自己否定のエネルギーを自己愛に向ける
2002年8月25日 寺岡克哉
「生命の肯定」は「自己肯定」から始まります。
つまり、全ての愛は「自己愛」から始まるのです。
そして自己愛を持つためには、まず最初に「自己否定」を、やめなければなりませ
ん。そのことは、前のエッセイ17でお話しました。
しかしながら、一言に「自己否定をやめる」といっても、自己否定に取り憑かれて
苦しんでいる人にとっては、なかなか難しいことだと思います。
そして、「自己否定」から脱却する方法やきっかけも、それこそ人によってさまざま
です。全ての人に効果のある万能の特効薬など、存在しないのが実状だと思いま
す。
そんな状況ではあるけれども、何か少しでも皆さんの参考になればとの願いから、
私が自己否定から脱却するために行った方法について、お話したいと思います。
私が「自己否定」から脱却するために行った方法は、「自己否定に向けて
いた精神的なエネルギーを、自己肯定に向ける」というものです。
自己否定に取り憑かれている時は、精神的なエネルギーが自己否定に向いてい
ます。「こんな自分はだめだ! こんな自分はだめだ!・・・」と、精神力の全て
を、自分を責めることに向けてしまうのです。
これは、自分の精神的なエネルギーで、自分を押さえつけている状態です。つま
り、「自己抑圧」に精神的なエネルギーを使っているのです。
このような状態が長く続けば、精神的なエネルギーが鬱積して溜まり、イライラ、
不安、焦り、やり場のない怒り・・・ などが増大してしまいます。
そして、そのやり場のない鬱積したエネルギーを、さらに自分を責めることに向け
てしまうのです。なぜなら、自己否定に強く取り憑かれてしまった人が出来ることと
言えば、自分を責めることだけだからです。
そして、「自己抑圧」をさらに強化してしまいます。自己抑圧が強くなれば、エネル
ギーの鬱積はさらに増加します。そして、その増加した鬱積を、さらに抑圧の強化
へ向けてしまいます・・・。
つまり、「精神的なエネルギーの鬱積」と「自己抑圧」が増幅し合って循環し、「自
己否定の苦しみ」がどんどん大きくなって行くのです。
これは大変に息苦しく、身動きのとれない、がんじがらめの窮屈な状態です。
突然にキレて殺傷事件を起こす事件などは、この自己否定によって鬱積したエ
ネルギーを一気に爆発させているのではないかと、私には思えるのです。
また、DV(夫の妻への暴力)や幼児虐待なども、この自己否定によって鬱積した
エネルギーを、妻や子供にぶつけているのではないかと思います。
また、リストカット(手首を切る自傷行為)は、自己否定によって鬱積したエネル
ギーを、他人への攻撃に向けるのではなく、自分への攻撃(自分の体の破壊)に
向けているのではないかと思います。そしてそれが高じると、最悪の場合は自殺を
決行し、自分の命を自ら滅ぼしてしまうのではないかと思うのです。
(しかし自殺の場合は、上記のような自分への攻撃や制裁と言うよりは、このがん
じがらめの、大変に苦しい状態から一思いに逃れるために、行う場合の方が多い
のではないかと思います。)
ところで、自己否定に取り憑かれると、非常に無気力な状態になります。これは、
鬱積したエネルギーの解放(他人への攻撃や自分への攻撃)を、自らの意志で全て
禁止したため、「鬱積」と「抑圧」との激しいぶつかり合いによって、精神力も体力も
極度に消耗するからではないかと、考えています。
自己否定に陥ると精神が大変に疲れ、体もだるくなって何もやる気が起きなくな
るのは、このためだと思うのです。
ところで、以上に述べたような「自己否定の苦しみ」は、実は「人類の発展
の原動力」であると、私は考えています。
「だめな自分を何とかしなければならない!」と、悩み苦しむのは、人間と
して成長し、進歩しようとする意志の現れだからです。
人間以外の動物には、「自己否定の苦しみ」など存在しません。食べ物が十分に
あり、怪我や病気もなく、外敵の危険が無ければ、安心して寝そべっているだけで
す。
人間だけが、生命を維持するのに何の支障がない状態でも、色々と考え、悩み
苦しむのです。その「苦悩する能力」のお陰で、人類は他の動物には及びもつかな
い進歩と発展が実現できたのだと、私は思うのです。
ところで、「自己否定」に陥っている時には、漠然とした焦りや不安を感じます。これ
は、エッセイ16で述べた「根源的な苦」と同じものであると、私は考えています。
エッセイ16で述べましたが、「根源的な苦」は、「人間の無限の欲望」の原因であ
るとともに、「人類の無限の発展」の原動力でもありました。
自己否定によって鬱積するエネルギーと、無限の欲望のエネルギーと、人類を発
展させるエネルギーは、みな同じ「根源的な苦」から発生していると、私は考えてい
ます。
「自己否定」によって鬱積する精神的なエネルギーが、自分や他人の心を傷つけ
たり、暴力、虐待、殺傷事件、自傷行為、自殺などを引き起こすことがあるのは、
事実だと思います。
しかしながら、この精神的なエネルギーは、人類を発展させる原動力と根本的に
は同じものだと、私は思うのです。
だから、この「自己否定によって鬱積するエネルギー」は、「自己肯定の原
動力」に転化できると、私は推論しました。
そして私が試してみたところ、それは実際に可能でした!
自己否定に向けていた精神的なエネルギーを、自己肯定の原動力として
使うことが可能なのです!
生きることを憎み、自分を憎むことに向けていたエネルギーを、生きることを愛し、
自分を愛することに向けることが可能なのです。
自己否定による、「精神的エネルギーの鬱積」と「自己抑圧」の悪循環を断ち切り、
そのエネルギーを「自己の開放」に向けることが可能なのです。
今回の話で、まず私が主張したかったのは、自己否定に使っていたエネルギーを
自己愛に向けることが、実際に可能であるということです。
まずはじめに、そのことを皆さんに知って頂きたかったのです。その上で、私が
実際に行った具体的な方法を、お話したいと思ったのです。
私の試した具体的な方法については、次回から順を追って述べて行きたいと思い
ます。
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