自己肯定の具体的な方法   2002年9月1日 寺岡克哉


 このエッセイでは、自己否定から脱却して自己肯定に至る、私の行った具体的な
方法について、お話してみたいと思います。
 まずはじめに、前回でお話したような、自己否定による「精神的なエネルギーの
鬱積」と「自己抑圧」との悪循環を断ち切らなければなりません。

 「私はだめな人間だ・・・ だめな人間だ・・・ 」
 「何とかして頑張らなければ・・・ 頑張らなければ・・・ 」
 「しかし私には何も出来ない・・・ 」
 「やはり私はだめな人間だ・・・ 」

 というような、堂々巡りの思考を断ち切るのです。
 この堂々巡りの思考を断ち切るためには、風呂に入って「ボケ〜ッ」と何も考えな
いようにしたり、座禅を組んで瞑想し、何も考えないようにするのです。
 とにかく、何も考えないことに意識を集中して、言語による思考の堂々巡り
を強制的に断ち切るのです。


 そうすると言語による思考が消え去り、何か言葉では表すことの出来ない、漠然
とした恐れや不安、焦燥を感じるようになります。
 なんと表現すれば良いのか・・・ なんとなく呼吸が荒くなり、心臓がドキドキして、
胸がしめつけられるような感じです。そして冷汗が「じとーっ」と出てきそうな切迫感
があります。深酒をしたときの、酔い覚めの気分にどこか似ている気がします。
 これが「根源的な苦」です。「根源的な苦」から生じる不安や焦燥には、いくら考
えても具体的な原因が見つかりません。心の底の無意識の場所から、理由もなく
湧き出してくる不安や焦燥です。

 このような「根源的な苦」を感じたら、今度は、「この不安や焦燥は苦しみなど
ではなく、自己肯定のための大切な原動力なのだ!」
と、思い直すのです。
 そして、その不安や焦燥のエネルギーの全てを、一気に、自分を肯定する
ことに集中します。

 まず、「自分で自分を絶対に責めない!」という強い決意をします。そして、
「力の限りを尽くして自分を肯定する
ぞ!という、強い意志を持ちます。
 次に、深呼吸をして、「大生命」と「大愛」の存在を実感します。(地球の大気
に酸素が存在するのは、「大生命」が地球の全ての生物を育もうとする、「大愛」の
働きがあるからです。)
 そして、「自分は大生命に愛され、生きることが赦されている」ということを、
一心に信じます。(しかしこれは、「盲目的な信仰」などではありません。なぜなら、
大生命と大愛は「実在するもの」であり、理性によって認識可能なものだからです。
エッセイ1、18、19、20参照)
 また、自分は生きているだけでも「生命の仕事」を行っているのであり、自分
にも「生命の意義」や「生命の絶対価値」が必ず存在していることを、一心に
信じます。
(エッセイ11、21、22、23参照)
 力の限りを尽くして、「自分はこれでいいのだ! これでいいのだ!」と、思うよ
うにします。「自分は良くやっている!」と、常に思うようにするのです。
 少しでも自分の良いところを、一生懸命に探し出します。(自分の良いところ
のリストを作り、毎日眺めます。)
 何かに成功した時のこと、何かを達成した時のこと、人から賞賛を受けた時のこ
となどを思い出すようにします。(これも、忘れてしまわないようにリストを作り、それ
を毎日眺めると良い。)
 好きな人、好きな食べ物、好きな本、好きな映画、好きな音楽など、何でも自分
の好きなものについて考えるようにします。

 歌を口ずさんだり、鼻歌を歌ったりします。
 やりたいと思ったことは、気楽な気分でやってみるようにします。
 気楽さや気軽さを努めて維持し、深刻に考え込まないようにするのです。

 不安や焦燥を、一瞬たりとも心の中に置かないように注意し、そのように意識を集
中します。少しでも恐れや不安、焦燥などが生じたら、それ以上の気合を入れ
て自分を肯定します。

 しかしこれは、不安や焦燥を抑えつけると言うのではありません。不安や焦燥は
絶対に押さえつけません。むしろ不安や焦燥のエネルギーは、たくさんあればある
ほど良いのです。それは自己肯定のための大切なエネルギーだからです。
 「不安や焦燥のエネルギー」を、「不安や焦燥の抑圧」や「不安や焦燥の増長」に
向けるのではなく、「自己肯定」に向けるのです。
 しかしながら、「自己肯定をしなければならない! しなければならない・・・ 」
というような、切羽詰った思い込みもしないようにします。
 楽しい気分、嬉しい気分、安心の気分、優しい気分を、積極的に、力の限り
を尽くして、一生懸命に追求して行くのです。そのように「不安や焦燥のエネル
ギー」を使うのです。
 そうすると徐々に、不安や焦燥の源だと思われた「根源的な苦」が、何か
良いことでも起こりそうな、ドキドキワクワクする、楽しさと嬉しさを予感させ
るものに感じて来ます。「恋の予感」に大変よく似た感じです。

 「根源的な苦」を自己肯定のエネルギーに転化できると、このように感じることが
出来るようになります。

 以上のような「根源的な苦の転化」は、性欲のエネルギーを、スポーツや芸術、
学術研究、その他の色々な仕事などに向ける「性欲の昇華」と、やり方としては
似ているのではないかと思います。
 「性欲の昇華」は、性欲を抑えつけるのではありません。頭ごなしに性欲を抑え
つけるのではなく、性欲のエネルギーを別な方面に活用するのです。
 「性欲の昇華」が上手に出来た時は、性的な欲求不満のストレスは溜まりませ
ん。性欲のエネルギーがちゃんと消費されているからです。そして非常に充実し
た、心安らかな気持ちになれます。
 性欲のエネルギーを別な方面で活用せずに、頭ごなしに抑えつけると(つまり
抑圧すると)、性欲のエネルギーが鬱積して欲求不満の苦しみは大きくなります。

 「根源的な苦」による不安や焦燥のエネルギーも、ちょうどこれと似ています。不
安や焦燥のエネルギーを抑圧すると、そのエネルギーが鬱積して苦しみが大きく
なります。
 不安や焦燥のエネルギーを自己肯定に消費すれば、苦しみは小さくなって感じ
なくなります。そして上手に自己肯定が出来たときは、充実して心安らかな、大変
に喜ばしい気持ちになれるのです。
 (ちなみに、「性欲」も自己肯定の原動力に転化できます。しかし性欲が起こるこ
と自体が、すでに自己否定からかなり脱却している状態です。自己否定による落
ち込みが激しいと、性欲など起こらないからです。)

 私が試したのは、以上のようなことです。
 「根源的な苦の転化」が一応できるようになるまで、私の場合は1年ほどかかり
ました。しかし、まだまだ完全ではありません。現在も進歩の途中です。これは多
分、何年もかけて徐々に進歩するものなのだと思います。
 例えば「性欲の昇華」も、一足飛びには出来ません。何年もかけて、徐々に出来
るようになって行くのです。この点も両者はよく似ています。

 とにかく、時間をかけてゆっくりと、焦らずに取り組むことが大切です



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