納得する
ことが出来ます。しかし最初は、「自己愛と隣人愛の増幅循環」をまず頭で理解しな
ければ、「隣人愛」に取り組もうとする意識も動機も起こらないのです。
以上の理由から、不愉快なことではあるけれども、「自己否定と他人否定の増幅
循環」の考察も必要だと考えています。
この、「自己否定と他人否定の増幅循環」とは、大体次ぎのようなものです。
まず最初に、何かの原因で自分が「自己否定」に陥ったとします。すると、不安や
緊張、イライラ、警戒心などの「嫌な感情」が心の中に生じます。
そうすると、その「嫌な感情」が自分の表情や仕種となって表れ、周囲の人たちに
「嫌な気分」が伝わってしまいます。そして、その「嫌な気分」を感じ取った周囲の人
たちも、不安や緊張をあらわにします。
すると今度は逆に、周囲の人たちの不安や緊張を自分が感じ取ってしまいます。
自分の不安や緊張がさらに増大します。そして、自分に対して不安や緊張を増大さ
せた周囲の人たちを憎みだします。「おまえら一体何なんだ!」という気持ちです。
その増大した憎しみが、またもや周囲の人たちに伝わります。そして周囲の人た
ちから、さらに強い憎しみをぶつけられるのです。
「この人は目つきも顔つきも悪いし、なんか胸くその悪い人間だな」と、周りの人か
ら、そのような視線で見られてしまうのです。
そして、そのような視線を浴びせられた自分は、さらに周囲の人間へ強い憎悪を
ぶつけて行くのです。
また、周りの人から嫌われれば(または、そのように自分が思い込んでしまった
ら)、外に出たり人に合うのが嫌になってしまいます。そして鬱々とした自己否定も、
さらに強化されてしまいます。
負けん気の強い人間は、それでも平然とした強気の態度を示すでしょう。しかし心
の内のストレスは、かなり大きいのではないかと思います。
このように、「自己否定」と「他人否定」は増幅循環をするのです。
同様に、「自己愛」と「隣人愛」も増幅循環をします。
(ここで言う「隣人」とは、家族、友人、学校や会社の仲間、町ですれ違う赤の他人
など、自分の周囲に存在する全ての人を指します。)
この、「自己愛と隣人愛の増幅循環」とは、おおよそ次ぎのようなものです。
まずはじめに、「自己肯定の努力」を積み重ねて行くと、だんだんと自己愛が持て
るようになって行きます。
そうすると、自分の心が安らかになります。漠然とした不安や、ジリジリとする焦
燥、ビクビクとした恐れなどが消え去ります。そして何となく優しい、心安らかな気持
ちになります。体全体が、何となく優しい空気に包まれるのです。
そして、自分がその優しさと安らぎの心を保っていれば、それだけで、その優しい
雰囲気が周囲の人たちに伝わって行きます。
私が自己否定に取り憑かれていた時には、そのことが全く理解できませんでした。
しかし、この「優しさの雰囲気」は、本当に周囲の人たちに伝わるのです。自分
が自己否定に陥っている時のイライラや不安が伝わるのと同じくらいに、「優しさの
雰囲気」も周囲に伝わるのです。
自分の「優しい雰囲気」が周囲の人たちに伝わると、周囲に和やかな空気が流れ
出します。周囲の人たちの緊張がほぐれるのです。そして、自分に対する警戒心を
解いてくれます。
それは、周囲の人たちの表情や仕種となって表れます。それが自分にも伝わって
来ます。そうすると、自分の緊張がどんどんほぐれて行きます。
何となく嬉しくなり、顔がほころんだり、笑みを浮かべたりしてしまいます。それを
見た周囲の人たちも、顔をほころばせ笑みを浮かべます。
やがて、全く見知らぬ人なのに、挨拶やちょっとした会話などが始まることもあり
ます。
このように、「自己愛」と「隣人愛」も増幅循環をするのです。
ある程度の自己愛が持てるようになって来たら、是非とも隣人愛に挑戦して下さ
い。なぜなら、真の「生命肯定」への道は、自己愛から隣人愛へ、さらには生命全
体に対する愛へと続いているからです。
例えば、世俗との一切のつながりを断ち切り、自分ひとりの心の静けさを求める
「世捨て人」のような生き方は、確かに平安な生き方かも知れません。しかしそれ
は、何か生命の法則に背いているような感じがするのです。
やはり生命は、多少のゴタゴタがあったとしても、他の生命とのつながりや関わり
の中で生きていくのが、本当の生き方だと思うのです。
「生命の肯定」と「生命の否定」は表裏一体の関係です。これらは、精神構造の
根本は同じで、思考や認識の方向性が異なるだけです。
だから「生命の否定」に取り憑かれる人は、生命を肯定する能力も潜在的に持
っているのです。そしてまた、本当に深い苦悩に苦しんだ人でなければ、心が救
われる方法など本気になって追求するはずがありません。
「生命の否定」に激しく取り憑かれる人は、「生命の肯定」を深く追求でき
る人なのです。
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