周りに自分を合わせること 2004年9月26日 寺岡克哉


 私は、「周りの人間に自分を合わせてしまうこと」もまた、自己否定の起こる原因
の一つではないかと考えています。
 なぜなら、周りに自分を合わせるためには、「本当の自分」を押し殺さなければ
ならないからです。そしてそれは、自分で自分を否定している状態、つまり自己否定
の状態だからです。

 しかしながら人間は、周りに自分を合わせていないと不安でたまりません。周りの
人間と違うふるまいをしたり、周りと違う意見を言うのがとても恐ろしいのです。とく
に日本人は、その傾向が強いのではないでしょうか。

 むかし私は、こんな笑い話を聞いたことがあります。
 いろいろな国の人々を乗せた豪華客船が、事故にあって今まさに沈没するところ
です。救命ボートには、子供と女性を乗せる余裕しかありません。それで男性は、
救命胴衣をつけて海に飛び込まなければならないのです。船の船長は、男性客た
ちを説得して奮い立たさなければなりません。
 そのとき船長は、イギリス人に「ジェントルマンなら海に飛び込め!」と言いました。
すると、紳士的な態度を重んじるイギリス人は海に飛び込みました。
 ドイツ人には、「この状況から論理的に考えて、男性は海に飛び込まなければな
らない!」と言いました。すると、論理を重んじるドイツ人は海に飛び込みました。
 アメリカ人には、「あなたには保険金が掛けられてあるから、安心して海に飛び込
め!」とい言いました。すると、お金を重んじるアメリカ人は海に飛び込みました。
 そのようにして、他の国の人々はみんな海に飛び込みました。そして最後に、船長
は日本人に言いました。
 「ほかの周りの人々は、みんな海に飛び込んでいるぞ!」
 するとどうでしょう、それまでグズグズしていた日本人は、急いで海に飛び込みま
した・・・ 。
 この話は、いろいろな国民性、とくに日本の国民性がよく表されていて面白と思い
ます。

 「周りの人間は、みんなやっているぞ!」
 「そうしないのは、おまえだけだ!」
 「周りの人間は、みんなそう思っているぞ!」
 「そう思っていないのは、おまえだけだ!」
 このような言葉ほど、日本人を震え上がらせる言葉はありません。やはり日本人
は、周りに合わせてしまう傾向が強いのだと思います。

 そしてそれは、私も例外ではありません。
 今でこそ私は、自分の意見を外に向かって言えるようになりました。しかし昔は、
周りに合わせて「本当の自分」を表に出さない子供だったのです。
 「油断して本当の自分を出したら、周りのみんなを敵に回してしまうぞ!」と、いつ
もそのように思っていました。
 とくに私は、ふつうの子供よりその傾向が強かったかも知れません。というのは、
父の仕事の都合で私は何回も転校させられたからです。
 小学校は2回変わり、中学校は1回変わりました。つまり私は、3つの小学校と
2つの中学校に通ったのです。

 その当時、転校してまず始めにやらなければならないことは、周りの雰囲気を敏
感に感じとり、それに自分を合わせることでした。つまり「周りに自分を合わせるこ
と」が、最初にやらなければならない最も大切なことなのです。
 もしもそれを怠れば、周りのみんなから反感を買ってしまいます。前の学校にいた
ときの常識も通用しません。「前の学校では、それが常識だった!」と言ってみたと
ころで、「あの転校生は生意気だ!」とみんなから思われてしまうだけです。
 転校してしばらくの間は、周りとの違和感をつよく感じていました。

 ところでこれは、「いじめを受ける恐怖」と少し似ているかも知れません。
 私は、今の時代のような「いじめ」を受けたことはありません。しかし転校したての
頃は、私もよく仲間はずれにされました。
 ところが私が子供のころは、あるグループから仲間はずれにされても、ちがうグル
ープが仲間に入れてくれたり、あるいはグループなど関係なしに友だちになってくれ
る親友が、二人や三人は必ずいたのです。
 だから今の時代の「いじめ」のように、クラスの全員から無視されるようなことは
ありませんでした。
 このような「クラスぐるみのいじめ」なども、じつは「周りの人間に自分を合わせてし
まうこと」が根底にあるのではないでしょうか。

 そしてこれは、大人の社会でも同じように言えます。
 たとえば、不正の内部告発者に対する、会社や組織ぐるみのいじめ。さらには民
族の差別や、戦争時にそれに反対する人間を非国民扱いにする「国家ぐるみの
いじめ」なども、「周りの人間に自分を合わせてしまうこと」が温床になっていると思い
ます。

 たしかに、自分をまったく周りに合わさないのは問題外です。それは、社会生活の
否定を意味するからです。
 しかし、周りに自分を合わせすぎることにも問題があるのです。なぜならそれが、
「自己否定」や「いじめ」を蔓延させる温床になっているからです。
 そしてまた、あまりにも周りに自分を合わせ過ぎていると、ウップンが溜まりに溜ま
って限界をこえてしまいます。それにも大きな問題があります。
 たとえば、自己主張を全くすることがなく、普段はとてもおとなしい人が、あるとき
突然にキレて暴力的になることが少なからずあるのではないでしょうか。
 他人とおりあいが悪くならない程度に、適度な自己主張をすることは、とても大切
なことだと私は思います。

 私が、外に向かって自分の気持ちや意見を言えるようになったいきさつは、次回で
お話したいと思います。



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