宗教が嫌われる理由    2005年4月10日 寺岡克哉


 先日、ローマ法王のヨハネ・パウロ2世がお亡くなりになりました。心からご冥福
をお祈りしたいと思います。

 私はカトリックの信者ではないし、その他の既成宗教の信者でもありません。しか
しヨハネ・パウロ2世は、マザーテレサやダライラマ14世と並んで、私のたいへん
尊敬していた人でした。
 これら3人の方々のうち、すでに2人までも亡くなられてしまい、すこし寂しい感じ
がします。しかし、時代は流れ行くものなのでしょう。これからの新しい時代にふさ
わしい、「人類の精神的な指導者」が現れることを願ってやみません。

                 * * * * *

 ところで日本では、「宗教」といえば良いイメージよりも、悪いイメージの方が大き
いのではないでしょうか。

 それは、詐欺まがいの行為をしたり、さらには犯罪すら起こすような「デタラメな
宗教」が、まったく後を絶たないので当然です。こんなものを「宗教」と呼んでいる
こと自体、私は腹立たしく思います。こんなものは、「詐欺者集団」とか「犯罪者
集団」と呼ぶべきものです。

 つい先日も、ある新興宗教の代表や幹部が、少女たちに暴行を加えていた容疑
で逮捕されました。このような事件には、本当に怒りを禁じえません。
 デタラメな人間によるデタラメな宗教が、たいへん多くの人々を「本当の正しい
宗教」から遠ざけているのです。

 また世界に目を向けても、宗教的な対立が、戦争や民族紛争の原因になってい
ることが多々あります。

 これらの理由から、宗教は危険視され、忌み嫌われるのでしょう。

                 * * * * *

 しかしながら、宗教が忌み嫌われる理由は、それだけでしょうか?
 私は、そうではないと考えています。
 戦争や犯罪などを起こさない「本当の正しい宗教」であっても、いや「本当の
宗教」だからこそ、人々から忌み嫌われる理由があると思うのです。
 以下、そのことについて考えてみましょう。

 まず第一に、本当の宗教は、「人生の根本的な矛盾」を人間に突きつけて
きます。

 それは何かといえば、「死」に対する問題です。
 すべての人間は、いくら一生懸命に生きても、どうせ最後には死んでしまいま
す。そして死ねば、金や地位、権力、名声、名誉、業績、経験、家族、恋人、友人
など、生きていたときに苦労して得たものが、すべて無意味になってしまいます。
 人間は死を恐れ、死からできる限り逃れようとします。それなのに、すべての
人間は100パーセント確実に死ぬのです。そして死ねば、せっかく苦労して生き
たのに、そのすべてが無意味になってしまうのです。
 それでは結局、人間は何のために生きているのでしょう?
 それならどうして、人間は苦労して生きなければならないのでしょう?
 金や地位、権力や名声などに、いったい何の価値があるのでしょう?
 本当の宗教は、このような「人生の根本的な矛盾」を人間に突きつけ、「人生の
ごまかし」をすべて暴露します。自分の人生をごまかして生きている人間には、
それがとても耐えられません。
 だから宗教は、たとえそれが「本当に正しい教え」であっても、人々から忌み
嫌われるのだと思います。

 そして第二に、本当の宗教は、「金への欲望」を抑えてしまう働きがあり
ます。

 そしてそれが、市場経済に大きな弊害をあたえる恐れがあります。「本当の
宗教」に多くの人々が目覚めてしまったら、だれも目の色を変えて、金を稼ぐこと
に狂奔しなくなるからです。
 企業や資本にとって、それは大変に困るのです。金のために必死になって、
人間に働いてもらいたいからです。人間を「金の奴隷」にしておきたいのです。そう
するために、金が無くなれば自殺や一家心中をしてしまうほど、「金を命より大切
なもの」にしておきたいのです。そのようにして企業や資本は、人間を経済活動へ
と駆り立てるのです。
 そしてこれは、たとえ企業家や資本家といえども、人間ならば例外ではありま
せん。彼らも、金のために人生のほとんどを費やしている、「金の奴隷」にすぎな
いのです。
 ところで「本当の宗教」は、そのような価値観や世界観と、真っ向から対立しま
す。この理由からも、宗教は目の敵にされるのでしょう。

                 * * * * *

 以上お話しましたように、宗教が忌み嫌われる理由はたくさんあります。
 しかし私は、ただ単に宗教を忌み嫌い、それから目を背け、逃げているだけで
はダメだと考えています。

 なぜなら、上でお話した「人生の根本的な矛盾」を解決するためには、「本当の
宗教」がどうしても必要だからです。
 というのは、たとえ科学や経済がいくら発展しても、それでこの問題は絶対に
解決できないからです。医療技術や脳科学がいくら進歩しても、いくらたくさんの
お金があっても、人間が必ず死ぬ以上、「人生の根本的な矛盾」は絶対に解決
できないのです。(もしも科学の力で、人間が死ななくなれば話は別ですが・・・。
しかしそのときには、「永遠に死ねない!」という、新たなる無限の苦しみが人間
を襲うでしょう。)
 また科学や経済は、「人間の心」を正しく導くことができません。科学や経済で
は、現代人の心の荒廃(心の闇)を正すことができないのです。
 このような意味で、「本当の宗教」は現代でも必要だと私は考えています。

 そしてまた、私がいちばん危惧していることは、「本当の宗教」をまったく知ら
なければ、人生の苦難に出会ったとき、「デタラメな宗教」にすぐ騙されてし
まう
ことです。だから基礎素養として、「本当の宗教」をある程度知っておくべき
だと思います。

 「本当の宗教」がどんなものかを知るには、以下の本を読んでみるのが良いか
も知れません。
 新約聖書  新共同訳  日本聖書協会
 真理のことば(ダンマパダ) 中村 元訳 岩波文庫
 人生論   トルストイ    原卓也訳  新潮文庫
 マザーテレサについての著作 (例えば、マザー・テレサ かぎりない愛の奉仕
                     沖守弘 くもん出版 など)
 ダライラマ14世の著作 (例えば、ダライ・ラマ、イエスを語る  中沢新一訳
                 角川書店 など)

 これらの本を一通り読めば、「デタラメな宗教」など、すぐに見破れるでしょう。
 たとえば、
 教祖が自分自身で、「私は神である!」と豪語してはばからないもの。
 金儲けなどの現世利益を、過大に強調するもの。
 地獄やタタリなど、恐怖心を不当にあおり立てるもの。
 高額の布施を求めたり、高価な品物を売りつけてくるもの。

 こんなものは、すぐに「デタラメだ!」と気がつくはずですし、そんなものに洗脳
されることもなくなるでしょう。
 (もちろん普通の状態ならば、「本当の宗教」を知らなくてもデタラメだと気がつき
ます。しかし、人生の苦難に会ったときや、言葉巧みに洗脳を仕掛けられたとき
には、「本当の宗教」を知らないとコロリと騙されるのです。)

 「本当の宗教」を多くの人が知ることは、「デタラメな宗教」をはびこらせないため
に、とても大切なことだと思います。



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