まる3年にあたって 2005年3月20日 寺岡克哉
私がこのHPにエッセイを書き始めてから、今日でちょうど、まる3年になりまし
た。
今日まで書き続けてこれたのは、ひとえに、私のエッセイを読んで下さる皆さ
んのお陰です。本当にありがとうございます。
(月並みな挨拶で申しわけありません。しかし私は、心の底から本当にそう感じ
ています。読んでくれる人のいることが、文章を書きつづけるための、最大の原
動力だからです。もし、だれも文章を読んでくれなかったら、3年間も書き続ける
ことなど、私にはとても出来ませんでした。)
エッセイは、こらからも頑張って書き続けますので、今後もよろしくお願いしま
す。
* * * * *
今回は、ちょうどまる3年ということで、これまでを少しふり返ってみたいと思い
ます。
この3年の間に、私の考え方や心境は、少しずつ変わって行きました。
しかしその変化は、本当に少しずつだったので、書いている時はあまり気が
つきませんでした。ところが文章を読み返してみると、はじめの頃と今とでは、
ずいぶん考え方が変わっています。
中でも、いちばん大きく変わったのは、「神」についての私の考え方です。
はじめ私は、「神への信仰」に対して否定的な態度をとっていました。神を信じ
るなど「盲目的な信仰にすぎない!」と決めつけ、「神の存在」を否定していたの
です。
というのは、宗教的な対立による紛争や、宗教がらみの事件やトラブルが、
いつも世間を騒がせているからです。だから私は、「神に対する盲目的な信仰」は
危険だと思っていましたし、それは今でも思っています。
それで最初のころは、「神への信仰」をまったく抜きにし、「理性」のみによって
生命を肯定しようと、躍起になっていました。
ところがそれだと、「生命の肯定」の本質に迫りきれない、何かピントのはずれ
たような、物足りなさや不満をいつも感じていたのです。
「信仰」をまったく抜きにし、「理性」だけでいくら生命を肯定しても、なにか
「カラ元気のような空しい感じ」が、どうしてもしてしまいます。
つまり、「心」をまったく抜きにして、「頭」だけでいくら考えても、いきいきとした
生命力やエネルギーが、心の底から湧いてこないのです。
頭でいくら生命を肯定しても、心が死んでいてはダメなのです!
生命を肯定すること。
つまり、
「生きることは素晴らしい!」
「生まれてきて良かった!」
「この地球に、生命が存在することは素晴らしい!」
「あなたや私、そしてあらゆる生命が、今ここに生きて存在することには、
とても大きな意味がある!」
と、本当に心の底から実感すること。
そのためには、何か大いなる存在、つまり「神の存在」を認め、それを心と体で
実感しなければならないのです。
自分の心と体の全体に、愛と生命のエネルギーをそそぎ込むためには、このよ
うな「神への信仰」がどうしても必要です。私はだんだんと、そのことを認めざるを
えなくなっていきました。
つまり、この3年の間に、「神への信仰」に対して否定的だったのが、その必要
性も認めなければならないと思うようになった訳です。それが、私の考え方や心境
の、いちばん変化したところです。
しかしながら、「神への信仰」の必要性を認めるにしたがって、「理性による冷
静な判断」がとても大切であることも、以前にもまして強く実感しています。
* * * * *
ところで以前の私は、「宗教的なこと」や「神のこと」を書けば、だれも私のエッセ
イを読んでくれなくなると、自分勝手に思い込んでいました。だから神について書
くことを、とても恐れていました。
そのため、「神の存在」を認めるようになった後でも、私はしばらくそれを隠して
いました。そしてそのことが、だんだんと心苦しくなって行ったのです。
心の底で「神の存在」を認めつつも、それを認めない態度をとることは、とても
心苦しいことです。それはたとえば、自分のいちばん大好きで大切な人に対して、
「おまえなんか大嫌いだ!」と、ウソをつくような心苦しさです。
そしてついに耐えられなくなり、神についての私の考えを、つつみ隠さず書こう
と思うようになりました。
「私は、神の存在を認めているし、神が大好きだ!」・・・と。
ところが思いきって書いてみると、だれも読んでくれなくなるようなことは、決して
ありませんでした。
「神のことなどを書いたら、だれも読んでくれなくなる!」と思っていたのは、単な
る自分勝手な思い込みだったのです。
そして1000人に1人ぐらいは、「私と心を共鳴してくれる人が必ずいる!」と
いうことも分かりました。
つまり日本全国には、私と心を共鳴してくれる人が、10万人はいるはずなので
す。とても大きな数です。それも、この3年間で分かったことなのです。
もしもHPにエッセイを書き続けなかったら、私はそのことが全く分からず、自分
一人だけがこんなことを考えているのかと、たいへんな孤独に陥るところでした。
事実、私の周りには、エッセイに書いているような話ができる人間など、ほとん
どいません。それは、私の周りに何千人もの人間がいるわけではないので、当然
なのです。
正直にいうと、エッセイを書き始める前の私は、とても孤独でした。しかし今は、
孤独ではありません。私が心の中で思っていることを書いても、大勢の人間から
非難されたり、完全に無視されるようなことがないからです。そのことが分かった
だけでも、HPにエッセイを書きつづけて良かったと思っています。
このHPのエッセイは、ふだんは誰にも話さないようなことを、書きつづけてい
ます。
10年以上つき合っている人間や、家族や親戚にも話さないようなことが、
このエッセイには書いてあります。だから、私のエッセイを読んでもらえれば、
「本当の私」がみんなばれてしまいます。
そのような文章を書いているので、今後ますます、私と心を共鳴してくれる
「心の友人」が、たくさん出来ていくと思います。
そのことに、限りない喜びと感謝を感じます。本当に有り難いことだと思ってい
ます。
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