無限の欲望と根源的な苦 2002年6月9日 寺岡克哉
なぜ人間は「無限の欲望」を持つのでしょうか?
人間が無限の欲望さえ持たなければ、人類はもっと平和で快適に暮らせるはずで
す。
食欲や性欲などの肉体的な快楽。金や地位などへの欲望。これらを生活に必要な
程度で満足することが出来れば、いらぬ「苦しみ」は起こらないのです。
実際、人間以外の動物は「無限の欲望」を持ちません。だから食欲が満たされ、自
分の命や家族や群が危険にさらされていなければ、いたって平穏に暮らしています。
ライオンなどの肉食動物でさえ、満腹の時は平和に寝そべっているだけです。必要
以上の殺生は行わないのです。これは、動物は「無限の欲望」を持っていないからで
す。
しかし人間だけは違うのです。人間は「無限の欲望」を持つため、飽くなき欲望や快
楽を求めて止みません。だから色々といらぬ苦しみを招いてしまうのです。
例えば、必要以上の食欲を求め、肥満、糖尿病、心臓病などの苦しみを招いていま
す。また、必要以上の性的快楽を求め、家庭崩壊、妊娠中絶、性感染症の蔓延、性
犯罪などによる苦しみを招いています。
自己の生命の維持や、種の存続にとって必要な程度の欲望や快楽を満足させるこ
とは、生命の摂理に適うことです。それは生命の肯定にとって大切な要素です。
ところが人間は、欲望や快楽を無限に求めるから、いらぬ苦しみを招き、生命の否
定を招いてしまうのです。
なぜ人間だけが「無限の欲望」を持つのでしょうか?
人間が無限の欲望を持つのは、人間には「根源的な苦」というものが存在するから
だと、私は考えています。
「根源的な苦」とは、人間だけに常につきまとう、何か得たいの知れない漠然とした恐
れや不安のことです。
人間以外の動物に「根源的な苦」は存在しません。だから人間以外の動物は、食物
が十分にあって怪我や病気もなく、外敵などの危険もなければ、なんの恐れも不安も
感じません。いたって平穏無事で安心しています。
しかし人間は違うのです。人間だけは、衣食住が満たされ、怪我も病気も外敵もない
「生物として最高の状態」であるにも拘らず、何か得体の知れない漠然とした不安、空
しさ、焦燥、恐怖などを強く感じてしまいます。これが「根源的な苦」です。
「根源的な苦」は、どんなに欲望や欲求を満たしても、絶対に解消することは出
来ません。
なぜなら、「根源的な苦」がそのような性質を持っているからです。あらゆる種類の、
どんな欲望を満たしても、その欲望を満たした途端に、空しさや不安や焦燥が新たに
生じてしまうからです。
つまり、どんなに欲望や快楽を満たしても、それを満たした途端に新しく根源的な苦
が生じてしまうのです。
「根源的な苦」を感じないようにするためには、ある欲望を満たしたらすぐ次の欲望
を求めるという具合に、欲望をどんどんエスカレートさせて行くしか方法がありません。
このため、「根源的な苦」は無限の欲望の原因となっているのです。
人間以外の動物には「根源的な苦」が存在しないから、無限の欲望を持たないので
す。だから、生命の維持や種族の維持に必要な程度の欲望や快楽が満たされれば、
それで満足することが出来るのです。
ところが人間には「根源的な苦」が存在するから、必要な程度の欲望や快楽が満た
されても、安心して満足することが出来ないのです。だから無限に欲望や快楽を求め、
「苦しみ」や「生命の否定」を招いてしまうのです。
私利私欲の徹底したエゴイズム、飽くなき闘争、怒り、憎しみ、妬み、騙し合い、これ
ら全てのいらぬ苦しみ・・・。これらはみな、欲望の追求のために起こっています。
「こんな人類など存在しない方がましだ!」という思いに取り憑かれてしまうことがあ
るのも、無理はありません。
ところで、いくら欲望を満たしても「根源的な苦」が解消できないことは、人類の歴史
によって証明されています。
人類の歴史から、欲望の追及による争いが消えることは、ありませんでした。利権
争い、権力争い、政争、戦争・・・。これら人類の争い事は、すべて「欲望の追求」が
原因で起こっています。
そこまでして色々な時代の様々な人間が徹底的に欲望を追求し、根源的な苦を解
消させようとしました。しかし、それに成功した者はいません。欲望の追及では、「根
源的な苦」は絶対に解消できないのです。
例え世界中の国を手に入れても、世界中のお金を独り占めしても、「根源的な苦」
は無くならないのです。もしも、そのような状態が達成されたとしても、やりきれない
空しさと不安は、絶対に消え去らないのです。
このように、根源的な苦が原因で起こる無限の欲望は、人類の悲劇の根源
ともいえるものです。
しかしながら一方で、人類の無限の欲望は、人類の無限の発展の原動力で
もあります。
人間以外の動物には無限の欲望が存在しないから、食欲などの肉体の欲求が満
たされれば他に何もしようとしません。ただ寝そべっているだけです。
しかし人間は、無限の欲望を持つからこそ、文明や科学や芸術を作り上げることが
出来たのです。科学技術を発達させて、人類が初めて宇宙空間に飛び出せた生物
になれたのも、人間に「無限の欲望」が存在するからです。
確かに、人間の無限の欲望は人類の悲劇の根源です。しかしながら、人類を無限
に発展させる原動力でもあるのです。
だから「無限の欲望が存在すること」が悪いのではなく、「無限の欲望を苦し
みの増大に向けること」が悪いのです。
無限の欲望を、エゴイズムの増大と闘争の激化に向けるから、大変な苦しみになる
のです。そして「生命の否定」の原因になってしまうのです。
無限の欲望を、人類や、生命全体に貢献する活動に向ければ良いのです。
例えば、平和の維持、飢えや貧困の根絶、医療の充実、教育の普及、文化や芸術、
学術研究の発展、野生動物や自然環境の保護。これらのものに、無限の欲望を向け
れば良いのです。
そうすれば、いくら無限に欲望を追求しても、「生命の否定」の原因にはなりません。
むしろ欲望を追求すればするほど、生命が肯定されて行きます。
正しい方向に向けられた無限の欲望は、決して悪いものではありません。むしろ非常
に良いものであり、大切なものです。根源的な苦によって生じる無限の欲望は、生きる
ための原動力であり、生命の発展の原動力だからです。
もしも「根源的な苦」や「無限の欲望」を完全に滅却してしまったら、「苦しみ」は消滅
するかも知れません。しかし、生きる原動力も無くなってしまうのです。そして非常に無
気力な、「生ける屍」の状態になってしまいます。
善い方向に向けられた「無限の欲望」は、生命の発展の原動力なのです。
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