人間の生命について 2005年3月27日 寺岡克哉
人間には、「人間の生命」というものが存在すると、私はつねづね思って
います。
この、「人間の生命」が抑圧されると、人間は、たいへんな「生き苦しさ」を感じ
ます。
そしてさらには、何かの原因で「人間の生命」を喪失してしまうと、人間は生きる
エネルギーを失って、本当に死んでしまうことさえあるのです。
* * * * *
「人間の生命」とは、いったい何なのでしょうか?
それは、人間にしか存在しない生命、人間だけが持つ生命です。人間以外の
動物には存在しない生命です。
動物として生きる条件(肉体の生存条件)がいくら満たされていても、それを失っ
てしまったら、人間が生きていけなくなるものです。
たとえば動物なら、水やエサが十分にあり、病気や怪我がなく、自分を襲う外敵
もいなければ、とても幸福に生きることが出来ます。
しかし人間の場合は、そのような「動物として最高に幸福な状態」であるにもかか
わらず、自殺をしてしまう場合があります。まさにそれが、「人間の生命」というもの
の存在を、明らかに証明しています。
いくら肉体の生存条件が十分であっても、「人間の生命」を失えば、人間は生き
ることが出来ないのです。
* * * * *
ところで人間は、実にさまざまなものを「生命」にします。(ここでは以下、
「人間の生命」のことを「生命」と省略します。)
たとえば、「お金」を生命にする人がいます。
このような人は、お金を稼いだり、貯めたりすることに一生懸命です。生涯の
ほとんどを、それに費やしてしまうぐらいです。
そして、もしも破産したり、莫大な借金を抱えたりすれば、(衣食住には困って
いないのにもかかわらず)自殺をしてしまうことが多々あります。
現代社会では、このように「お金」を生命にしている人が、かなり多くいるのでは
ないでしょうか。
また例えば、「会社」を生命にする人がいます。
このような人は、会社に居続けるためなら、過労死や過労自殺をするまで働い
てしまいます。そしてもしも、会社の倒産やリストラなどで、会社に居ることができ
なくなれば、生きていられないほど苦しんでしまいます。
子供や家族、あるいは、恋人や友人を生命にする人がいます。
このような人は、子供、家族、恋人、友人を失えば、生きていけません。また、
それらの人を守り、助けるためならば、自分の命を犠牲にすることも恐れま
せん。
また、その他には、
容姿や美貌を生命にする人がいます。
豪華な衣装や、宝石や貴金属を生命にする人がいます。
富や権力、あるいは名声や名誉を生命にする人がいます。
このように人間は、実にさまざまなものを「生命」にするのです。
* * * * *
しかし私は、いま挙げたようなものを「生命」にするのは、不適当であると
考えます。
お金、会社、子供、家族、恋人、友人、容姿、美貌、衣装、宝石、貴金属、富、
権力、名声、名誉・・・。これらのものを「生命」にすれば、とても不安でたまらない
からです。心の底から安心することが、絶対にできないからです。
なぜなら、それらは必ず得られるわけではなく、また、いつでも失う恐れが
あるからです。
たとえば、
お金がない・・・。就職できない・・・。恋人がいない・・・。結婚できない・・・。子供
がいない・・・。 ・・・・・・。このように、これらは必ず得られるとは限らないのです。
また、
破産した・・・。リストラされた・・・。失恋した・・・。離婚した・・・。不慮の事故で子
供を亡くした・・・。・・・・・・。このように、これらはいつでも失う恐れがあるのです。
つまりそれらを「生命」にすれば、生命が必ず得られるわけではなく、また得られ
たとしても、いつ生命を失うのか分からないのです。それで絶えず不安を感じ、心
の底から安心することが出来ないのです。
* * * * *
人間は、もっと確実で、絶対で永遠のものを「生命」にしなければなりま
せん!
求めれば必ず得られ、いつも自分と供にあり、絶対で永遠に失うことのない
もの。人間は、そのようなものを「生命」にしなければならないのです。
そのような「生命」で、人間が考えられる限りでいちばん最高のものが
「神」です。
これ以上に確実で、絶対で永遠の生命を私は知りません。
神は、人間が知りえる限りで最高の、絶対で永遠のものです。そして神は、
誠心誠意に心の限りをつくして求めれば、いつでも、どこでも、誰にでも、心と体
の全体で実感することが出来ます。つまり神は、その気になって努力をすれば
必ず得られるのです。
人間が求めてやまない、絶対で永遠の生命。しかも求めれば、誰にでも必ず
得ることのできる生命。それが、「神」と呼ばれるものの正体ではないかと思い
ます。
(ところで残念ながら、盲目的な信仰のみを強要し、金儲けや戦争の道具にさ
れるような「間違った神」も、現実問題として存在します。しかしそのような「間違っ
た神」は、ここで言う「神」の概念から除外します。)
人間は、「本当の生命(つまり本当の正しい神)」を得ると、自由にのびのびと、
安心してゆったりと、いきいきと元気よく、生きがいと自信を持って生きられるよう
になります。
「本当の生命」にはなりえないもの、そうするには不適当なものを生命に
してしまう所に、人間の悲劇と不幸が存在するように思います。
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