私一人がやっても・・・    2007年2月25日 寺岡克哉


 地球温暖化は、すべての人類による、地球規模の問題だ!

 だから自分一人が、いくら一生懸命にやったって、どうにもならない!

 このような考え方や、このような感じ方も、地球温暖化の対策を進めるにあたっ
て、すごく大きなマイナス要因だと思います。

 だから私は、このことについて、今までいろいろと考えて来ました。そしてそれは、
これまで書いたエッセイの所々で述べています。

 しかしながら、そのつど断片的に、あちらこちらのエッセイに書き散らしてしまった
ので、一つのまとまった話になっていません。

 それでここでは、少しこのテーマに絞り、今まで考えて来たことをまとめてみたい
と思いました。


                 * * * * *


 地球温暖化の対策は、もちろん、一人だけがやってもどうにもなりません。
 しかし、ひとり一人がやらなければ、絶対にどうにもなりません!

 こう言ってしまえば、それは当たり前のことです。しかし、一応その理由として
今まで書いてきたことを、以下にまとめてみましょう。


 (1)、一人ひとりの行動、一人ひとりの価値観、一人ひとりの生き方が、地球
温暖化の「本質的な原因」
になっている。
 つまり、今までどおりの「大量消費」や「使い捨て」の生活は許されないという、そう
いう「意識」が、ひとり一人に広まって行くことが必要になりました。
 また、「便利さ」を無限に追求することを止めたり、「あくなき経済発展が善なので
ある!」というような価値観も、一人ひとりが変えて行かなければなりません。


 (2)、「民主主義」の制度を採っている多くの国々では、有権者ひとり一人の支持
が得られなければ、政府も議会も動くことが出来ない。


 (3)、国際社会の取り決めや、国の政策が決定したとしても、国民ひとり一人の
協力がなければ温暖化対策はむずかしい。
 それは例えば、京都議定書に同意したにも拘わらず、日本の二酸化炭素排出が
増えていることに現れています。


 (4)、「新エネルギー」や「省エネ技術」の開発と普及には、それらに対する社会
的なニーズが必要。
 つまり、少しぐらい値段が高くても、地球にやさしいエネルギーを使うようにした
り、エコ自動車などの省エネ製品を使おうという「意識の広まり」が、一人ひとりに
求められています。
 そのような人々の増えることが、ひいてはそれらに対する需要が増し、研究開発
の推進にも拍車をかけるのです。
 むかし私は、大学で研究開発に携わった経験がありますが、この「社会的な
ニーズ」というのが全く無ければ、本当に研究意欲(モチベーション)が湧かない
ものです。それは心の底から実感しました。


 (5)、地球温暖化の研究や対策についての、研究者や技術者の育成。あるい
は、自然保護や植林事業を推進するためには、それらに対するステータス(社会
的な地位や身分)を高めることが必要。
 つまり、それらの仕事を「カッコイイ!」と思う人々が増え、それらの仕事につく
人々の生活が保障され、それらの仕事をやろうとする人々が増えて行かなければ
ならないのです。
 (これも、むかしの研究生活の経験から、私は痛いほど実感しています。また、
自然保護活動などをしている方々も、それを強く実感しているのではないでしょ
うか。)
 そのような分野のステータスを高めるためにも、一人ひとりの「意識や価値観
を変える」と言うことが、とても重要かつ必要になっています。


 以上のように、地球温暖化は「人類すべての問題」だけれども、しかしそれだから
こそ、一人ひとりが行動しなければ、そして一人ひとりの価値観や意識が変わらな
ければ、どうにもならない問題なのです。


                   * * * * *


 しかしそれでも、「やはり自分一人がやったってどうにもならない!」という実感は、
ぬぐい切れないかもしれません。

 そこで、次のような話があります。
 これは、南アメリカのアンデス地方に住む原住民、ケチュア族の人々に伝わる
ハチドリの物語です。

 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 あるとき森が燃えていました。

 森の生きものたちは、われ先にと逃げて行きました。

 でもクリキンディという名の、一匹のハチドリだけは、行ったり来たりして、
口ばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは、炎の上に落としていきます。

 動物たちがそれを見て、「そんなことをして、いったい何になるんだ!」
と言って笑います。

 クリキンディはこう答えました。
 「私は、私にできることをしているの」

                      ウェッブサイト 「ハチドリ計画」より一部改変

 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 この話は、いくら絶望的な状況であっても、最後まで自分に出来ることをやるべき
だと諭しているのでしょう。

 たとえ世界の状況がどうであろうと、自分には自分のできることしか出来ないし、
やれることは、それしかないのです。だからそれは、自分にとって「やるべきこと」
なのです。

 私は、このハチドリの話を最近知りました。しかし私の人生において、もうずい
ぶん以前から、「私には、私のできることしか出来ない!」という言葉を、自分
自身に言い聞かせて生きてきました。
 それは昔、大学で研究活動を行っていた時はいつもそうでしたし、そして現在、
このようなエッセイを書き続けている時もいつもそうです。

 だからこのハチドリの話は、私にとって、とても馴染み深くて勇気づけられるもの
でした。


                  * * * * *


 しかし、それでもまだ、
 「自分にできることは出来るかもしれないが、一体それで何になるんだ!」
という気持ちが、ぬぐい切れない人もいるでしょう。

 しかし「地球温暖化」の場合は、上のハチドリの話とすこし状況がちがいます。

 つまりハチドリの話では、動物たちは山火事から逃げることが出来ました。が、
しかし地球温暖化の場合は、逃げる場所がどこにもありません。
 地球温暖化は、すべての人が当事者であり、すべての人が被害を受けるので
す。だからいずれ、すべての人が火事を消すために動かざるをえなくなります。

 そしてまた地球温暖化は、ふつう一般の政治活動や平和運動などとは異なり、
「大自然の強制力」というものが働いています。人間は、絶対それに逆らうこと
ができません。
 人類がいつまでも温暖化ガスを出しつづければ、ただ自然法則的に、どんどん
地球温暖化がひどくなるだけです。それはまるで、高いところから低いところに
水がながれ落ちるように、まったく当たり前のごとく温暖化が進行するのです。
それが自然法則的な強制力です。

 人類は、その力に逆らうことができません。だからいずれ、すべての人類がその
力に屈服し、強制的に温暖化対策をやらざるを得なくなります。それはもう、すで
に決まっていることなのです。

 だから、「自分一人だけ」という状況には絶対になりません!

 深刻さに早く気づいた人々から行動を始め、それがだんだんと増えて行くだけ
なのです。その証拠に、20年前や10年前に比べれば、そのような人々が世界中
でどんどん増えているのが、否定できない現実になっています。

 もうすでに、志(こころざし)を同じくする人々が、日本にも世界にもたくさん
います。

 決して、「自分一人だけ」ではないのです!




                目次にもどる