森林によるCO2の固定 1
                                2006年10月22日 寺岡克哉


 さて、これからいよいよ、二酸化炭素の処理として私がいちばん期待してい
る、「森林の育成」について考えて行きたいと思います。

 その最初として今回は、森林による二酸化炭素の固定についての、基本的
な考え方からお話したいと思います。


                  * * * * *


 まずここに、「一本の木」が生えているとしましょう。

 この木は「光合成」によって、二酸化炭素を吸収しています。
 しかしその一方で、「呼吸」により、二酸化炭素の放出もしているのです。

 だから、「光合成による二酸化炭素の吸収」から、「呼吸による二酸化炭素
の放出」を差し引いた分が、「固定される二酸化炭素の量」になります。

 つまり、吸収−放出=固定 です。
 一般に植物は、二酸化炭素の「放出」よりも「吸収」の方が勝っているので、
その分の二酸化炭素が固定されるわけです。

 樹木は、二酸化炭素を固定することにより、枝や葉を伸ばし、背が高くなり、
幹が太くなります。つまりこの木は、自分の体を作っている「有機物」として、
二酸化炭素を固定しているわけです。

 しかし葉や枝の一部は、枯れたり折れたりして下に落ちます。
 そして落ちた枝葉は、昆虫や細菌によって分解され、最終的には二酸化炭素
になります。

 つまり呼吸のほかに、落ちた枝葉も二酸化炭素として放出されるわけです。
もちろん、「木が枯れて倒れた場合」も同じく、最終的にはその木の全部が分解
され、二酸化炭素として放出されます。


                  * * * * *


 ところで、今ここにまた、一本の小さな「若い木」が生えているとしましょう。
 この木は若いので、すくすくと成長して行きます。枝や葉を伸ばし、どんどん
背が高くなり、幹が太くなって行きます。そして、その体が大きくなった分、二酸
化炭素をどんどん固定して行きます。

 しかし、やがてこの木が大人になり、十分に成熟すると成長が止まります。そ
して成長が止まると、もうそれ以上の二酸化炭素は固定されなくなります。

 しかしそれでも、葉っぱでは相変わらず光合成をしています。その光合成を
している分は、一体どうなっているのでしょう?

 それは、「枯れ葉」や「枯れ枝」として失う部分を、補っているのです。あるい
は、繁殖のための「花」や「実」をつけるのに使われます。

 たとえ樹木の高さや、幹の太さが変わらなくなっても、枯れ葉や枯れ枝として
失う部分は、つねに新しく生えさせなければなりません。
 また樹木は、毎年花を咲かせ、実もつけなければなりません。そのため樹木
は、生長が止まっても、つねに光合成を行っているのです。

 そして先ほど話したように、枯れて下に落ちた枝葉は、昆虫や細菌によって
分解され、二酸化炭素になります。
 また、実った果実は動物に食べられ、動物のエネルギー源となり、やがて二酸
化炭素になります。それは、「動物の呼吸」として放出されます。
 このように「成熟した木」では、二酸化炭素の吸収と放出がバランスして、二酸
化炭素の新たな固定はなくなるのです。

 そして最後に、やがて寿命が尽きると、その木は枯れて倒れてしまいます。
 そうすると、それまで自分の体として固定していた二酸化炭素のすべてが、
放出されることになります。

 このように考えてくると、「木」というのは、二酸化炭素を酸素に変える工場で
はなく、一時的に二酸化炭素をたくわえる「貯蔵場所」として機能している
とが分かると思います。

 そしてこれが、植物による二酸化炭素の固定の、基本的な考え方なの
です。



(補足)
 これは植物だけでなく、一般に「生物体(有機物)」として固定されている二酸
化炭素の、すべてについて言えることです。
 その生物が生きている間は、二酸化炭素を固定していますが、死ねば体が
分解され、最終的には二酸化炭素に戻ってしまいます。

 ところで生物の屍骸が、石油や石炭などの「化石燃料」となり、二酸化炭素が
永久に固定されるのではないか? と、思うかも知れません。しかし、その割合
はごくごく僅か(わずか)であり、ほとんどは二酸化炭素に戻ってしまいます。
 化石燃料は、生物の屍骸のほんの僅かだけが、年千万年も何億年もかけて
少しずつ蓄えられて行ったものなのです。


                 * * * * *


 このように見てきますと、

 「どうせ樹木は、いつか枯れて倒れ、結局そのすべてが二酸化炭素にもどっ
てしまう!」
 「だから森林の存在など、二酸化炭素の問題には貢献しないのだ!」


と、思ってしまう人もいるかも知れません。

 たしかに、「一本の木」として見た場合はそうでしょう。
 しかしながら、たくさんの木が生い茂る「森林」として見れば、状況が変わって
きます。
 なぜなら、ある木が倒れても、その後に新しい若木が生えてくるからです。だ
から森林が存在するかぎり、その森林に生えている植物の全体として、二酸化
炭素が貯蔵されることになるのです。

 そのことについては、次回でもう少し詳しく考えたいと思います。



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