唯物論の弊害 2 2005年3月13日 寺岡克哉
前回から「唯物論の弊害」について考えていますが、考えれば考えるほど、ます
ますそれが、「現代社会の闇」の根本原因になっている気がしてきました。
大企業や官庁の不正、拝金主義、詰め込み教育、無慈悲なリストラ、簡単に
犯す殺人、子供や老人への虐待、生きる意欲の低下・・・。
これら現代社会のさまざまな矛盾は、その根底に、「唯物論の弊害」が深く
関わっているように思えるのです。
ところで前回の話は、あまりにも観念的すぎたので、私の本意が伝わりにく
かったかも知れません。それで今回は、「唯物論の弊害」について、すこし具体
的にお話したいと思いました。
(「唯物論」そのものについては、前回でお話していますので、まだ読んでいな
い方はそちらを見てください。)
* * * * *
まずはじめに、大企業や官庁の、不正や汚職・・・。
これらは、「社会正義」や「人としての良識」よりも、即物的な目先の利益を追い
求めた結果です。そこには、人間的な信頼よりも、物や金を優先してはばからな
いという考えが透けて見えます。
「人間の信頼や社会の信用は、物や金などには換えられない!」
このような価値観が欠落しているから、そのようなことが起こるのです。そして
その根底には、「人の心」や「人間性」よりも「物質的な価値」を重んじる、「唯物論
の弊害」が深く関わっているのです。
そして、この「唯物論の弊害」は、一般の人々にも深く影響をあたえています。
しかもそれは、普段まったく意識できないほどにです。
たとえば現代人は、容姿や体型、服装、持ち物(装飾品、車、家など)を、
異常なほど気にします。まるで人間の価値が、それらで決められてしまうかの
ようです。
つまり人間の価値が、心や精神ではなく、「物」で判断されるのです。
そしてそれが、最終的には「お金」に行き着くのでしょう。お金さえあれば、たい
ていの「物」が手に入るからです。それは美容や健康といえども、肉体(つまり物)
に関することなら例外ではありません。
このように、人間の価値が「物」で判断され、ほとんどの物は「お金」で手に入り
ます。それで人間の価値が、「お金の量」で判断されるようになったのでしょう。
現代社会では、お金をたくさん持っている人間が、価値のある人間です。この
ような拝金主義は、その根底に、「唯物論の弊害」が深く関わっているのです。
* * * * *
そしてさらには、上でお話した「人間の価値を物で判断する」というのが、「人間
そのものを物として扱う」というように、エスカレートして行ったのでしょう。
現代社会で、「唯物論の弊害」がいちばん強く現れているのは、「人間を
物として扱うこと」なのです!
たとえば日本は今まで、機械的な「詰め込み教育」により、企業社会の歯車とし
て働く「製品のように規格化された人間」を、大量に製造してきました。
製造過程では、定期的な学力試験によって、つねに品質がチェックされます。
そして、規格どうりに製造されなかった人間、つまり規格から外れた人間は、
不良品として排除されます。そのような人間は、学校にも家庭にも、居場所がなく
なってしまいます。
無事に学校を卒業できて、運良く大企業に入社できても、これまた機械のように
管理され、サービス残業や休日出勤などで、心と体がボロボロになるまでこき使わ
れます。
そして、壊れて使い物にならなくなったり、人が余って用がなくなれば、消耗品の
ように容赦なく使い捨てられるのです。
企業社会で要求されるのは、単位時間あたり効率よく仕事をこなし、文句も言わ
ずに、機械のように長時間働きつづける人間です。
現代社会では、人間がまるで「物」のように製造され、評価され、管理され、
捨てられて行くのです!
子供のときから長年にわたって、そのような扱いを受けつづければ、自分
自身を「物」としか感じられなくなるし、他人も「物」としか感じられなくなるで
しょう。つまり、人間を「物」としか感じられなくなってしまうのです!
* * * * *
子供がなつかなかったり、言うことを聞かなかったり、気に入らないという理由
で、子供を虐待して殺す事件が後を絶ちません。
これは明らかに、子供を「物」としか見ていません。まるで、飽きて気に入らなく
なった「物」を捨てるような感覚です。
イライラして、「物」にやつあたりでもするかのように人を殺したり、わいせつ目的
や、世の中を騒がせたいという理由だけで、おもしろ半分に人を殺したり・・・。
これも、人間を「物」としか見ていません。
また、老人への虐待なども、「古くなり、壊れて使えなくなった物は、邪魔だから
早く捨ててしまいたい!」と、いうような感覚で行っているのでしょう。
そして・・・
不登校で学校に通えなくなったり、
ひきこもりで社会に出られなくなったり、
学校を卒業しても就職できなかったり、
適齢期になっても結婚できなかったり、
結婚生活や育児に失敗したり、
リストラや会社の倒産で失業したり、
老齢になり、体の自由が利かなくなれば、
まるで自分が、「欠陥品」や「不良品」であるかのように感じ、ひどく思い悩んで
しまうのではないでしょうか。そして生きる意欲が、根こそぎに奪い取られてしまう
のです。
これらはみな、「唯物論の弊害」が深く関わっているような気がしてなりません。
* * * * *
以上、お話して来ましたように、
「良識」や「良心」の欠落・・・
「人の心」や「人間性」の喪失・・・
生命尊重のモラルや、生きる意欲の低下・・・。
これら、現代社会における「心の闇」は、そのほとんどが「唯物論の弊害」で
説明できるのではないでしょうか。
現代社会の「生きづらさ」の根本原因が、やっと私にも、すこし見えてきたよう
な気がしました。
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