「大量消費」という強迫観念
                                  2007年1月14日 寺岡克哉


 地球温暖化の問題は、人類の「大量消費」をどのように抑えるかという問題と、
密接に関係しています。

 つまり、人類が「大量消費」を改めなければ、地球温暖化の改善はむずかしいと
思うのです。

 それは例えば、いくら「省エネ技術」や「新エネルギー」を開発しても、人類のエネ
ルギー需要がそれ以上にどんどん増えれば、やはり二酸化炭素は増加してしまう
でしょう。

 だから地球温暖化の問題は、「技術開発だけでは解決できない!」という面が
どうしても存在します。最近とくに、そのことを強く感じるようになって来ました。

 もう、今までと同じように大量消費をしていたのでは、地球のもたないことが明らか
になったのです。


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 ・・・ 今からおよそ200年前の「産業革命」からのち、人類は、「大量消費の時代」
に入りました。そしてそれが、だんだんと世界中に広がって行きました。

 日本では、太平洋戦争後の高度経済成長のころから、大量消費が爆発的に波及
したのではないかと思います。

 その後およそ60年の月日がたち、現代の日本人は大量消費に慣れ、それが
当たり前になってしまいました。

 そしてついに、いつも大量消費をしていないと「精神的な危機」に陥るまでに、
なってしまったのではないでしょうか?

 何だか私には、そのように感じられるのです。


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 たとえば日本では、毎年2000万トンを超える食糧が、ただ残飯として捨てられ
ています。

 そしてこれは、およそ3000万人の人間が生きて行けるカロリーに相当します。
 つまり日本では、3000万人の人間がまったく働かなくても、残飯をもらえば飢え
死にしないのです。

 しかしそれでも、「つねに働き続けなければ食えない!」という強迫観念に取り
つかれている人が、ほとんどではないでしょうか?


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 なにが何でも、経済発展! 経済発展!

 サービス残業や休日出勤をし、過労死ギリギリになるまで働きつづけ、二酸化
炭素を大量に出す。

 熾烈な競争や、争い・・・

 またその一方で、引きこもりやニート、あるいはリストラや倒産などで少しでも働け
なくなると、とても大きな不安と恐怖を感じます。

 なぜ、このようなことが起こるのでしょう?

 それには、「つねに働き続けなければ食えない!」という強迫観念が、とても大きく
影響しているのではないかと、私には思われるのです。


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 しかし本当に、働き続けなければ「食えない」のでしょうか?

 先ほどお話したように、日本の食糧事情を冷静にみると、そんなことは絶対にあり
ません。

 それならなぜ、「働き続けなければ食えない!」とか、あるいは「働き続けなければ
生きていけない!」などと、とても強く思い込んでしまったのでしょう?

 私が思うには、本当は「働き続けなければ大量消費が出来ない!」というのを、
「働き続けなければ食えない!」という言葉に、すりかえられているのではないで
しょうか。
 そしてさらには、そのすりかえが「生命的な危機」と思い込んでしまうまでに、なっ
てしまったのではないでしょうか。

 それが、「大量消費という強迫観念」の正体ではないかと思うのです。

 そしてこれは、資本主義(企業社会)を支えるための、「社会的な洗脳」によるとこ
ろが大きいかも知れません。だからこの強迫観念は、人々の心の奥底に、深く刻み
こまれていることでしょう。

 しかし地球温暖化を改善するためには、まずそのような「大量消費の強迫観念」
というものを、難しいけれど何とかして払拭しなければならないと思います。



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