性モラルについて        2005年2月6日 寺岡克哉


 私は、つね日頃から「生命」について色々と考え、エッセイを書き続けています
が、そのような日々を過ごしていると、どうしても「性モラルの問題」が頭をもたげ
てしまいます。
 「性愛(セックス)」は、新しい生命が生まれるための根源的な営みであり、
「性の問題」と「生命の問題」は、切ってもきれない関係にあるからです。

 ところで、巷で「性モラルの問題」といえば、コンドームのつけ方を青少年に
教えるとか、エイズや性感染症の話題などがよく聞かれます。
 たしかに、避妊の知識は絶対に必要ですし、国内にエイズや性感染症が蔓延
したら大変です。だから、それらの情報を公に発信するのは、とても重要であり
大切なことです。
 しかし私は、これらの話はある意味で、なにか問題の本質を欠いた「的外れ」の
ような感じがするのです。というのは、性的快楽を最大限に貪るために、避妊を
しないフリーセックスを平気でするような人間は、妊娠や性感染症の問題などまっ
たく眼中にないと思うからです。

 私は、性的快楽のために、生命(人の心や人格を含む)を傷つけたり、犠牲に
してはならないという理解を、もっと世の中に浸透させるべきではないかと考えて
います。
 性モラルを本当に向上させようと思えば、「生命の大切さ」を理解させ、それを
実感させなければなりません。
 また逆に、「生命の大切さ」が実感できなければ、なぜ性モラルを尊重し守らな
ければならないのか、まったく理解できないと思います。
 「生命に対する愛」を知ってはじめて、性モラルがなぜ大切なのかが、心の底
から分かるのです。

 「性モラル」の本質は、性欲は生命のためにあり、性欲のために生命を犠牲
にしてはならない!
 の、一言に尽きるのではないでしょうか。

                 * * * * *

 私は、生命のモラルが低下すれば、性モラルも低下すると考えています。また
逆に、性モラルの低下は、生命モラルの低下を表していると思っています。
 なぜなら、自分や他人の生命を尊重できなければ、性モラルも尊重できないと
思うからです。

 たとえば・・・
 「自分なんか、いつ死んでもいい!」
 「自分(又は、あいつ)の心なんか、いくら傷ついてもかまわない!」
 「自分(又は、あいつ)の体なんか、どうなってもいい!」
 「自分の子供なんか、どうなってもかまわない!」
 もしもこのように思っていれば、「性モラルを尊重しよう!」などという気は、まっ
たく起こらないでしょう。

 その反対に、
 「生きることは素晴らしい!」
 「私たちは、お互いに結ばれて幸せだ!」
 「私たちは生まれてきて良かった!」
 「だから、私たちは子供がほしい!」
 「私たちの子供を、力のかぎり愛したい!」
 「私たちと同じように、子供にも幸せになってもらいたい!」
 「私たちの子供もきっと、生まれてきて良かったと思うに違いない!」
 このように思うことが出来てはじめて、「性モラルの大切さ」が、本当に心の底
から分かるのではないでしょうか。

                * * * * *

 ところで・・・ 妊娠中絶によって、自分の子供のいのちを絶ってしまわなければ
ならない母親の苦しみ・・・。それは一体、どれほどのものでしょう。

 大切に育てた自分の娘が年頃になり、その愛娘が望まない妊娠や出産をした
ら、本人が苦しむのは当然ですが、その親もどれほど苦しむことでしょう。

 望まない子供を生んでしまい、あとになって子供がそれを知ったら、どれほどの
精神的なダメージを受けてしまうでしょう。
 さらには、実の親から鬱陶しがられて虐待を受けつづければ、その子供の
「生き地獄」はどれほどのものでしょう。

 自分が不倫をすれば、パートナーはどれほど傷つき、悩むでしょう。
 子供が親の不倫を知ったら、その子供はどれだけ不安になり、人間不信に陥る
でしょう。
 さらには不倫が原因で離婚となり、両親が離れ離れになってしまったら、子供
の人生はどんなに影響をうけてしまうでしょう。

 「性モラル」を尊重し、守らなければならない本当の理由は、このような所にある
のではないでしょうか。

                * * * * *

 性愛には、「正しい性愛」と「間違った性愛」があると思います。

 本人もパートナーも、周りの親類縁者も、みんな子供ができることを望んでい
る。だから子供のできることが、嬉しくて嬉しくて、めでたくてめでたくて、仕方が
ない・・・。そのような性愛は、「正しい性愛」です。

 子供ができたら困る・・・。
 胎児を中絶しなければならない・・・。
 望まずに生んだ子供なので、鬱陶しくてたまらない。それでついつい、子供を
虐待してしまう・・・。
 子供に居なくなってほしい。子供が死んでしまえばいいのに・・・。
 不倫で家庭が崩壊した・・・。
 そのような性愛は、「間違った性愛」です。このような性愛は、かならず不幸や
苦しみを招いてしまいます。

 たしかに、「生命の尊重」や「生命への愛」から性モラルを正そうとするのは、
たいへんな回り道でしょう。
 「そんなことは非現実的だ!」と、思う人も多いかもしれません。
 しかし、「生命の尊重」や「生命への愛」をなくして、性モラルの本当の向上は
ありえません。
 どんなに遠い回り道でも、どんなに時間がかかっても、これ以外に「本質的な
解決」はないと思います。

 (ところで性モラルを正すためには、頭ごなしの道徳教育を子供のうちから
叩き込んだり、性欲を煽り立てる情報や女性の服装を規制したり、姦通罪や
堕胎罪などをきびしく設けて刑罰を強化することも考えられます。確かにその
方が、即効性はあるでしょう。しかしそれは、「本質的な解決」から程遠いもの
です。)



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