心の教育について      2004年12月19日 寺岡克哉


 いまの日本には、「心の教育が重要である!」という認識が少し欠けているの
ではないでしょうか?
 良識や良心、そして命の尊さなどを子供や青少年たちに伝え、育てていくための
「心の教育」。その大切さを、世間一般の大人たちはあまり理解していないのでは
ないでしょうか?
 少なくとも学力低下の問題にくらべたら、「心の教育」の問題はあまりにも
軽視されている
のではないでしょうか?
 もちろん学校の先生方の中には、「心の教育」にとても強い関心をもち、実際の
教育現場で取りくんでおられる方も少なくありません。しかし、マスコミでの取り扱わ
れ方や、世間一般の認識は、あまりにも低いのではないでしょうか?

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 ところで、私自身の経験から言えば、「心の教育」には少なくとも15年から20年
ぐらいの歳月が必要ではないかと考えています。(その詳しい話は、エッセイ92の
「人の心」の形成 を参照して下さい。)
 つまり、小学校1年生から高校3年生までの12年間で、大学受験に必要
な学力を身につけることよりも、「心の教育」の方がさらに難しいし、時間が
かかるのです。
(事実、自分の経験から私はそのように強く感じます。)
 「心の教育」がそれぐらい難しく、また時間のかかることを、ほとんどの人は理解し
ていないのではないでしょうか?

 高校生や中学生、さらには小学生の子供でも犯すようになってしまった犯罪・・・
ここに、「心の教育」が欠如すれば、子供や青少年が何を犯すかの実例があります。
 有名大学の学生が犯す犯罪・・・ ここに、いくら高度な知識や教養を身につけても、
「心の教育」が欠如すれば青年が何を犯すかの実例があります。
 家庭内でのDVや、幼児や児童への虐待・・・ ここに、いくら結婚して子供をもち、
30代になっても40代になっても、「心の教育」が欠如すれば人間が何を犯すかの
実例があります。
 企業や官庁の幹部が、部下に命令して行う組織ぐるみの不正・・・ ここに、いくら
仕事に成功して社会的な地位を築き、50代になっても60代になっても、「心の教育」
が欠如すれば人間が何を犯すかの実例があるのです。

 なにも子供や青少年だけが問題ではないのです!
 「心の教育」の欠如は、すべての世代にわたって蔓延しているのです!
 このように「心の教育」とは、できるだけ早い時期から始めなければならないし、
さらには一生を通して行わなければならないものなのです。

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 「心の教育」は、子供から大人までの全ての人間に普及させなければなりません。
しかしそのためには、公的資金の援助がどうしても必要になるでしょう。なぜなら、
「心の教育」が商業ベースに乗るとはとても思えないからです。(もしも「心の教育」
が商業ベースに乗るようであれば、そんな「心の教育」など非常に怪しいし、信用が
できません。)
 しかし公的資金の導入により、「心の教育」が、国家による強制的な思想教育に
なってしまってはいけません。それには細心の注意が必要です。

 ところで私は、人を指導する立場の人間や、人の手本となるべき人間の不正
や犯罪が、「心の教育」の足をいちばん引っ張っているように思えてなりません。

 政治家、企業や官庁(とくに警察)の幹部、医師や看護士、弁護士、教職者や大学
教授・・・ これら、責任ある仕事についている人間の不正や犯罪が、「心の教育」の
足をいちばん引っ張っているのです。

 その証拠にたとえば、
 「政治家や警察や、学校の先生だって悪いことをやりたい放題にやっているのに、
なんでオレだけが悪いことをしたらダメなんだよ!」
と、青少年の若者に言われたら、大人は返す言葉がなくなってしまいます。そして、
 「うるさい!」
 「やかましい!」
 「好きにしろ!」
というような、まことに無能で幼稚な言葉しか返すことが出来なくなくなってしまいま
す。そして子供や青少年たちから、大人がますますバカにされてしまうのです。

 子供や青少年たちに、大人の権威をもって心の教育を伝えるためには、まずその
前に、大人どうしがきっちりとケジメをつけなければなりません。
 「悪い大人」を社会にのさばらせておいてはいけないのです。それをうやむやにして
おきながら、子供や青少年たちに「心の教育」を押しつけても、彼らは絶対に納得し
ないでしょう。
 「心の教育」の問題は、子供や青少年たちよりも、むしろ大人たちの方に大きな
問題があるのです。そのような自覚も、いまの社会にはまったく欠けているのではな
いでしょうか?
 大人たちの心が良くなれば、それを見て育つ子供や青少年たちの心も、自然に
良くなって行くのです。
 逆に、「悪い大人」がいつまでも社会にのさばっていれば、いくら「心の教育」に力
をそそいでも、子供や青少年たちの心はますます荒れて行くでしょう。

                * * * * *

 青年やシニアの海外協力隊。赤十字、ユニセフ、NGOの活動。災害の救援ボラン
ティアや、その他各種のボランティア。各種の市民団体や市民サークル。町内会、
子ども会、青年団などの地域社会での交流・・・。
 そのような所に、「生きた心の教育」の実践の場があるように思います。私はそこ
に、希望の光を見い出したいと思います。

 このような仕事に参加する大人たちが増えること。そして、そのような仕事を一生
懸命にやっている大人と、子供たちとの触れ合いの場をたくさん作ること。そのよう
にすれば、「心の教育」も自然に広がっていくのではないでしょうか。
 しかしながら、このような「心が善くなる仕事」や「心を善くする仕事」は、収入がとて
も少ないか、ほとんど収入がないというのが現状でしょう。だから、寄付金や公的資
金の援助がどうしても必要になるのです。

 とにかく「心の教育」は、学校だけで出来るものではありません。心の教育を学校
だけに押しつけようとするのは問題外です。
 そしてさらに、「心の教育」は一般の社会人に対しても絶対に必要です。しかも、
社会的な地位が高ければ高いほど、「心の教育」をしっかりと身につけなければなり
ません。

 「心の教育」の問題は、まさに社会全体のあり方の問題だと思います。



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