何のために生きるのか 1   2004年8月1日 寺岡克哉


 人は何のために生きるのか?
 この問題に悩む人は、今も昔も世界中にたくさんいます。
 もちろん私も例外ではなく、長年にわたってこの問題に悩まされてきました。

 この問題はとても難しく、簡単に答えが見つかりそうもありません。それでも年齢
を重ねるうちに、その答えが少しずつ分かってきたような気もしています。
 もちろん、「完全な答え」など見つかるはずがありません。しかし10代や20代の
頃の私とくらべると、ずいぶん色々なことが分かってきました。
 それで、今まで私が分かったことを、ここでいちど整理してみたいと思いました。

 ところで・・・
 「何のために生きるかなど、考えても意味がない!」
 「この世に生まれたからには、死ぬまで生きるだけだ!」
 「それが現実であり、いくらクドクド考えたところで、それ以外の答えなどない!」
と言う人も、たくさんいるかと思います。とくに、日々の仕事や生活に追われて忙しい
人々は、このような答えを好むのではないでしょうか?
 これは確かにもっともな答えで、これで議論を封じることは出来ます。しかし私は、
これでは話がちょっと乱暴すぎると思うのです。そしてこのような答えでは、私は満
足することが出来ませんし、きっと皆さんもそうだと思います。

 「何のために生きるのか?」を考えるのは、「より良く生きたい!」という人間の意志
の現れだと思います。だからこのような疑問を持つのは、人間として当然のことだと
思うのです。
 もしも全ての人間が、「何のために生きるのか?」をまったく考えなくなったら、その
時点で人類の進歩も止まってしまうのではないでしょうか。
 これは人類の永遠のテーマであり、人間がつねに考えなければならない問題だと
思うのです。

                 * * * * *

 人は「何のため」に生きるのか?

 これに対して、いちばん最初に気がつく答えは、「死にたくないため」に生きて
いるというものです。
 これはまったくの事実で、とくに何も考える必要はありません。このことは、3歳児
の子供でも「生存本能」でちゃんと知っているからです。
 そして人間以外の動物ならば、この答えでまったく正しいのです。彼らには、「生き
る目的」や「生きる意味」など必要ないからです。彼らは、ただ生存本能によって
「死にたくないから生きている」だけなのです。

 しかし人間は、「いつか自分は必ず死ぬ!」と知ってしまいました。
 だから、「いつか必ず死ぬのに、なぜ生きなければならないのか?」という問題が、
どうしても生じてしまうのです。
 せっかく苦労して生きても、結局最後には必ず死んでしまうのです。それなのに
なぜ、わざわざ苦労してまで生きなければならないのか? という問題です。

 ところで・・・
 「どうせ死ぬのは分かっているのだから、生きている間に、自分の欲望や快楽を
思う存分に満たせばよい!」と、考える人も多いかもしれません。
 ここで言う欲望や快楽とは、金や権力への欲望や、食欲や性的快楽だけではあ
りません。いろいろな仕事や活動、研究、発明、発見、芸術的な創造などへの欲求
や、それらを達成することによる快楽も含みます。
 このように考えると、ほとんど全ての人間が「自分の欲望や快楽を満たすため」
に生きていると言えないでしょうか?
 しかしこれでは、「自分が死ねばすべて終わり」になってしまうのです。

 それで人類は、「あの世」を考え出しました。
 つまり、「あの世で天国に行くため」に生きるのです。
 死後に天国へ行き、永遠の幸福を得るために、この世で苦労をしながら正しく生き
抜くのです。
 これによってはじめて、「いつか必ず死ぬのに、なぜ生きなければならないのか?」
という問題に、まがりなりにも答えが与えられました。

 しかし「あの世」は、生きているうちに、その存在を実感することが出来ません。
 そしてまた、「死ねばあの世を実感できる」という、確かな証拠もありません。
 だから、「あの世の存在」を心の底から信じきることは、多くの現代人にとって難し
いと思うのです。

 そしてまた、
 「死んで天国に行くなら、この世では好き放題に生きればいい!」とか、
 「苦労して長々と生き続けるより、早く死んで天国に行きたい!」
と、いうような考えを封じる必要があります。だから「地獄」の話も作らなければなり
ません。
 「この世で正しい生き方をしなかったり、自殺をしたりすれば、あの世で地獄に落
ちるぞ!」という具合にです。

 そうこうしている間に、まるで見てきたかのような「あの世の話」が、世界中でたくさ
ん作られてしまいました。
 天国には、神がいるのか、仏がいるのか、天帝がいるのか、天使がいるのか、
天女がいるのか、仙人がいるのか? あるいは地獄には、悪魔がいるのか、鬼が
いるのか? どれを信じたらよいのか、さっぱり分かりません。

 しかも天国や地獄を、金儲けの道具にする者がたくさん現れました。
 「地獄に落ちたくなければ、私にお金を支払いなさい!」(寺院や教会に、お布施や
捧げものをしなさい。)
 「そうすれば、天国に行けるように取り計らってあげます。」(あなたの行った悪業
を滅し、罪を清めて、死んだときに天国へ行けるようにしてあげます。)
 と、いうようにです。それでますます、「あの世の存在」は信じ難いものになってしま
いました。

 しかし私は、「あの世の存在」を否定しようとは思いません。
 「あの世の存在」を信じることで、かろうじて生き続けている人も、世界中にたくさん
いると思うからです。
 その人たちから無理やりに「あの世」を取り上げてしまうのは、いじめや脅迫によっ
て自殺に追いやるのにも等しい行為だと、私は思うのです。

               * * * * *

 人は「何のため」に生きるのか?

 この問題に対して、今の私がいちばん確信を持っている答えは、「永遠の生命
のため」
に生きるというものです。
 しかし私の言う「永遠の生命」とは、「あの世における永遠の生命」のことではあり
ません。私の死後にもこの世に存在し続ける、「私の永遠の生命」のことです。

 申し訳ありませんが、それについては次回にお話したいと思います。



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