神の御業 30
2026年3月1日 寺岡克哉
30章 自我意識の存在
私たち一人ひとり、つまり「一個人」にとって最大の「神の御業」は、「自我意識の存
在」だと言えるでしょう。この章では、そのことについて述べたいと思います。
* * * * *
ところで「自我意識」というのは、「自分が生きていること」や、「自分が存在している
こと」を認識する意識です。
また、自分と外界を区別し、「自分は一人しか存在しない!」と言う、「自己の独自性」
を認識するのも自我意識です。
そしてまた、今日の自分も、昨日の自分も、1週間前の自分も、1年前の自分も、10
年前の自分も、つねに同じ自分であるという「自己の同一性」を認識するのも自我意識で
す。
さらには、自分の欲求や希望、目標などを自らの意思で実現させようとする、「能動的
な思考や行動」を生じさせるのも自我意識なのです。
当然ですが、この自我意識が働いている間は、一時も休むことなく「自分は生きて存在
している!」と自覚しつづけます。
自我意識によって、考えたり、思ったり、悩んだり、喜んだり、楽しんだり、愛したり、
怒ったり、憎んだり、悲しんだり、苦しんだり、見たり、聞いたり、味わったり、匂った
り、話したり、触ったり、歩いたり、走ったり、その他さまざまな行動をするから、「自
分は生きて存在している!」と常に自覚するわけです。
このように私たちは、自我意識が存在するのを何時(いつ)も自覚しつづけているので、
自分に自我意識が存在するのが、まったく当たり前のように感じています。
* * * * *
ところが!
自分の自我意識が存在するというのは、それぞれ一個人にとって最大の奇跡であり、最
大の「神の御業」なのです。
なぜなら・・・
例えば、ビッグバンが起こる以前において、さまざまな未知の自然法則や、さまざまな
未知の因果関係や、さまざまな偶然や必然が、無限の過去から無数に続いてきた結果とし
て、およそ140億年前にビッグバンが起こらなければ、自分の自我意識は存在できなかっ
たからです。
また例えば、ビッグバンの莫大なエネルギーから、水素やヘリウムなどの原子、つまり
物質が作られなければ、自分の自我意識は存在できなかったからです。
また例えば、それらの原子が集まって「恒星」が作られ、その恒星の中心部で核融合が
起こり、水素やヘリウムを原料にして、酸素、炭素、窒素、カルシウム、イオウ、リン、
鉄など、生物に欠くことのできない様々な種類の原子が作られなければ、自分の自我意識
は存在できなかったからです。
また例えば、宇宙に漂(ただよ)う膨大な星間物質が集まって、さまざまな恒星や銀河、
太陽系、そして地球が作られなければ、自分の自我意識は存在できなかったからです。
また例えば、地球に空(大気)や大地や海が作られなければ、自分の自我意識は存在で
きなかったからです。
また例えば、地球の海の中で、さまざまな原子が結合して分子や高分子が作られなけれ
ば、自分の自我意識は存在できなかったからです。
また例えば、さまざまな高分子が複雑に組み合わさって、地球に生命が誕生しなければ、
自分の自我意識は存在できなかったからです。
また例えば、生命が進化して、単細胞生物から多細胞生物、無脊椎(むせきつい)動物、
脊椎動物、魚類、両生類、爬虫類、哺乳類、サルの仲間、そしてヒトが誕生しなければ、
自分の自我意識は存在できなかったからです。
つまり、1章から18章まで述べたことの全てが達成されなかったら、自分の自我意識
は存在できなかったのです。
* * * * *
しかし、それだけではありません。
なぜなら地球上に人類が誕生しても、自分の両親が生まれなければ、自分の自我意識は
存在できなかったからです。
そしてさらには、自分の両親が偶然に出会い、結婚しなければ、自分の自我意識は存在
できなかったからです。
ところが!
自分の両親が、たとえ何人もの子供を作ったとしても、自分の自我意識が存在できる保
証はじつは無かったのです。
なぜなら自分が生まれるとき、父親の何億もの精子の内、一つ隣の別の精子が受精すれ
ば、自分の自我意識は存在できなかったからです。だから、違う日に行われた交接によっ
て受精しても、自分の自我意識は存在できなかったのです。それは、兄弟の場合を考えれ
ば明白です。
さらには、もしも自分が一卵性の双生児(同じ受精卵から生まれた双子で、全く同じD
NAを持つ)であっても、自分の双子の兄弟には、自分の自我意識は存在しません。彼に
存在するのは、彼の自我意識」です。
だから、もしも自分と全く同じDNAを持つ「クローン人間」を作ることができたとし
ても、そのクローン人間には自分の自我意識は存在しないでしょう。彼に存在するのは、
彼の自我意識なのです。
このように、自分の両親から、自分とまったく同じDNAを持つ子供が生まれたとして
も、その子供に自分の自我意識が存在する保証は、まったく無かったわけです。
だから自分の自我意識が存在するという事実は、どうにも説明できない、まったく不可
解で奇跡的な出来事なのです。
* * * * *
以上のように考えてくると、
自分の自我意識が、この世界に存在できたのは、私たち一個人にとって最大の奇跡であ
ると言わざるを得ません。
なぜなら上で述べたように、自分の自我意識が存在できるためには、無限の時間と、無
数のプロセス(過程)と、無数の偶然と必然の積み重(かさ)ねが絶対に必要だったから
です。そして、それらのどれ1つが欠けても、自分の自我意識は絶対に存在できなかった
からです。
ところで・・・ 序章で述べましたが、「神とは、 “存在させる働き” つまり “存在の
肯定” すなわち “愛” である」と、私は神を定義しています。
つまり私の定義では、「神」とは「存在させる働き」であり、「この世界のすべて」を
「存在させる働き」として、神は存在しているのです。
従って、なぜ自分の自我意識が存在するのか、その具体的な理由はまったく不可解で説
明は不可能であるけれども、「自分の自我意識を存在させる働き」をしているのは確かに
「神」であり、自分の自我意識が存在するのも「神の御業」に他(ほか)なりません。
ゆえに、「自分の自我意識が存在する」という絶対に疑うことのできない事実は、それ
ぞれ一個人にとって、最大の「神の御業」であるとしか考えられないのです。
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