「悪」とは何か 2004年7月18日 寺岡克哉
「悪いことは悪い!」と感じるのは、ふつうに良識や良心を持っていれば当たり
前のことです。この実感には、これと言った理由や根拠が見い出せません。
心の底に焼きつけられている良識や良心、つまり「人の心」としての神性や仏性
が、無意識的直感的に働いて、「悪いことは悪い!」と人間に感じさせるのです。
しかしながら、なぜ「悪」は悪いのでしょうか?
「悪」とは、一体何なのでしょうか?
今回は、そのことについて少し考えてみたいのです。
* * * * *
「悪」は、なぜ悪いのか?
この、一見すると屁理屈にも思えるような質問を発すれば、
「悪いこと」を、人間は「悪」と名づけてそう呼んだのだ!
だから、「悪」が悪いのは当たり前だ!
「悪いこと」は悪いから、「悪」と言うのだ!
と、お叱りを受けてしまいそうです。(そしてまた、これで議論をかたづけてしまいた
い人も、たくさんいるかと思います。)
しかしそれでは、「独善」に陥ってしまう危険があるのです!
「悪は悪であり、一つ残らず滅ぼさなければならない!」・・・ この一方的な独善
によって、いかに多くの人類の血が流されたかは、歴史を見れば明らかです。そし
て現に今も、この独善によって多くの人々の血が流されています。
だから私は、「悪」に対する論理的な考察も、多少は必要だと思うわけです。
なぜ、「悪」は悪いのか?
私はそれを、次のように考えます。
「悪は滅びる!」という言葉がありますが、私は「滅びるものが悪なのだ!」と思っ
ています。だから「悪がなぜ悪いのか?」といえば、それは悪が世の中にはびこる
と、滅びてしまうから悪いのです。
たとえば、殺人、大量殺戮、核戦争、地球環境の壊滅的な破壊・・・。
このような「悪」が、何の抑制もなく無制限に行われてしまったら、人類のみならず
生命全体をも滅ぼしてしまいます。そしてそれは、「悪」を行った当の本人も例外で
はありません。
「悪」は周囲の生命を滅ぼし、そのあげくの果てに自らも滅びてしまいます。つまり
「悪」を無制限にはびこらせると、人類全体や生命全体が滅んでしまうのです。だか
ら「悪」は悪いのです。
生命の存続を危ぶませ、滅亡に導くもの。
生命の進歩や発展を妨げるもの。
人間(を含むあらゆる生命)から、生きる力や生命力を失わせるもの。
このような、
「生命の存続と発展を阻害させるもの」や、
「生命の存在を否定するもの」。
つまり、「生命を滅ぼすもの」が「悪」なのだと、私は考えているのです。
たとえば宗教も、怪しげな儀式を行って人を殺したり、テロや戦争を煽り立てたり
すれば、「悪」になります。
科学技術も、大量破壊兵器を実用化したり、地球の自然を壊滅的に破壊すれば、
「悪」になります。
そして経済発展も、
国益のためと称して戦争を起こしたり、
貧富の差を拡大させて、貧しい者をさらなる貧困に追いやったり、
拝金主義や効率主義に陥って、「人の心」や「人間性」を失ったり、
過労による事故や過労死、過労自殺が起こるまで人間を酷使したり、
大気や海洋、あるいは土壌を大規模に汚染したり、
大量の森林伐採によって、地球の砂漠化を促進させたり、
二酸化炭素の大量放出によって、地球の温暖化を促進したり、
地球の地下資源や生物資源を枯渇させれば、「悪」になってしまうのです。
* * * * *
ところで私は、「苦しみの存在」が悪だとは考えていません。
たしかに「悪」は、大きな苦しみを招きます。しかしだからと言って、苦しみの全て
が悪ではないのです。
なぜなら、生命の存続と発展のための「苦しみ」は、悪ではないからです。
たとえば、
子供を出産するときの母親の苦しみ。
怪我や病気の苦痛。(この苦しみが存在しなければ、怪我や病気を治そうとせ
ずに死んでしまいます。)
より良く正しく生きるための苦悩、人生の悩み。
平和を維持したり、飢餓や貧困をなくするための労苦。
野生の動植物を保護したり、地球環境を守るための苦労。
これらの「苦しみ」が、悪であるはずがありません。
だから「苦しみの存在」が悪なのではなく、やはり、生命の存続と発展を阻害す
るもの、つまり「生命を滅ぼすもの」が「悪」なのだと私は思います。
ところで・・・ 人類の存在は、「悪」なのでしょうか?
私は、人類の存在が人類を滅亡に導くだけでなく、地球の生命全体をも滅亡に
導くものであるならば、人類の存在は「悪である」と考えます。
しかし人類の存在が、生命全体の存続と発展に貢献するものであるならば、ある
いは、地球の生命を滅亡の危機から救うものであるならば、人類の存在は「悪では
ない」と考えます。
人類の存在を「悪」にするのかどうかは、すべて我々人類にかかっているの
です。
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