「死」は生命否定の根拠ではない
2002年8月4日 寺岡克哉
「死」の存在は、生命の否定が起こる大きな原因の一つです。
全ての生物は、苦しみに耐えて一生懸命に生きています。それなのに、最後には
必ず死ななければなりません。
生命には、このような不条理がどうしても存在します。この不条理が、生命の否定
が起こる原因となるのです。
「どうせいつかは必ず死ぬのに、なぜ苦しみに耐えてまで生きなければならないの
だ!」と、いう思いに取り憑かれてしまうのも無理はありません。
しかし私は、「死にも肯定的な意味合いが存在するのだ!」と、考えています。
もちろん「死」を正当化したり、美化する訳ではありません。
そうではなく、「死」を生命否定の根拠ととらえずに、「生命全体の維持と発展のた
めに必要不可欠なもの」としてとらえたいのです。
そう言える根拠として、「食物連鎖」と「生命進化」の、二つの例を挙げたいと思い
ます。
「食物連鎖」は、地球の生命全体を維持するために、どうしても必要なものです。
なぜなら、食物連鎖を完全に否定すれば、全ての生物が生きられなくなってしまう
からです。
食物になり、死んでくれる生物がいるからこそ、地球の全ての生物が生きられる
のです。食物連鎖による「死」は、生命全体が生きていくために、どうしても必要不
可欠なものなのです。
そして、生命が進化して行くためにも、「生物個体の死」が必要なのです。なぜな
ら、生命が進化するためには常に新しい生命が生まれる必要があるからです。そ
してそのためには、古い世代の死がどうしても必要だからです。
生物個体が永久に死ななければ、すぐに地球上がその生物でいっぱいになって
しまいます。そうなると、新しい生命の生まれる余地がなくなり、生命の進化も不可
能になってしまうのです。
無限に生命進化を続けるためには、無限に新しい生命が生まれる必要がありま
す。そのためには、無限に世代交代を行う必要があり、古い世代の死がどうしても
必要になって来るのです。
地球の生命全体、つまり「大生命」は、「生物個体の死」という戦略を取ることによ
り、「無限に進化する能力」を獲得したのです。
「食物連鎖」と「生命進化」の考察により、「大生命」の維持と発展のためには、「生
物個体の死」がどうしても必要なことが分かります。
前のエッセイ20などで述べましたように、「大生命の意志(大愛)」は、地球の生
命全体の存続と発展を望んでいます。だから「生物個体の死」は、大生命の意志に
適う「生命の仕事」なのです。
(ここで誤解のないように注意しますが、「死」が生命の仕事だとは言っても、まず
生きられるだけ精一杯に生きることが、もっとも大切な生命の仕事であることは言
うまでもありません。)
生きられるだけ精一杯に生きたら、死ぬことも「生命の仕事」なのです。
「生きられるだけ精一杯に生き、死ぬときが来たら死ぬ」というのが、生命にとっ
て最も自然なことだと思います。それが生命の法則であり、生命の摂理です。
もしも、この生命の摂理に逆らって生物個体が永遠に生き続けるならば、それ
は多分、死ぬこと以上の苦しみになると思います。しかもそれは、死ぬことが出来
ないので、永遠に続く無限の苦しみとなります。
食われることによる死・・・。
寿命が尽きることによる死・・・。
これら「生物個体の死」が、生物界に多大な苦しみを与えているのは事実です。
しかし、地球の生命全体が永遠に生き、無限に発展するためには、生物個体の死
がどうしても必要なのです。
しかしながら・・・
「生命全体の永続とか発展などと言ったところで、結局、個々の生命は”苦しみ
と死”でしかないではないか!」
「だからこんな生命など、この地球上に存在すること自体が、そもそも間違いな
のだ!」
「生命など始めから存在しない方が良かった。そうすれば、苦しみも死も存在し
なかったからだ。」
「この地球上から生命など消滅してしまえば良いのだ! そうすれば、苦しみも
死も、この世から完全に無くなるのだ!」
と、このように考えてしまう人もいるかも知れません。私も以前は、よくこのような
考え方に取り憑かれました。
だから心情としては良く分かるのですが、これは生命現象の事実とは異なる、間
違った見方だと思います。
生命現象を冷静に観察すると、「地球の生命全体(大生命)が永遠に生きるため
に、個々の生物の苦しみや死が存在する」と、いうことが見えて来ます。
大生命の意志は、地球の生命全体が永遠に生き、発展することを第一に望んで
います。そして、それを実現するために、個々の生物に色々な苦しみ、そして死が
付加されたのです。
生命全体が永遠に生き、発展するために、個々の生物の苦しみや死が存在する
のであって、個々の生物に苦しみや死が存在するからといって、生命全体の存在
を否定するのは間違いなのです。
なぜそう言えるのかといえば、個々の生物の苦しみと死の下で、大生命が40億
年も生き続けて来たという事実が存在するからです。
これは、個々の生物の苦しみや死よりも、生命全体の存続と発展の方が優先さ
れていることの、疑うことの出来ない証拠です。
なぜなら、個々の生物の全てが、苦しみを避けるために生きることを放棄したな
らば、地球の生命はとっくに消滅していたに違いないからです。
苦しみと死は、生命が永遠に生きようとした結果、生じたものなのです。苦しみや
死は、生命の存続と発展のためにあるのであって、生きることを放棄したり、生命
の存在意義を否定するために、あるのではないのです。
「苦しみ」や「死への恐怖」は、生物個体を可能な限り、生きられるだけ良く生か
すために存在します。
そして「生物個体の死」は、地球の生命全体が永遠に生き、無限に進化し、発展
するために存在するのです。
ゆえに、「苦しみ」や「死」の存在を、生命否定の根拠とするのは間違いな
のです。
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