人を動かす力         2005年1月23日 寺岡克哉


 「人を動かす力」には、どんなものがあるのでしょう?
 人は、何の力によって動いているのでしょう?
 人々を動かすために、世の中ではどんな力が使われているのでしょう?
 世の中の人々は、何の力によって動かされているのでしょう?

 マスコミで世の中の動きを見ていると、私はどうしても、このような疑問が心の中
に起こってしまいます。そして何となく、そのことについて考えてしまうのです。
 今回は、「人を動かす力」について私が考えたことを、お話したいと思います。

                 * * * * *

 まずはじめに、「人を動かす力」にはどんなものがあるのか、思いつくままに挙げ
てみます。
 そうすると・・・ 真理、愛、慈悲、思いやり、哀れみ、理想、夢、希望、良識、良心、
人徳、道義、正論、食欲、性欲、物欲、金銭、権力、名声、名誉、競争心、怒り、
憎悪、嫉妬、不安、恐怖、暴力、復讐、刑罰、制裁・・・。
 などなど、じつに色々なものが考えられます。

 このように「人を動かす力」には、たいへん多くの要素があります。
 しかし話を分かりやすくするために、それらをたいへん大ざっぱに、しかも強引に
分けてみます。
 そうすると、「真理の力」、「金の力」、「暴力」の、3つに分けられるかと思います。
(もちろん、この分け方に異論があるかも知れません。しかし私は、これが「人を
動かす3大要素」ではないかと思っています。)

 「真理の力」とは、愛、慈悲、良識、良心、人徳、道義、理性などにより、発揮され
る力です。
 つねに人間が求めてやまない、「真の理想」とか「真にあるべき姿」。それが人々
を導き、社会を動かす力となるのです。

 「金の力」は、いまの世の中でいちばん多く使われている力です。
 たとえば経済力を盾に、夫が妻に行使する力(その逆もあるかも知れませんが)
や、親が子供に行使する力。
 企業などの雇い人が、会社員などの雇われ人に行使する力。
 経済団体が、献金をして政治にかける圧力。
 このように「金の力」は、家庭から国家まで、深く幅広く浸透しています。

 「暴力」は、暴行、傷害、虐待、殺害、テロ、戦争などにより、人々を思い通りに
しようとすることです。
 ところで暴力には、「金の暴力」とか「数の暴力」、あるいは「言葉の暴力」(私は
「論理の暴力」もあると思っています)というのも考えられます。しかしそれを言うと
話がややこしくなるので、ここではそれを考えないことにします。

                 * * * * *

 私は、これら「真理の力」、「金の力」、「暴力」には、ある種の「階層構造」がある
ように思います。
 私の価値観で言えば、上から順に、真理の力、金の力、暴力です。
 上のものほど理想的ですが、しかし人を動かす強制力は弱くなります。そして下に
行くほど野蛮になり、強制力が強くなります。

 人類の理想としては、「暴力」から「金の力」へ、そして「真理の力」へと進歩する
べきなのでしょう。
 事実、戦争を放棄して高度経済成長を遂げていたころの日本は、この進歩の
流れに沿っていたように思いました。(しかし、公害や環境破壊の問題もありまし
たが・・・)

 ところが最近の世の中を見ると、「真理の力」を「金の力」でねじ伏せ、さらには
「暴力」にさえ訴えるということが、横行しているように思えます。
 金の力で行われる、さまざまな不正・・・。
 暴行、虐待、殺人、テロ、戦争・・・。
 日本だけでなく世界を見ても、真理より金、金より暴力という流れが、どうしても見え
てしまいます。
 「強いものが勝てばそれでいい!」という「力の論理」をどこまでも押し進めれば、
必然的にそうなってしまうのでしょう。

 しかし、人類に希望がまったくない訳でもありません。「真理の力」で動いている
人々も、世界中にたくさんいるからです。
 それは例えば、災害救援のボランティアの人々や、その他各種のボランティアの
人々。あるいは、いろいろな慈善事業に携わっている人々です。
 これらの人々は、金のために働いている訳ではないし、銃を突きつけられて強制
的に労働をさせられている訳でもありません。
 この人たちが働く動機は、愛や慈悲・・・ つまり他人を思いやる心です。世界中に
は、このような人々もたくさんいるのです。

 たしかに「真理の力」は、「暴力」や「金の力」に比べると弱々しくて目立ちません。
 しかし人類の歴史を見ると、「真理の力」で動く人々が、いつの時代にも必ずいまし
た。つまり、人類から「真理の力」が消えることはないのです。
 それは第二次世界大戦の後に、平和な時代が訪れたことでも明らかです。人類が
その歴史上、いちばん暴力に支配された時代であっても、「真理の力」の種は消えな
かったのです。

 いくら「金の力」や「暴力」が世の中を支配しても、人類から「真理の力」が消えること
は絶対にありません。
 「真理の力」は、人間が存在し続けるかぎり存在するのです!
 それは、人類から「金の力」や「暴力」が消えることがないのと同じぐらいに、「真理
の力」も人類から消えることがないのです。

 そこに私は、人類への望みをつなげたいと思います。



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