引きこもり・ニート・少子化 
                                    2007年1月21日 寺岡克哉


 地球温暖化の根本的な原因をつきつめれば、それは結局、「大量生産」「大量
消費」
、そして「人口増加」に行きつくのではないかと思います。

 なぜなら、それらがエネルギー需要の増大をもたらし、ひいては化石燃料の消費
を増加させているからです。
 つまり、大量生産や大量消費をやめ、さらには人口が減少すれば、地球温暖化
は自ずと改善されるわけです。

 しかしながら、それは現代の社会的な価値観にとって、真っ向から対立するもの
でしょう。
 多くの人は、「そんなことは不可能だ!」と考えるでしょうし、そのように心から
実感しているのではないでしょうか。


                  * * * * *


 しかしながら、そのような「とても不可能なこと」を、まさしく身をもって実践している
人たちがいます。

 それが、引きこもりやニート、そして子供を作らない人たちです。

 これらの現象は、高度経済成長を生き抜いてきた人間には、とても不可解に思う
ことでしょう。

 引きこもりやニート、少子化などは、よほどの怠け者。つまり、「社会的な義務を
怠っている」としか、考えられないのではないでしょうか?


                   * * * * *


 しかし私は、それら引きこもりやニート、あるいは少子化などの現象は、地球温暖
化というか「地球の有限性」を本能的に感じ取っている結果、そうなっているのでは
ないかという気がするのです。
 というよりは、私はそれを実感できるレベルまでに確信しています。なぜなら私
自身が、そのように実感しているからです。

 「そんなにアクセク働いてまで二酸化炭素を増やし、地球を滅ぼしてどうする!」
 「これ以上、人口を増やしてどうする!」
という、とても強烈な、心の奥底からの強制的な声がするのです。

 その声に逆らおうとすると、居ても立ってもいられなくなるぐらいの、やりきれない
気持ちにさせる強制力。
 それは例えば、いざ強姦や殺人を決行しようと考えたときに生じるような、心の底
から強く働きかけてくる「深層心理的なストッパー」
です。
 それでも敢えて、その声に逆らおうとするならば、精神や体に不調を来たしてしまう
でしょう。それほどまでに強い強制力です。

 これが昔のことなら、「天の啓示」とか「神の声」とか言われたのかも知れません。


                   * * * * *


 ところで、生産活動に対する意欲がなくなり、子供を作らなくなるという現象は、
べつに現代だけに起こったことではありません。

 森林資源の枯渇から、徐々にエネルギーが不足して行った中世のヨーロッパでも、
まったく同じような現象が起こっていました。当時のエネルギー資源は、薪(まき)が
ほとんどだったのです。

 中世のヨーロッパでは、資源の枯渇を防ぎ、人口を抑制する必要に迫られていま
した。そのような状況では、エネルギーを大量に消費してしまう「生産活動」が否定
され、質素倹約、そして禁欲が、社会的な尊敬を集めていたのでした。

 中世の時代における優秀で尊敬された人々は、社会から隔絶された「修道院」に
引きこもり、質素な生活をし、生涯結婚をせず、祈りと瞑想の日々を送っていたの
です。

 そして、働きすぎることは「害悪」であると考えられていました。
 当時もっとも厳しい労働を課していた、モンテ・カシノの聖ベネディクト修道院でも、
1日の労働時間は6時間ぐらいだったと言われています。

 ここら辺の話は、堺屋太一さんの「知価革命」という本に詳しいので、ちょっと
抜粋してみましょう。

 「土地と資源が限られている環境の中で、一人が勤勉に働けば、他人の割当て
られた土地や資源を食い尽くす恐れがある。特に中世においては重要な意味を
もっていた入会地や森林に入って熱心に樹木を伐採されては大問題だ。みんなが
休んでいる時に、せっせと働くのは、下劣どころか犯罪でさえあり得たのだ。」

 「中世においては、働くべきときに働かないことよりも、働くべきでない時に働く
ことの方が、はるかに重い罪と見なされていた
のである。」


                   * * * * *


 以上の考察と、私が現実に感じている実感から、

 現在の日本や、おもに先進諸国で進行しつつあるニートや少子化は、「個々人
の自由意思」というよりは、「人類が存続するための集団本能的なもの」という
気がしています。



              目次にもどる