生命は永遠か? 2005年6月5日 寺岡克哉
私は、「大生命の木」を「自分の生命の本体」にすることにより、私が死んでも、
「私の生命の本体は消滅しない!」という確信を強めることができました。そして
それを、エッセイ168〜171に渡ってお話してきました。
しかしさらには、そうすることによって、自分の生命が死によって消滅しないだけ
でなく、自分の生命を「永遠で不滅のもの」にすることさえも出来そうです。
なぜなら、もしも「大生命の木」が永遠で不滅ならば、それを「自分の生命
の本体」にすることにより、自分の生命も「永遠で不滅」になるからです。
今回は、そのことについて考えてみたいと思います。
* * * * *
ところで・・・ 「大生命の木」は、本当に永遠で不滅でしょうか?
もしかしたら、大生命の木も、いつしか枯れてしまう時が来るのではないでしょ
うか?
つまり「地球の生命」は、いつか滅亡するときが、来てしまうのではないでしょ
うか?
残念ながら、その可能性は完全に否定できません。
なぜなら、たとえば人類による、地球環境の壊滅的な破壊や、全面核戦争・・・。
あるいは、巨大隕石の衝突などの、全地球規模の大異変・・・。
そのようなことで、「地球の生命」が滅亡してしまうかも知れないからです。
しかし幸いにも、そのような悲劇がまったく起こらなかったとしましょう。ところが
それでも、あと50億年もすれば、「太陽」が燃えつきてしまうのです。
太陽は燃えつきる前に、現在の何百倍もの大きさに膨張し、「赤色巨星」という
ものになります。そしてその大きさは、現在の太陽と地球の距離と、同じぐらいだと
考えられています。
太陽がそんなに大きくなったら、地球は焼きつくされ、全体がドロドロの溶岩に
なってしまうでしょう。さらには、地球が蒸発して無くなってしまうかも知れません。
だからその時までに、「地球の生命」が太陽系の外に進出していなければ、生命
は確実に滅亡してしまうでしょう。
しかしながら、たとえばナメクジのような生物から、人類までの進化に要した時間
は、たったの6億年でした。
だからあと数億年もすれば、人類よりもさらに進化した生物が、太陽系の外に
進出している可能性は十分に考えられます。
なぜなら現在の人類でも、パイオニアやボイジャーなどの人工物ならば、太陽系
の外に送りだす能力をすでに持っているからです。
だから、太陽が燃えつきるまでの50億年というのは、「地球の生命」が太陽系の
外に進出するのに、まだ十分な時間が残されていると考えて良いでしょう。
ところが、あと数百億年か数千億年の時間がたてば、この宇宙にも「寿命」が
来てしまうかもしれません。
そうなると、宇宙に存在する星という星がすべて燃えつき、宇宙の全体が「暗黒
の空間」になってしまうでしょう。そして生命が生き続けるためのエネルギーも、
まったく無くなってしまうでしょう。
しかしそれでも、人類には想像もつかないぐらいに進化した生命が、「新しい
宇宙」を作りだすことまでをも、やってしまうかも知れません。かなり空想的な話で
すが、その可能性は完全に否定できません。
ところがそれでも、いつしか「生命の滅びるとき」が、やって来るかも知れませ
ん。なぜなら、「新しく生まれたものは、いつか必ず滅びる!」という、かなり普遍的
な宿命が存在するからです。たとえ「生命」といえども、その宿命からは逃れられな
いかも知れません。
だから、「実在する生命は、絶対に永遠不滅だとは言い切れない!」という
のが、もっとも自然な推論ではないでしょうか。
* * * * *
ところで、今お話したようなことが、すごく気になる人・・・。
つまり、どうしても、絶対に「永遠不滅の生命」を求めたい人・・・。
そういう人は、もはや「神」を「自分の生命の本体」にするしか、他に方法がないよ
うに思います。
神は、絶対に「永遠不滅」のものです。
もし、生命が滅びてしまったとしても、神は絶対に滅びません。
神は、生命が誕生する前から存在し、生命が滅んだ後も存在し続けるからです。
さらにそれどころか、「神」は、この宇宙が誕生する前の「無限の過去」から存在
し、この宇宙の寿命がつきた後も「無限の未来」まで存在し続けるのです。
なぜなら「神」とは、そういう存在だからです。
この宇宙を誕生させたのが神ならば、この宇宙を終焉させるのも神なのです。
「神」とは、この宇宙が存在するかどうかなどを、はるかに超越して厳然と存在
するのです。
ところで私は最近、神に対して、大生命の木に光をそそぐ「太陽」のようなイメージ
を持つようになりました。
つまり神は、「実在の生命」を超越したところに存在し、しかしながら「実在の生命」
に対して、さまざまな働きかけを行っているのです。
たとえば、
「時間」や「空間」が存在しなければ、生命は存在できません。
「エネルギー」や「物質」が存在しなければ、生命は存在できません。
そして「太陽」や「地球」が存在しなければ、この地球に生命は誕生しなかっただろ
うし、生命が生き続けることもできません。
この宇宙を、いま在るように在らしめている、根本の原因。それが「神」なのです。
だから神が存在しなければ、時間も空間も、エネルギーも物質も、太陽も地球も
存在しません。
このように神は、「実在する生命」ではありませんが、しかし神が存在しなければ、
生命も存在できないのです。
生命を誕生させた、さまざまな現象や作用や働きの、根本の原因。
そして生命を生かし続ける、さまざまな現象や作用や働きの、根本の原因。
そのような、生命が存在する「根本の原因」までをも、「生命」という概念に含め、
「生命の概念」をそこまで拡張すること。それは、まったく不可能なことではありま
せん。
しかし、それはもはや、「実在する生命」という概念を通り越し、「宗教」や「信仰」
の世界に入り込む話です。
しかしながら、そのような「生命」を認識することは人類に可能だし、現に多くの
人類がそうしているのです。
もしも、絶対に「永遠不滅の生命」を、「自分の生命の本体」にしたければ、その
ような「神」を信仰する以外に、他に方法がないと思います。
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