自己愛を持つためには   2002年6月23日 寺岡克哉


 自己否定から脱却して「自己愛」を持つためには、次の三つの要素が重要であ
ると、私は考えています。
 一つ目は、自分が「何かの存在」に受け入れられていること。
 二つ目は、自分が「何かの存在」から愛されていること。
 三つ目は、自分が「何かの存在」の役に立っていることです。

 まず一つ目の、「自分は受け入れられている!」という実感ができて初めて、
人間は自己否定から脱却し、安心して生きることが出来るようになります。
 なぜなら、人間は常に「何か」に受け入れてもらわないと孤独を感じ、不安で
しょうがなくなるからです。そして、だんだん「自己否定」に取り憑かれるようにな
ってしまうのです。
 例えば、「自分は何からも受け入れてもらえない!」などと、少しでも感じてしまっ
たら、もう大変です。「そんな自分が情けない!」という思いに駆られ、自己嫌悪に
陥って自分自身を憎みだしてしまいます。
 あるいは、「何とかして自分を受け入れてもらいたい!」という強い思いから、自分
の気持ちを押さえつけてまで、周囲に自分を合わせようとしてしまいます。これは、
「本当の自分」を自分自身で押し殺している状態、つまり「自己否定」の状態です。
 だから人間は、「何かの存在」に受け入れてもらわないと、自己否定に陥ってし
まうのです。自己否定から開放され、それから脱却するためには、「自分は受け入
れられている!」と感じることが、まず第一に重要なのです。

 次に二つ目の、「自分は愛されている!」という実感を得て初めて、人間は、自分
を好きになることが出来ます。
 人間は何からも愛されないと、「愛されない自分」に失望し、自己嫌悪に陥って自
分自身を憎みだしてしまいます。
 あるいは、周囲から愛されようと必死になるあまり、「本当の自分」を押し殺して
しまいます。
 または、周囲からの賞賛や尊敬を力づくにでも集めようとし、金や地位、権力など
の獲得に狂奔したりします。そして、返って周囲との摩擦や衝突を激化させ、憎し
みや苦しみを増大させてしまいます。
 やはり人間は、「何かの存在」から常に愛されていないと、「自己否定」に陥って
しまうのです。

 さらに三つ目の、「自分は役に立っている!」という実感ができて初めて、人間は、
自分の存在意義を感じ、自分に自信を持つことが出来ます。
 というのは、人間は社会的な動物だからです。人間は、常に自分が何かの役に
立っていないと不安でしょうがないのです。
 例えば、周囲の人間から「役立たず!」などと言われたり、「自分は何の役にも立
たない」などと思い込んだりすると、そんな自分に失望し、どうしても自己嫌悪や自
己否定に陥ってしまいます。
 「自分の存在」に意義を感じ、自分に自信をもつためには、「自分が何かの役に
立っている」という実感がどうしても必要なのです。

 以上のように、人間が自己否定から脱却して「自己愛」を持つためには、「何かの
存在」に自分が受け入れられ、愛され、自分がその役に立っていることが必要なの
です。
 この「何かの存在」とは、自分が生きるための拠り所であり、自分を支えてくれる
「何か」です。これをエッセイ1で「自己存在の拠り所」と名づけました。
 何を「自己存在の拠り所」にするかは、人によってさまざまです。ある人にとって
は親や家族であったり、ある人にとっては恋人や友人であったりします。
 また、「自己存在の拠り所」が会社や政党などの「組織」の人もいますし、「国家」
の人もいます。あるいは、それが「神」という人もいるわけです。

 前にも述べましたが、この「自己存在の拠り所」が、親や友人などの「人」であった
り、会社などの「組織」だと、とても不安でたまりません。
 なぜなら、人や組織を「自己存在の拠り所」にすれば、いつでも自分が切り捨てら
れる恐れがあるからです。また、死別や会社の倒産などで、「自己存在の拠り所」
そのものを喪失する可能性もあるからです。
 一方、「自己存在の拠り所」を「神」にすれば、盲目的な信仰に陥る危険性があり
ます。
 さらには、「自己存在の拠り所」を会社、国家、神などにした場合、それを金儲け
の道具や戦争の道具に利用されてしまう危険性もあります。

 ところで、少し昔の日本では会社の終身雇用が保証されており、「会社」が「自己
存在の拠り所」として十分に機能していました。「会社」は、自分と家族の一生を保
障してくれる、信頼のおけるものでした。
 しかしバブルの崩壊後、大企業のリストラによって終身雇用制が崩れてしまいま
した。また経済の低迷により、倒産する会社も後を絶ちません。
 リストラや会社の倒産で仕事を失った人の自殺は、食べるためのお金が無くなっ
たからと言うよりは、「会社」という「自己存在の拠り所」を喪失したからだと、私は考
えています。なぜなら、現代の日本では餓死の危機など存在しないからです。

 現代社会における「自己否定の蔓延」は、ひとえに「自己存在の拠り所を喪失した
こと」にその原因があるのではないかと、私は強く感じています。
 これからの時代は、もっと確実で、しかも安心して信頼のできる「自己存在の拠り所」
が、どうしても必要だと思います。そうしないと、自己否定から脱却して「自己愛」を持
つのが、とても難しい世の中になって来たように思います。

 それで私は、「大生命」という生命概念を提唱したいと考えているのです。
 エッセイ1でも述べましたが、「大生命」とは、地球の全生物を含めた生態系
のことです。


 ところで、この「大生命」は、地球に「生命」というものが誕生して以来、40億年も存
在し続けて来ました。そしてまだ当分の間、消滅する気配はありません。
 また、「大生命」から自分が切り捨てられることは、絶対にありえません。「大生命」
は、全ての生物を含めた生命概念だからです。自分が生きている限り、あなたも私も、
既に「大生命」の一部なのです。
 「大生命」は、ほぼ永遠に存在し続けること。
 「大生命」は絶対に自分を切り捨てないこと。
 この二点から、「大生命」は人や会社などより、確実で安定した「自己存在の拠り所」
になり得るのです。
 また「大生命」は、神のように「実在しないもの」ではなく、地球の生態系として「実在
するもの」です。だから「大生命」の認識は、盲目的な信仰に頼る必要がありません。
「大生命」は、正常な理性によって認識可能なものなのです。その点が、「神」を信仰す
るより安全だと言えます。
 また「大生命」は、エコロジーブームなどで多少の金儲けの道具には使われるかも
知れませんが、神や国家などのように、戦争の道具に使われる心配はありません。
「大生命」の生命概念は、人類を含めた全ての生命の「無益な殺生」を否定するから
です。この点も安心できます。

 エッセイ1で多少触れましたが、「大生命」は地球の生物全体で「一つの生命維持
システム」を構成しています。
 だから「大生命」は、生命全体として、「生命」というものが生き続け、存在し続ける
ことを志向します。ゆえに、「大生命」は「無益な殺生」を否定するのです。
 また、個々の生物は、この「大生命の生命維持システム」に組み込まれていなけ
れば、生きることが出来ません。つまり「大生命」に受け入れられているから、個々
の全ての生命は生きられるのです。

 今まで色々な所で断片的には述べているのですが、これから数回のエッセイに
わたり、あなたや私を含めた全ての生物が、
 「大生命」に受け入れられていること。
 「大生命」に愛されていること。
 「大生命」の役に立っていること。
について、すこし詳しく述べて行きたいと思っています。



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