人間の存在は「悪」か? 2004年7月25日 寺岡克哉
「人間」などというものが存在するから、この世に「悪」も存在するのだ!
エゴイズムをむき出しの醜い争い。
うそ、偽り、盗み、詐欺、不正。
いじめ、虐待、暴力、殺人、テロ、戦争・・・。
「人間」さえ存在しなければ、これらの「悪」も全て存在しないのだ!
だから、「人間の存在そのもの」が悪なのだ!
と、このように考えてしまう人も、少なからずいるのではないでしょうか? とくに
厭世的な人は、このような考えに取りつかれやすいと思います。
「人間の存在そのもの」が、悪なのではないか?
だから本当は、人間などこの世に存在しない方が良いのではないか?
この忌々しい疑問は、今でも執拗に私を責めたてます。
前回の最後でちょっと触れましたが、今回はこのことについて、もう少し詳しく考
えてみたいと思います。
* * * * *
私は、「人間を善くするため」に「悪という概念」が存在するのであって、「人間の
存在を否定するため」に、悪という概念が存在するのではないと考えています。
人間を、より善い存在にするため。
人間を、より好ましい存在にするため。
人間を、より素晴らしい存在にするため。
そのために、「悪という概念」が存在するのです。
だから決して、
「人間の存在は悪だ!」とか、
「人間など、この世に存在しない方が良いのだ!」というように、
「人間の存在を否定するため」に、悪という概念が存在する訳ではないのです。
なぜ私がそう考えるのかと言えば、たとえば人間に、
「悪」を知る能力や、「悪は悪い!」と判断する能力。
あるいは、悪を忌み嫌う性質や、悪を憎む性質。
さらには、悪を退け、自ら悪を行わず、他人にも悪を行わせないようにする行動。
これらがまったく存在しなければ、「より善い存在になろう!」という動機が人間に
起こるはずがないからです。
人間は「悪」を知るからこそ、「さらに善い存在」になれるのです。
そしてまた、もしも「人間」が存在しなければ、「悪という概念」は意味を持たない
し、そもそも「悪という概念」すら存在しなくなります。それは、動物や植物に「悪の
概念」など存在しないことから分かります。
まず最初に「人間」が存在してはじめて、「悪の概念」も存在し得るのです。だか
ら「人間の存在」は、「悪の存在」よりも先にあるのです。
そしてもしも、人間の存在が「本質的に悪」であり、神の意志(宇宙の全体を司る
自然法則)に逆らうものであるならば、そもそも人類がこの地球上に誕生する訳が
ありません。
さらには、もしも何かの間違いで全くの偶然に人類が誕生しても、人間の存在が
自然法則に逆らうのであれば、人類が今まで存在できる訳がないのです。
だから今のところ人類は、神の意志(自然法則)によって、その存在を否定され
てはいません。
ゆえに、「人間に悪が存在すること」を理由にして、「人間の存在を否定すること」
は間違いなのです。
以上から、「人間を善くするため」に悪の概念が存在するのであり、「人間の
存在を否定するため」に悪の概念が存在するのではないと、私は考えるわけ
です。
* * * * *
ところで、人間に「悪を知る能力」が存在しなければ、人類のみならず、地球の
生命全体をも滅ぼしてしまう危険があります。
もしも人間が「悪」を知らず、人間のもつ欲望のままに、何でもかんでも無制限に
やりたい放題にやれば、
大規模な戦争や大量殺戮。
万人の万人による殺し合い。
化学物質や放射性物質による、地球規模の環境汚染。
地下資源や生物資源の枯渇。
自然や生態系の壊滅的な破壊。
これらのことが、当然のように起こります。
人類が末永く存続するため、さらには地球の生命全体が永遠に存続するために
は、人間が「悪」を知り、それを退け、避ける必要がどうしてもあるのです!
もしも人間に「悪を知る能力」がまったく存在しなかったら、人類はとっくの昔に絶
滅していただろうと思います。しかも最悪の場合は、地球の自然や生態系をも壊滅
させていたかも知れません。
このように考えると、人類全体や生命全体を守るために、「悪という概念」が
存在するとも言えるのです。
もしも人間に「悪という概念」が存在しなかったら、それこそ人類は、取り返しの
つかない「巨大な悪」を行っているに違いありません。
ところで私は、人間には常に「悪」がつきまとうと考えています。
つまり、人間がどんなに「善い存在」になったとしても、人間から「悪」が完全に消
え去ることは、絶対にないと思うのです。
なぜなら人間がさらに善くなれば、それまでは「悪」と認識されていなかったもの
が、「悪」と認識されるようになるからです。
たとえば昔は、奴隷制度や人身売買、売春、略奪婚、人間の生けにえ、さらに一
部の社会では「人を殺してその肉を食べること」さえも、「悪」であるとは認識されて
いませんでした。
しかし、人類の良識が進歩するにしたがって(つまり人間が「より善い存在」になる
ことによって)、それらは「悪」と認識されるようになったのです。
人間が「さらに善い存在」になって行けば、動物の虐待は言うまでもなく、クジラの
みならずウシやブタなどの大型哺乳類を殺して食べること、あるいは新薬を開発す
るための動物実験なども、「悪である!」と認識されるようになると思います。
このように、たとえ人間がどんなに「善い存在」になっても、人間から「悪」が
完全に消え去ることは、絶対にないと思います。
しかしそれは、「人間の存在が本質的に悪だから」では、決してありません。
もしそうであれば、人類がこの世に存在できる訳がないからです。
人間に「悪」が存在するのは、人間が「さらに善い存在」になるため、そして人
類全体や生命全体を滅亡から守るためなのです。
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