クリスマスにあたって    2005年12月25日 寺岡克哉


 今日はクリスマスです。
 クリスマスとは、「キリスト」がお生まれになった日です。
 それで今回は、キリストについて私が思っていることや感じていることを、すこし
お話してみたいと思いました。

                  * * * * *

 じつは私が子供のころ、「イエス・キリスト」の「イエス」が名前で、「キリスト」が名字
だと思っていました。しかし後になって、それが違うと分かりました。
 イエス・キリストの「イエス」は名前で良いのですが、「キリスト」とはヘブライ語の
「メシア」(油をそそがれた者)のギリシャ語訳なのだそうです。これは「神が選んだ
救い主」に与えられる称号で、イエスこそ「キリスト」であるという信仰から、それが
イエスの呼び名になりました。
 だから本来、「キリスト」とは人の名前ではないのです。

 しかしこれは、仏教の場合でも同じようなことが起こっています。
 よく、「釈迦(シャカ)」とか「仏陀(ブッダ)」とか言いますが、シャカとは「シャカ族」
という部族をさす名前で、ブッダとは「目覚めた者」という意味です。だから実は
「シャカ」も「ブッダ」も、人の名前ではないのです。
 歴史的人物としてのその人の名前は、ガウタマ・シッダールタといいます。

 話がすこし外れましたが、なぜか私は「釈迦」と「キリスト」という呼び名がしっくりと
感じますので、そのようにお呼びしている訳なのです。

                   * * * * *

 キリストは、私がとても尊敬している人物の一人です。
 クリスマスは、その人が生まれた日です。
 実にありがたい人が、この世に生まれたものです。

 私たち人類に、このような人が与えられたのは正に奇跡であり、感謝してもしきれ
ません。よくぞ、この世に生まれて来てくれました。
 キリストが、人類の歴史にとても大きな影響を与えたのは疑うことができません。
その証拠に、歴史を記述するために使われる「西暦」は、キリストの生まれた年を
基準にしているのです。

 そして現在、キリストは20億人もの人々の精神を導き、その人たちの心の支えと
なっているのです。

                   * * * * *

 私は、キリストが「死んだ過去の人間」であるような気がまったくしません!

 なぜなら、キリストの「精神」や「心」が今もたしかに生きていて、いつも私に影響を
与えているからです。
 それは、家族や友人などの「現に生きている人間」よりも強く、私に働きかけて
くるのです。だから私は、実際に生きている人間以上に、「キリストは生きている!」
という実感がするのです。

 キリストのことに思いをよせると、キリストの愛に包まれ、キリストの愛に抱かれて
いるような感じがしてきます。
 キリストが私のすぐ頭上にいて、私を優しく包み込み、温かな「愛のまなざし」を
向けてくれているように感じるのです。
 なんとなく優しくて安らかな「雰囲気」に、全身が包まれます。「聖霊に満たされる」
とは、このような感じを言うのかも知れません。

 キリストのことを考えると、胸がキュンとして、頭がジーンとし、手足がジンジンと
感じてきます。心と体の全体に、「愛のエネルギー」がみなぎるのです。
 そして・・・
 すべての人を、すべての生き物を愛したくなります。
 地球の大自然を、大宇宙を、この世のすべてを愛したくなります。
 「生きることは素晴らしい!」
 「この世に生まれてきて良かった!」
と、心の底から思うことができるのです。

 このように、キリストは私を励ましてくれます。
 私に「生きる勇気」を与えてくれます。
 私に「生きる力」を与えてくれます。
 私に「愛のエネルギー」を与えてくれます。
 私に「生きる希望」を与えてくれます。
 キリストは、私に「生命」を与えてくれるのです!

                  * * * * *

 キリストはまた、人類全体にも希望を与えてくれます。
 キリストのような人がいてくれるからこそ、「人類も捨てたもんじゃない!」と思う
ことが出来るからです。
 そして自分が、そのような人物を生み出した人類の一員であることを、嬉しく思え
て来るのです。

 そのような人が生まれた、この日クリスマスを、私は心から祝福したいと思い
ます。



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