心の汚れについて 2004年12月26日 寺岡克哉
私は、心の汚(けが)れやすい人間です。
しかも最近まで、そのことに全く気がつかず、自覚もありませんでした。
しかし今は、「心の汚れ」について少しは自覚できるようになりました。というよりは、
「心の汚れ」とは何なのかを、理解できるようになったのです。
ここでは、その「心の汚れ」についてお話したいと思います。
ところで、ここでお話しようと思う「心の汚れ」とは、性的にみだらな思いで異性を見
たり、異性と接するという意味ではありません。もちろんそれも「心の汚れ」には違い
ないのですが、ここでお話したいのは、それとは違う「心の汚れ」なのです。
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以下は、「ダンマパダ」という仏教経典の一節です。
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他人の過失を探し求め、つねに怒りたける人は、「煩悩の汚れ」が増大する。
かれは煩悩の汚れの消滅から遠く隔たっている。
(ブッダの真理の言葉 中村元 訳 岩波文庫)
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ここで言われている「心の汚れ」とは、怒り、憎悪、イライラ、不寛容などのことで
はないかと思います。実は、このようなものも「心の汚れ」だったのです。
私は最近まで、そのような意識をまったく持ったことがありませんでした。それで、
「心の汚れ」に対する自覚もなかったのです。
しかしそれが自覚できるようになった今は、他人と言い争いをして感情的になっ
たり、マスコミの報道を見たり、むかしに受けた屈辱を思い出したときなどに、「自分
の心が汚れていること」に気がつくようになりました。
エゴをむき出しの醜い言い争いをすれば、「所詮、(自分も含めて)人間なんて、
自分勝手で醜い生きものなのだ!」などと思ってしまいます。そのとき、私の心は
汚れています。
凶悪犯罪や、テロや戦争などの報道が目に入ると、「こんな愚かな人類など、いつ
までも永遠に苦しみ、のたうち回っていればよいのだ!」などと思ってしまいます。
そのとき、私の心は汚れています。
自分がむかしに受けた屈辱を思い出すと、
「私に屈辱を与えたあいつが、いつか不幸になればいい!」とか、
「何とかして、あいつに復讐してやる方法はないか?」
などと思ってしまいます。そのとき、私の心は汚れているのです。
心が汚れると、穏やかで優しい気持ちが吹き飛んでしまいます。思いやりや、いた
わりの心がなくなってしまいます。
そして、怒り、憎しみ、イライラばかりが込み上げてきます。とても不寛容になり、
他人を絶対に赦せなくなってしまいます。
心が汚れると、ほんとうに不愉快になり、嫌な気持ちになってしまいます。
* * * * *
いまの世の中、無意識にすごしていれば、どうしても心が汚されてしまいます。それ
ほど、怒りや憎悪やイライラを掻き立てるものが、いまの世の中には多すぎます。
それに加えて、むかしに受けた屈辱をいつまでも執念深く忘れずにいれば、それこ
そ心の中は、つねに怒りや憎悪でいっぱいになってしまいます。
いつもイライラし、ちょっとしたことでキレやすくなり、他人を赦すことが出来なくなっ
てしまいます。
そのような「心の汚れている状態」が何年も続けば、ついついヤケになって暴力や
虐待に走ってしまう人間も、いまの世の中には少なからずいるのではないでしょうか。
そのような事態を避けるためには、「心の汚れ」に敏感に気がつき、そのつど反省
をしなければなりません。
そのためには、マスコミ報道、学校、会社、家庭などからはなれた「自分ひとりだけ
のプライベートな時間」というのを、一日に30分でもよいから毎日持つようにすれば
良いと思います。
そして、「座禅」や「祈り」による瞑想をおこなうのです。そのときに、愛、優しさ、いた
わり、思いやり、赦し、やすらぎなどの感情を思い起こし、その心を育てるようにします。
心の状態を毎日チェックし、心を自然な状態にリセットし、心をまともな状態にもどす
のです。
ときおり、「新約聖書」や「ダンマパダ」などに目を通すのも良いかと思います。
そのようにすると、「心の汚れていない状態」というのを毎日確認することができま
す。そうすれば、「心の汚れた状態」も敏感に自覚できるようになり、そのつど反省
ができるようになるのです。
いまの世の中には、「人の心を汚すもの」が本当にたくさんあります。だから何も
考えないで毎日を過ごしていれば、どんどん心が汚されてしまいます。
しかも、(最近までの私を含めて)かなり多くの人間が、そのことに全く気がついて
いないのではないでしょうか。私はそれを肌で感じます。なぜなら、何となく世の中の
全体に、怒り、憎しみ、不寛容、虐待などが、蔓延しているように感じるからです。
(それが単なる、私の思い過ごしであればよいのですが・・・ )
とにかく、ひとり一人のそれぞれが「心の汚れ」に敏感に気がつき、そのつど反省を
して、つねに心を冷静に安らかに保つこと。それは、社会の平和と安全にとって、とて
も大切なことだと思います。
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