心の底で求めているもの 2005年9月18日 寺岡克哉
つねに不安や孤独に苦しめられ、生きることが辛くてたまらない人・・・。
生きる意味や、生きる目的が、まったく分からなくなってしまった人・・・。
生きる希望や、生きる喜びを、すべて失ってしまった人・・・。
世の中のすべてに、わけの分からない焦燥や、怒りや憎しみを感じる人・・・。
このような人は、じつは心の底で無意識的に、「神」を求めているのではない
でしょうか?
そんな感じが、どうしても私はするのです。
もちろんそれは、「無意識的」に求めていることなので、本人は絶対に認めない
と思いますが・・・。
* * * * *
しかし例えば、
自分を、心の底から安心させてくれるもの。
自分のことを、完全に受け入れてくれるもの。
自分の存在を、根底から認めてくれるもの。
つねに自分と一緒にいて、自分を「孤独」から解放してくれるもの。
絶対に信じて、間違いのないもの。
いつも自分を見ていてくれるもの。
いつも自分を包み込み、守ってくれるもの。
自分に「生きる意味」を与えてくれるもの。
自分に「生きる目的」を与えてくれるもの。
自分に「生きる勇気」を与えてくれるもの。
自分に「生きる自信」を与えてくれるもの。
自分に「生きる希望」を与えてくれるもの。
自分に「生きる喜び」を与えてくれるもの。
つねに自分を「無限の愛」で包み込んでくれるもの。
自分の心に、「愛の感情」を起こさせるもの。
生きることを辛く感じている人は、実はそのようなものを、心の底で求めているの
ではないでしょうか?
しかし、このようなものは、もはや「神」しかありません!
もしも、上で挙げたようなものを心の底で求めているのならば、それは「神を求め
ていること」に他ならないのです。
衣食住に満ち足り、生きるには何の支障もない現代社会・・・。
そんな豊かな社会なのに、なぜ、そんなに「生きること」が辛いのでしょう?
それは、上で挙げたようなもの(つまり神)を、喪失してしまったからではないで
しょうか?
現代社会における「生き辛さ」の根本原因は、じつは「神の喪失」にあるように、
私には思えてならないのです。
* * * * *
ところで、生きることに不安や苦しみを抱えながらも「神の存在を否定する人」は、
「神の代わり」を人間に求めていないでしょうか?
自分に「絶対の安心」を与えてくれる人間。
自分のすべてを理解し、自分を完全に受け入れてくれる人間。
自分の存在を、すべて認めてくれる人間。
いつも自分を温かく包み込み、守ってくれる人間・・・。
そのような人間が、喉から手が出るほど欲しいのではないでしょうか?
しかしながら「神の代わり」を、人間(自分の親、パートナー、友人など)に
求めてはなりません!
求められた方の人間の、たいへん大きな負担になってしまうからです。
あなたが、あくまでも「神の代わり」を人間に求めるならば、その人間はあなた
から逃げ出してしまうか、あなたを鬱陶しがったり、あなたを邪険に扱ったりする
でしょう。
逆にあなたは、他人を完全に受け入れ、認め、つねに温かく包み込んであげる
ことが出来るでしょうか?
とても出来ないと思います。もちろん私もそうです。人間ならば、それが当たり前
です。人間は決して、「神の代わり」にはなれないのです。
だから、「神の代わり」を人間に求めてはならないのです。
* * * * *
しかしそうは言っても、「神の存在」を認めることには、かなり抵抗があるのでは
ないでしょうか。
「神を信じるなど、まともな人間じゃない!」という思いもあるでしょう。
そしてまた、多くの「デタラメな宗教」が色々なトラブルを起こし、世間の人々の
警戒心を助長しています。
たしかに、デタラメな宗教に「ハマル」ことには、十分に注意しなければ
なりません!
しかしながら、この「生きにくい世の中」を何とか生き抜くためには、「神の存在」
を知ることも、ある程度は必要だと思うのです。
そして「神の存在」を知るには、なにも宗教団体に所属する必要はありません。
いろいろな本があるので、それらを読めば良いと思います。
(ちなみに、私の神に対する考え方は、エッセイ73からエッセイ83にまとめて
あります。興味のある方は、ぜひ読んでみてください。)
多くの現代人が抱える、不安、孤独、絶望、悲しみ、怒り、憎しみ・・・。
これらの根本原因は、「神の喪失」にあるような気がしてなりません。
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