温暖化問題と人の心 2006年12月10日 寺岡克哉
これまで、地球温暖化の対策として、以下のことについて見てきました。
1.新エネルギー (エッセイ223〜231)
2.省エネ (エッセイ232〜237)
3.二酸化炭素の処理 (エッセイ238〜249)
そしてこれらは、すべて「技術的な側面」についての話でした。
しかしながら、これら温暖化対策の技術的な面について一通り見終わると、それと
は別の、もうひとつの大きな課題のあることが気になってきます。
つまりそれは、「人の心」の問題です。
もちろん、温暖化対策についての技術的な側面は、とても大切です。もしもそれが
なければ、温暖化の脅威にたいする具体的な対策がとれないでしょう。
そしてまた、間違った対策や、不適切な対策をとってしまわないように、地球環境
や生態系のシステムを、注意深く研究して調べなければなりません。
だから、温暖化問題にたいする技術的な側面というか、科学的な側面は、とても
大切な緊急の課題です。
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しかしながら「人の心」の問題も、やはり本質的なことなので、これを避けて
通るわけには行きません。
それは例えば、
経済発展や物質的な価値観ばかりを求めるのではなく、精神的な価値観を見なお
すこと。
自然の大切さや、かけがえの無さ。あるいは、大自然にたいする畏敬や感謝の念を
もつこと。
人の命や、生きとし生きるものの命。つまり「生命」というものを尊重する気持ちや、
人間を含めた生き物への愛情をもつこと。
と言うようなことです。
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たとえば、経済発展や物質的な価値ばかりを追い求め、大量消費や使い捨ての
生活から脱却できなければ、「省エネ」を進めるのは大変むずかしいでしょう。
そのような生活に慣れてしまい、それが当たり前だと思っている人は、「省エネ」
の話を聞いたり考えたりするだけでも、気分が悪くなり、息の詰まるような閉塞を
感じるのではないでしょうか。
だからそれに変わる、「精神的な価値」を求めることが、どうしても必要になって
くると思います。
それは、人と人との心のふれあいを大切にしたり、文学や芸術に親しんだり、思想
や宗教などに触れることにより、精神的な充実や満足を得るということです。
あるいは、囲碁や将棋、スポーツや音楽、芸能などを楽しむようにするのも良い
かと思います。
そうすれば、エネルギーや物を大量に消費しない「物質的に質素な生活」をしても、
「精神的に豊かな生活」を送ることができるでしょう。
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また、自然の大切さや、かけがえの無さが実感できなければ、地球環境を守ろう
という気持ちが起こらないでしょう。
そして、大自然に対する畏敬や感謝の念を持たなければ、地球温暖化に対して
間違った対策や、不適切な対策をとってしまう恐れがあります。
なぜなら「大自然」というのは、どこまでも人間の好き勝手にしてよい「単なる道具」
ではなく、人間の理解をはるかに超えた、人間には絶対に手の届かない「不可侵の
領域」というのが、かならず存在するからです。
そのことを全く無視して、何でも人間の思ったとおりになると人類が思い上がって
いれば、いつか必ず大自然から、大きなしっぺ返しを食らうでしょう。
だから、温暖化の対策技術についての研究や調査、およびその対策の実行に
あたっては、大自然への畏敬と感謝の念というか、そのような気持ちを決しておろそ
かにしてはならないと思います。
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さらに最近は、いじめや自殺の問題が再びクローズアップされていますが、「生命の
尊重」や「他者にたいする思いやり(愛)」というのも、環境問題に大きく関係してくる
でしょう。
なぜなら、
「自分なんか、いつ死んでもいい!」
「自分さえ良ければ、他人や他の生き物なんか、どうなってもかまわない!」
と、このように思っていれば、地球環境や生態系を守ろうという気持ちなど、絶対に
起こらないからです。
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以上のように、温暖化問題というのは、「人の心」と密接に関係しています。
やはりそれを、まったく無視して通るわけには行きません。
だから、今までとは少し趣向が変わるかもしれませんが、これからしばらくは温暖
化問題に絡んで、「人の心の問題」についても考えて行きたいと思っています。
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