なぜ簡単に人を殺すのか?
2005年2月20日 寺岡克哉
最近また、訳のわからない凶悪な事件が続いています。
わいせつ目的で小学生の少女を誘拐して殺害したり、イライラしていたからと
言って、偶然に出会った赤ん坊を親の目の前で刺し殺したり、小学校に侵入して
3人の先生をいきなり殺傷したり・・・。 思い出すだけでも恐ろしくなり、気分の
悪くなる事件です。
どうして、こうも簡単に人を殺すのでしょう?
私は、こんなことを考えるのは、本当は大嫌いです。考えるだけで胃が痛くなり、
胸がムカムカしてきます。とても大きなストレスを感じます。
だったら、そんなこと考えなければ良いのですが、しかし私は、このような問題
から目を背けることが出来ないのです。いくら自分では嫌だと思っても、「目を
背けるな!」という、何か見えない力が働いてしまうからです。私は、その力に
逆らうことが出来ません。
* * * * *
しかし、なぜ簡単に人を殺すのでしょう?
私がまず最初に感じることは、そのような人間には「心の抑止力」が働いて
いないと言うことです。つまりそれは、人を殺すことに対する、
吐き気がするほどの生理的な嫌悪。
身震いがするほどの恐怖。
無意識的ではあるけれども、とても強く体を縛りつけてしまうほどの、強制的な
抑止力。
そういうものが働いていないのです。
たとえば、戦争やテロなどの大惨事をテレビで見て、「人がたくさん死ぬのは
面白い!」と、思っている人間がいたとしましょう。
しかしそのような人間でも、いざ自分が人を殺そうとすれば「心の抑止力」が
働き、殺人などとても出来ないでしょう。
しかし簡単に人を殺す人間は、このような「心の抑止力」が働かないのです。
ところで正常な人間は、一体どのようにして、「心の抑止力」を身につけたので
しょう?
おそらく大抵の場合は、知らず知らずのうちに身についたのだと思います。ある
いは、同種族の死を恐れ、忌み嫌うという「本能」として、はじめから備わっている
のかも知れません。
しかし簡単に人を殺す人間は、このような「心の抑止力」が身につかなかった
か、はじめから備わっていなかったか、あるいは自分の意思で、あえて「心の抑止
力」を取り去ってしまったのでしょう。
しかし、それぞれの犯罪者がどうしてそうなったのかは、やはり謎です。たぶん、
本人の性格、価値観、道徳観、倫理観、判断力、精神力、忍耐力、経済力、人間
関係、社会や家庭の環境など、さまざまな要因が複雑に絡み合っているのだと
思います。
(ところで、戦闘時の兵士が証明していますが、殺人に対する「心の抑止力」を
意識的に取り去ることは、原理的に可能です。)
* * * * *
また、人を簡単に殺すような人間は、「命の大切さ」というものを全く理解して
いません。
愛や慈悲、他人に対する思いやり・・・ このような「人の心」が、まったく欠落し
ているのです。
そのような人間は、「自分は本当に愛されている!」と感じたことがなく、また、
誰かを心から本当に愛したこともなく、「本当の愛」というものを全く知らないので
しょう。
他人の生命と未来を、取り返しのつかない形で抹殺してしまったこと。
殺された人間の恐怖や苦しみ。
そして被害者の家族の、苦しみ、悲しみ、怒り、憎しみ・・・。
簡単に人を殺す人間は、そのようなことを全く理解していないか、あるいは理解
する能力がないのだと思います。
だから、自分が本当は何をしたのか分かっていないし、「本当に悪いことをし
た!」とも思っていないのでしょう。
そしてそのような人間は、自分自身にさえも、価値を見いだしていません。
自分が長いこと刑務所に入れられたり、さらには「死刑になっても構わない!」
と思うほどに、自分に対して絶望しているのです。
このような人間は、もともと「不幸な人間」だったのでしょう。なぜなら幸福な人間
は、他人に危害を加えることなど絶対にしないからです。
不幸な人間のうちで、攻撃的な性格で思いやりの欠落した者は、他人や社会を
妬み、恨み、憎みます。それで、他人や社会に対して復讐を企てるのでしょう。
* * * * *
ところで、簡単に人を殺すような人間が、「人の心」を取り戻せる可能性はある
のでしょうか。
このような人間に、「命の大切さ」を心の底から理解させ、愛や慈悲の心を持た
せることが出来るのでしょうか?
もし仮に、「人の心」が取り戻せそうになっても、自分のやってしまったことに
愕然とし、生きてはいられないほどの後悔や苦しみを感じるのではないでしょう
か?
だから自己防衛の本能がはたらき、「人の心」を取りもどすことに拒絶反応が
起こるのではないでしょうか?
私は、この問題にたいして、ものすごい壁を感じます。
それこそ、厚さ1000メートルの岩盤を、ノミと金槌(かなづち)で突破しようと
するほどの困難さを感じます。
しかしながら、
「簡単に人を殺すような人間は、絶対に改心するはずがない!」とか、
「そんな人間は、人の心など絶対に取り戻せるはずがない!」
「そんな人間が愛や慈悲の心をもつなど、絶対に考えられないし問題外だ!」
と100パーセント決めつけるのは、たぶん間違いなのでしょう。
たしかに、自分が死刑になってさえ、懺悔(ざんげ)や後悔の念をまったく持た
ない人間がいるかも知れません。
しかし、自分が死ぬよりも辛い苦しみと、後悔の念に人知れず耐えつづけ、
一生を懺悔にささげて生きる人間も、確かにいるはずだと私は思いたいのです。
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