地球温暖化と人間の欲望
                                   2006年5月21日 寺岡克哉



 人間に欲望がある限り、地球の温暖化は阻止できない!

 人間は、欲望の塊なのだ!

 だから人類は、生活の豊かさや、経済発展(お金)のためならば、平気で
二酸化炭素を出しつづけるだろう。


 「欲望」というものが人間にある限り、温暖化を止めることは、絶対に
不可能なのだ!


 と、このように考えてしまう人は、けっこう多いのではないでしょうか。
 そして事実、私の周りにいる人間と話をしても、掲示板の議論などを見ても、
そのような意見をもつ人が多いように思います。


                 * * * * *


 しかし、また一方で、

 物資やエネルギーの大量消費をやめ、人の心や人情、感性、愛、生命、
大自然などの価値を見なおすこと。


 そして、「物質的」には質素であるけれども、「精神的」には豊かで充実した
人生を送るようにすること。


 物質的な価値観から、精神的な価値観へ・・・

 そのように「人間の心」が変わって初めて、地球温暖化の問題は、ほんとう
に解決することが出来るのだ!


 と、このように考える人もいると思います。
 そして、地球温暖化の本などを読んでも、そのような考えを述べている人が複数
います。私はそれも、たしかに正論だと思うのです。

 ところで、このような視点から見ると、
 「新エネルギーの開発などは、人間の欲望をさらに煽り立てるだけだ!」
 「それは、人類の反省を促さないばかりか、ますます人類を傲慢にしてしまうだ
ろう!」
 というように、考えることも出来るかと思います。じつは私が一時期、そのように
考えていたことがありました。


                 * * * * *


 しかし今の私は、「人間の心は、なかなか変わることが出来ない!」と、思っ
ています。

 というのは、釈迦やキリストが現れて以来、2000年以上もの時間が経つの
に、まだ人類はこんなレベルだからです。

 「生きとし生きるもの、すべてを愛しなさい!」
 「無益な殺生はやめなさい!」
と説いた、釈迦の教え。

 「隣人を愛しなさい!」
 「異邦人でも、差別しないで仲良くしなさい!」
 「さらには、あなたの敵であっても愛しなさい!」
と説いた、キリストの教え。

 そのような教えが広まって2000年以上も経つのに、「人を殺してはいけない!」
ということでさえも、まだ人類全体には浸透していないのです。
 そして、ほんの60年ほど前にも、「第二次世界大戦」という人類史で最大最悪の、
大量殺戮をしでかしてしまいました。
 このような現実を見ると、「人類の心」が変わるには、あと何1000年もかかる
ような気がしてならないのです。

 そして一方、エッセイ218で考察しましたように、人類がこのまま二酸化炭素を
出しつづけたら、あと200年から300年ぐらいで、壊滅的な被害が出てしまい
そう
です。

 私は、そのことに気がついたとき
 「これでは、時間が無さすぎる!」
 「人類の心が変わるのを待っていたら、手遅れになってしまう!」
 「人間の欲望と折り合いをつけて、温暖化を何とか食い止めるには、新エネ
ルギーの開発しかないのだ!」

 と、結論したのです。

 しかも、エッセイ220でお話したように、化石燃料が枯渇している訳ではありま
せん。石炭ならば、いつでも使えるのです。その使えるエネルギー資源を、じっと
指をくわえて我慢しなければならないのです。

 新エネルギーの開発をなくして、はたして人類は、この誘惑に耐えられるでしょ
うか?

 そんなことも考えると、どうしても私は、「新エネルギーの開発しかない!」と思っ
てしまうのです。


                 * * * * *


 しかしながら、やはり「人の心」の問題は、いちばん本質的です!

 この問題を素通りして誤魔化そうとしても、本質的な解決にはならないでしょう。

 たとえば、もしも「地球温暖化の脅威」が本当に理解されれば、人類全体の心が
一つにまとまる可能性も、あるかも知れません。
 それはあたかも、人類が「全面核戦争」を回避してきたようにです。そのような
可能性も、まったくゼロだと言い切れません。

 そこに私は、人類への希望をつなぎ止めたいと思います。

 これから私は、地球温暖化についての色々なテーマに一通り触れたあと、
 「これからの人間の生き方」とか、
 「将来の人類のあり方」
というような「人の心」のテーマに、もういちど取り組んで行きたいと考えています。



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