理想について         2005年2月27日 寺岡克哉


 人間が、生きる意味や生きる目的を見いだし、人間らしく生きるために
は、「理想」を追求することが必要だと思います。


 しかしここで言う「理想」とは、理想の大学とか、理想の会社、理想の恋人、理想
の家庭というような、いわゆる理想の生活のことではありません。
 そうではなく、人間が本来的に求めてやまない理想・・・ 隣人愛、人類愛、慈悲、
最高の悟り、人格の完成、完全なる自由と平和、絶対の真理、最上の善、究極の
美、などのものです。

 しかしながら、そのような「理想」を嘲笑し、否定する風潮も、私は肌で感じます。
 「理想など、机上の空論にすぎない!」
 「理想など、永遠に実現するわけがない!」
 「理想ばかり追いかけないで、もっと現実をよく見なさい!」
 と、このように「理想の追求」を否定すると、大人らしい考え方のように思え、
何となく偉くなった気分になります。その反対に、理想を追求する人間は、何となく
子供じみて見えるのです。

 ところで理想を追求するのは、たいへんな苦労と努力が必要です。多くの勉強
や訓練(修行)をしなければなりません。時間もたくさんかかります。しかも、周囲
の嘲笑や反感を買う恐れもあります。
 しかし一方、理想の追求を「否定」するのは、とても楽で簡単です。なんの苦労
も要りません。世の中の現実に、ただ流されていれば良いのです。しかもそれで
いて、何やら偉くなった気分になります。
 だから、理想の追求を否定する風潮が、世の中にはびこりやすいのでしょう。

 しかし、あまりにも「理想の追求」を否定すると、
 「人生なんて、あくせくして必死に生きても、どうせ最後には死ぬだけだ!」とか、
 「所詮人生など、食べて、飲んで、寝ることの繰り返しだ!」
 「生きることは、無意味な生存に他ならない!」
というようなニヒリズム。つまり、厭世的で虚無的な考えに、取りつかれてしまい
ます。
 そして、精神がだんだん暗くなって行きます。
 何のために生きているのか、分からなくなります。
 生きる意欲や、生きるエネルギーが湧いてこなくなります。

 現代社会に息の詰まるような閉塞を感じ、いきいきと人間らしく生きられない
のは、人間が本来もとめるべき「理想」を、社会的に喪失してしまったからでは
ないでしょうか?

                * * * * *

 理想は、完全には叶えられません。
 「完全な理想」は、永遠に実現できないのです。
 しかし、それで全く良いのです! なにも問題ありません。


 日本人の多くは、なにか目標をもつと、それを100パーセント達成しなけばなら
ないというような、「100点主義」に陥りがちです。(これはたぶん、受験教育の弊
害でしょう。)
 だから、ある目標にたいして「100パーセント達成できる!」という確信がなけれ
ば、その目標自体をすぐに敬遠してしまいます。(それで日本人は、知識や技術
の吸収、つまり「ものまね」は得意ですが、前人未到の発明や発見は苦手なので
す。)
 このような日本人の特質が、「完全な理想は実現できない」という事実を、「だか
ら理想など、追求しても仕方がない」という話に、すり替えてしまうのでしょう。

 しかし、そうではないのです。理想は、「100パーセント実現しなければならない
もの」ではないからです。
 しかし100パーセントの実現はできなくても、人間はつねに「理想」をもち、それ
を目ざして進まなければならないのです。
 なぜなら「理想の追求」が、人間に生きる意味と目的を与えるからです。人間が
「理想の追求」を放棄したら、それこそ人生は、「無意味な生存」になり下がってし
まうでしょう。

 「完全な理想」は、絶対に実現できません。しかし理想は、それを追求する
こと自体に価値があるのです。理想とは、実現しなければならない到達点で
はなく、人間の進むべき方向(ベクトル)を指し示しているのです。

 今までより一歩でも「理想」へ近づくこと。それが人間としての本当の進歩で
あり、とても価値あることなのです。
 人間が理想を喪失すれば、人生の進むべき方向が見えなくなり、どのように
生きたら良いのか、まったく分からなくなってしまうでしょう。

                 * * * * *

 ところで、理想を力ずくで実現しようとしてはなりません。

 世界の平和、完全な自由と平等、人権の確立、偏見や差別の撤廃、思想や
信仰の自由、倫理や道徳の普及、愛や慈悲の浸透、人間どうしの完全な理解と
信頼・・・。全人類がこれらを実現すれば、たしかに理想の世界となるでしょう。

 しかしそれを、巨大な権力や軍事力、あるいはテロなどの、力ずくの暴力的な
方法で実現しようとしてはならないのです。力による理想の実現は、えてして
「最大の悪」を生んでしまうからです。
 それは、宗教戦争、民族紛争、ナショナリズムやイデオロギーの衝突など、人
類の歴史を見れば明らかです。

 人間は、理想を追求しなければなりません。しかし、力ずくの理想の追求は、
とても大きな害悪を生んでしまいます。そのため、理想を追求すること自体が、
何か悪いことのようにさえ感じてしまいます。

 しかしそれでも、やはり人間には理想が必要です。
 もしも人間が理想を失えば、ただ動物として肉体が生きているだけの、「無意
味な生存」に陥ってしまうからです。
 人間が人間として生きるためには、「理想の追求」がどうしても必要なの
です。




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