「大いなるもの」への目覚め 2006年1月8日 寺岡克哉
私は、「大いなるものへの目覚め」というのをテーマにした、小説やコミックス、
ドラマ、映画、アニメなどがたくさん出来てほしいと、心ひそかに望んでいます。
つまり、人間存在の「絶対的な孤独」に陥り、自分の存在価値が分からなくなっ
ている暗闇の状態・・・。
そこから、人々とのふれあいや家族の愛情。あるいは、動物や植物とのふれ
あいや、大自然の恵みなどを通して、「愛」や「生命」というものを知ること。
そしてさらには、この世界を司っている「大いなるもの」の存在に気づき、生きる
ための「希望の光」を見い出すこと。
闇から光へ。
死から生命へ。
絶対的な孤独から、「大いなるもの」による救いへ。
そのようなテーマのものが、もっとたくさん出来てほしいと思うのです。
* * * * *
しかし今の話は、ちょっと分かりにくかったかも知れません。それで今のことを、
もう少し具体的に言い直してみましょう。
つまり、
「友達なんか、一人もいない!」
「親や家族とのまともな会話など、一度もしたことがない!」
「だれも私を理解してくれない!」
「生きる理由や、生きる目的が分からない!」
「私には、生きる意味も、生きる価値も、生きる資格もない!」
「何のために生きているのか、まったく分からない!」
「私は、孤独の暗闇のなかで、たった一人ぼっちだ!」
と、いうような状態から、
人と人とのふれあいや、動物や植物とのふれあい。さらには大自然や大宇宙との
ふれあいを通して、
「大いなるもの」の存在を認識し、それを実感すること。
「大いなるもの」により、「愛」と「生命」が自分に与えられているのを知ること。
「大いなるもの」に、自分が「生かされている」のを理解すること。
そして「生かされている喜び」に満たされ、生かされていることに「無上のありがた
さ」を感じること。
それにより、自分の「存在する意味」がはっきりと分かり、「生きる目的」が明確に
なること。
つまり、
「生きることは素晴らしい!」
「この世界は素晴らしい!」
「この世に生まれてきて良かった!」
「私は、大いなるものに生かされている!」
「私の存在は、大いなるものに望まれている!」
「私は、大いなるものに愛されている!」
「だから私は、今ここに生きて存在しているのだ!」
「だから私は、生きられるかぎり生きなければならないのだ!」
と、心の底から納得し、実感し、そして確信すること。
そのようなことをテーマにした小説やコミックス、ドラマ、映画、アニメなどが、もっと
出来ないものかと私は思うのです。
そうすれば、この閉塞して、鬱陶しくて、生き苦しい世の中が、少しは生きやすく
なるのではないでしょうか?
* * * * *
ところで、「そんなのはテーマが狭すぎて、いろいろな話なんか作れない!」と、
思う人がいるかも知れません。
しかしながら、たとえば「恋愛もの」などは、女性と男性が結ばれるか、あるいは
分かれるか・・・。
また「サスペンスもの」では、あるとき殺人事件が起こり、それが解決する・・・。
たったそれだけのテーマで、何千何万という小説や映画やドラマが、世界中で
作られているのです。
それに比べれば「大いなるものへの目覚め」というテーマは、世界観、自然観、
生命観、人生観、死生観などが複雑に絡み合った、とても多種多様で奥深いテーマ
だと思います。
だから、恋愛ものやサスペンスものと同じていどの数か、それ以上の数の作品が
次々と作り出されても、まったく不思議ではありません。
そしてまた舞台設定も、
人々とのふれあいや、家族のふれあい。
動物や植物とのふれあい。
海、大陸、砂漠、高山、大河、熱帯、極寒地などの、地球の大自然。
そして、この大宇宙。
あるいは、自然科学、芸術、宗教、思想、哲学などの世界。
「神」や「悟り」、大自然の「法則」や「理法」を見い出した人々の人物伝。
さらには、それらの人々をモデルにしたフィクション。
などなど、たくさん考えられるかと思います。
* * * * *
ところが、「そんなテーマでは、だれも面白がらないし、見向きもしない!」と、思う
人もいるかも知れません。
しかしながら、「愛」や「生命」や「大自然」などをテーマにした、手塚治虫や宮崎駿
のアニメなどは、日本のみならず世界的な評価をも受けています。だから、このよう
なテーマが「人々に見向きもされない」ということは絶対にありません。
それなのに、このようなテーマの作品が少ないのは、そのようなテーマを「手がけ
る人」が少ないからだと思います。少なくとも、恋愛やサスペンス、SFやファンタジー
と同じぐらいの数の人々が、そのようなテーマに取り組んでも良いのではないかと
私は思っています。
(ところで、SFやファンタジーを少し変えれば、「大いなるものへの目覚め」という
テーマで結構面白そうなのが出来るかも知れません。)
それならば、こんなことを言っている私自身が、そのようなテーマで小説などを
書けば良いのかも知れません。
しかし私の場合は、分析や論文のような文章はあるていど書けるかも知れませ
んが、ドラマ性を追求できる才能はあまりないと思っています。
しかしそれでも、もしも機会があれば(大いなるものが私に対してそう望めば)、
そのようなことにも挑戦してみたい気がします。
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