「救い」を得るためには 1  2005年7月10日 寺岡克哉


 前回は、「救い」というものが「リアルな実感」として確かに存在し、それが「とても
素晴らしいもの」であることをお話しました。

 しかし、一体どうやったら、「救い」が得られるのでしょう?

 前回では、それに触れることが出来ませんでした。それで今回は、「救いを得る
方法」について、少しお話したいと思いました。

                 * * * * *

 まずはじめに結論から言いますと、「救いを得るためには、神を信仰するしか
ない」
と、私は思っています。
 なぜなら私は、「神の存在」を心の底から認めてはじめて、「自分は本当に救われ
た!」という実感が得られたからです。

 ところで・・・ 仏教に精通している人は、「空」や「無常」を悟って「ニルヴァーナ
(涅槃の境地)」に達すれば、「神が存在しなくても救いは得られる!」と、考えるかも
知れません。
 しかしながら、空や無常を「宇宙の根本原理」、ニルヴァーナを「生命が求める
真の幸福(生命肯定の完成)」と捉えれば、それらも私の考える「神の概念」に含ま
れてしまいます。

 私の考えている「神の概念」とは、仏教や神道、キリスト教、イスラム教、ヒンズー
教などの、ある特定の一つの宗教に閉じた概念ではなく、もっと広くて普遍的な概念
なのです。

                 * * * * *

 ところで、いきなり「神を信仰しろ!」と言っても、普通の人にはなかなか出来ない
のが当然でしょう。
 そしてまた、「神を信仰するなど、まともな人間のすることではない!」という、心理
的な拒否反応が働くかもしれません。

 だからまず最初に、神の存在を「理性」によって認識する必要があります。
 つまり神は、「論理的に存在しなければならないもの」であることを、まず
はじめに頭で理解し、納得するのです。



 例えば・・・

 この世に「宇宙」が存在するからには、「宇宙」を誕生させ、それを存在させ続け
ている、「何かの原因」があるはずです。

 この宇宙に「地球」が存在するからには、「地球」を誕生させ、それを存在させ
続けている、「何かの原因」があるはすです。

 この地球に「生命」が存在するからには、「生命」を誕生させ、それを存在させ
続けている、「何かの原因」があるはずです。

 そして、地球の生命の一員として「人間」が存在するからには、「人間」を誕生さ
せ、それを存在させ続けている、「何かの原因」が必ずあるはずなのです。


 「何かが存在する」という「結果」が生じたからには、必ずその「原因」があります。
それがどんな原因か分からなくても、「原因そのもの」は、絶対に存在しなければ
なりません。それが「論理」というものです。
 もしも、「原因」が存在せずに「結果」が生じたのであれば、それは「非論理的」で
あること、この上ありません。
 だから、「この世が存在している!」という事実を、論理的に理解するためには、
「この世」を誕生させ、それを存在させ続けている「根本的な原因」が、絶対に必要
なのです。

 その、未知なる「根本的な原因」が神です。
 なぜなら「神」とは、「この世のすべてを、いま在るように在らしめているもの」
として定義されるからです。

 このように神は、まず第一に、それを信仰するしないにかかわらず、「論理
的に存在しなければならないもの」なのです。

 神の存在を否定すれば、「根本的な原因」が存在せずに、この世のすべてが存在
していることになります。ゆえに、この世の存在のすべてが「非論理的」になってしま
うのです。
 だから、理性によって論理的な考え方をする人ならば、「神の存在」を絶対に認め
ざるおえないのです。

                  * * * * *

 ところで私は、「愛とは、存在の肯定である!」と考えています。

 なぜなら、愛する人、愛する家族、愛する国、愛する民族、愛する自然、愛する
地球・・・。これら「愛するもの」はみな、その存在を肯定し、それが存在し続けること
を望むからです。

 その反対に、「憎しみ」は存在の否定です。
 憎い人間、憎い国家、憎い民族・・・。これら「憎いもの」はみな、その存在を否定
し、それが消滅することを望むからです。
 このように、存在の否定が「憎しみ」であることを考えれば、存在の肯定が「愛」で
あることを納得して頂けると思います。

 ところで神は、この世を誕生させ、今も「この世」を存在させ続けています。
 だから神は、この世の存在を肯定し、この世が存在し続けることを望んでいます。
 つまり神は、この世を「愛している」のです。

 「この世」は、いろいろな力や作用や法則や原理が、絶対的、永続的、普遍的に
働いて成り立っています。その、この世を成り立たせている働きのすべてが、
「神の愛」なのです。

 ゆえに神は、絶対で永遠の普遍的な愛で、この世のすべてを愛しているの
です!


 もしも「神の愛」が無かったら、この世は存在しないし、この世は成り立ちません。
 だから「神の愛」も、論理的に存在しなければならないものです。

                  * * * * *

 以上のように、「神の存在」や「神の愛」を論理的に納得せざるおえなくなったら、
いよいよ、「信仰」によって「神を実感」するための準備が整ったのです。


 (申し訳ありませんが、この続きは次回にお話したいと思います。)



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