神の声について 2005年2月13日 寺岡克哉
私は時々、「神の声」を聞くことがあります。
といっても、なにか特別な精神状態になったり、実際の「声」が幻聴のように聞こ
えるのではありません。
私の聞く「神の声」とは、心の奥底から働く、とても強い「強制力」のこと
です。
たとえば私には性欲がありますが、しかしいくら性欲が生じても、実際に女性を
強姦したりはしません。あるいは、いくら私が憎んでいる人間がいても、実際に
その人間を殺したりしません。
いくら強姦や殺人のことが頭をよぎっても、実際にそれを行おうとすれば、体が
動かなくなるほどの「強制力」が働いて、それが出来なくなるからです。
それは、
「強姦をしてはならない!」とか、
「人を殺してはならない!」
というような、「実際の声」が聞こえるのではありません。しかし、いざそれを実行
しようとすれば、即座に無意識的に、体を縛りつけるほどの強い「強制力」が働い
て、実行できなくなるのです。
「神の声」とは、このような理性の声、良識の声、良心の声です。そしてそれは、
正常な人間ならば誰にでも聞こえる声なのです。
(しかし中には、強姦でも殺人でも、頭の中で考えたことに強制力が働かず、
本当に実行してしまう人間がいます。そのような人間は「神の声」が聞こえず、
「悪魔の声」に支配されているのでしょう。このように「神の声」とか「悪魔の声」と
いうのは、まったくの空想的な話ではありません。人間の心の中には、それらに
相当するものが現実に存在するのです。)
* * * * *
ところで、どうして自分は今、このような人間になったのでしょう?
自分の人生をこのように導いたものは、いったい何なのでしょう?
私は、そのようなものもまた、「神の声」ではないかと思っています。
たとえば私は、高校と大学時代は山岳部に入り、大学院では物理学の研究者
を目ざし、その後ラーメン店で調理師の見習いをやり、そして今はエッセイを書き
続けています。
しかし私は、なぜそのときに、そのタイミングで、そのような人生を選択したので
しょうか?
「そんなのは、お前の自由意志で決めたのだろう」と、皆さんは思われるかも
知れません。
確かにそれもあります。しかしながら、なにか訳の分からない、いても立っても
いられない衝動。何かの見えない「強制力」。つまり「神の声」に導かれて、そう
なったという感じもするのです。
高校や大学の山岳部では、大自然を体で実感すること。
大学院の研究室では、「神の声」に耳を澄ますこと。
(私は、自然科学とは「神の声に耳を澄ますこと」だと考えています。大自然の
声、つまり神の声に注意深く耳を澄まし、そのかすかな声を逃さずに聞き出すこ
と。それが、自然科学の本質だと思います。今から思えば、大学院でそのような
訓練を受けていた気がします。)
調理師の見習いをやっていたときは、人間(お客)の心や感性を知ること。
そしてそれらの経験で培った、感覚、実感、思考力、確信などをベースにして、
現在エッセイを書き続けていること。
今までの自分をそれぞれ振り返ると、「なんてチャランポランな人生なんだ」と
思うときがあります。
しかしこれら人生の転換点では、なにか訳の分からない強い衝動が、かならず
働いていました。どうしても、それまでと同じようには生きられなくなり、いても立っ
てもいられなくなって、人生の次のステップに押し出されたのです。
そしてこれらのステップには、何かの声に導かれた「一貫した流れ」があるよう
に、どうしても思えるのです。今では、それら人生のステップのすべてが、文章を
書くための修行だったような気がします。
そのような訳で私は、「神の声の導き」を人生に感じるのです。
* * * * *
私はまた、文章を書いているときにも、「神の声」をよく聞きます。
私が文章を書くとき、自分の力だけで書こうとすると、どうも旨くいきません。
なにか不自然な、いびつな感じがしてしまうのです。
なぜか分からないけれども、大自然(自分を包みこむ世界全体)に「心の耳」を
澄まし、言葉や文章が浮かんでくるのをじっと待ちます。そうすると、心にしっくり
とした文章が書けるのです。
決して、「文章を作ろう」としてはなりません。作為的に文章を作ろうとすれば、
どうしても不自然になってしまいます。(このような失敗は、今現在もくり返してい
ます。とくに時間がないときは、焦って文章を作ろうとして失敗します。)
あくまでも、ただひたすら心の耳を澄まして書くのです。この「耳を澄ます」と
いう感覚は、やはり大学院の時代に身についたように思います。
以上お話しましたように、「神の声」とは、
人間に悪を行わせないための、理性の声、良識の声、良心の声。
人間の人生を導く声。
大自然(自分を包みこむ世界全体)の声。
として、たしかに存在するように私は思います。
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