「救い」とは何か        2005年7月3日 寺岡克哉


 前回でお話しましたように、「本当の救い」は、生きている間にしか存在しません。

 しかしながら、いったい「救い」とは何なのでしょう?

 今回は、この「救い」について、私が思っていることや感じていることを、お話した
いと思います。

                 * * * * *

 「救い」とは、最終的には頭で理解するものでなく、「心で実感するもの」
だと思います。


 だから、「自分は本当に救われた!」という実感をしたことのある人は、「救い」と
いうものが本当に存在することを、なんの疑いもなく心の底から納得しています。
 しかし、そのような実感をしたことのない人には、「救いの存在」などまったく認め
がたく、信じられないことでしょう。
 そしてさらには、「救いの存在など、現実を直視しない、能天気な夢想家のたわご
とだ!」というような、ある種の「腹立たしさ」や「苛立ち」さえ感じるかも知れません。

 しかし「救い」は、リアルな実感として確かに存在します!

 「救いを得た人」は、その素晴らしさを実体験として知っています。だから、多少
おせっかいとも思えるほどに、他者を「救い」に導こうとするのです。

 ところで、これからお話する「救いの実感」は、「感性による実感」をあえて表現し
ようと試みるものです。だから話に根拠がなく、非論理的な文章になってしまうのも
仕方がありません。
 しかしそれを恐れず、私の心と体で感じている「救いの実感」というものを、できる
限りお話してみたいと思います。

                 * * * * *

 「救い」が得られると、いったい自分に、どんなことが起こるのでしょう?
 それを以下に、挙げて行きたいと思います。

 まず第一に、「根源的な安心」が得られます。
 「自分が生きることは、絶対的に認められている!」
 「自分の存在は、根本的に赦されている!」
 「だから自分は、このまま生きていて全く良いのだ!」
というような、根源的で絶対的な「自己存在の確信」を得て、心の底から「安心」
することが出来るのです。

 そして第二に、「根源的な喜び」が得られます。
 「生きることは素晴らしい!」
 「生まれてきて良かった!」
 「この世に自分の存在することが、嬉しくて嬉しくて仕方が無い! そしてその
ことに、涙が出るほどの有りがたさを感じる。」
 というような、「根源的な喜び」が心の底から湧き起こってきます。

 第三に、すべてが「愛しく」感じられます。
 家族や恋人や友人だけでなく、まったく赤の他人や、さらには外国人であって
も・・・ 男も女も、子供も大人も老人も・・・ すべての人が愛しく感じられます。
 そして人だけでなく、犬や猫などの動物や、草や木などの植物など、「地球の
すべての生命」が愛しくて愛しくて仕方がなくなります。
 さらには、山や川や海などの自然。地球や太陽や月、太陽系や銀河系など、
「この宇宙のすべて」がとても愛しく感じられるのです。

 第四に、「大いなる存在」との一体感が得られます。
 この宇宙が出来るはるか以前の、無限の過去から永遠に存在し、ビッグバンに
よって「この宇宙」を誕生させたもの。
 この宇宙を存在させている根本の原理。
 宇宙万物をつかさどる、普遍的な自然法則。
 宇宙のすべてを、いま在るように在らしめているもの。
 太陽や地球を作りだし、そして地球上に生命や人類を誕生させたもの。
 宇宙全体を包み込んでいる、絶対で永遠の普遍的な愛。

 そのような、絶対で永遠に不滅の「大いなる存在」に、自分が抱かれ、守られて
いるような感じがします。
 そして、何か「暖かい空気」や「愛の波動」に、自分の全身が包み込まれるような
感じがします。
 さらには、そのような「大いなる存在」と、自分の身も心もすべてが溶け合い、
完全に一つになってしまうような「一体感」が得られるのです。

 第五に、「永遠の生命」が得られます。
 なぜなら、永遠に不滅の「大いなる存在」と、自己が完全に一体化すれば、自分は
死ななくなるからです。
 つまり、死ねば消滅してしまうような「自我意識」や「肉体」は、自分の生命の
本質(本体)ではなくなるのです。そしてそれに代わり、永遠に不滅の「大いなる
存在」、つまり「永遠の生命」が、自分の生命の「本体」になるのです。

 ところで、いくら「永遠の生命を得た人」であっても、もちろん死ぬときは死にま
す。そして死ねば、自我意識と肉体は消滅します。しかしながら、その人の「生命
の本体」は、永遠に消滅しないのです。
 「永遠の生命」を得た人の「生命の本体」には、死によってキズ一本つけること
さえ出来ません。
 救いを得た人は、そのことを「生きている間」に、リアルな実感として確信している
のです。

                  * * * * *

 以上のように「救いを得た人」は、自己の存在に確信をもち、生きる喜びに満ち、
全てのものを愛し、大いなる存在と一体になり、永遠の生命を得ます。

 このような「救いの実感」は、それを経験したことのない人には、意味不明の話と
しか思えないでしょう。それは当然です。以前の私もそうでした。

 しかし、このような「救いの実感」は、たしかに実在するのです!

 もしもそうでなければ、「宗教」というものが、人類社会に何千年も存在しつづける
訳がありません。だから「救いの実感」が実在することは、すでに大昔から、多くの
人々によって証明されているのです。
 つまり「人間の脳」というものは、「救いを感じる能力」を潜在的に持っているという
ことなのでしょう。

 私は、生きることを辛く感じている人の一人でも多くが、「救いの実感」を得られる
ようにと願ってやみません。



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