神の御業 24
2026年1月18日 寺岡克哉
24章 科学の進歩 1
この章から、「科学」というものが一体どのようにして進歩してきたかのについて、見
て行きたいと思います。
ところで「科学」とは、自然界や宇宙、生命、人間の行動などについての知識を追求す
るための、方法やプロセス(過程)をいいます。このような科学は、観察、実験、推測、
検証、理論の構築といった手順を用(もち)いて、自然現象にたいする人類の理解を深め
ることを、その目的としています。
人類は、これまで「科学」を進歩させることにより、他の動物には及びもつかない発展
を遂(と)げてきました。たとえば地球から飛び出して、宇宙に進出する可能性を持つの
も、地球の生物では人類だけです。
このように人類は、科学を進歩させ、それを利用することが可能な生物として進化しま
した。それはまさに、「神の御業」であるとしか私には考えられないのです。
* * * * *
さて、まず科学の起源についてですが、じつは科学に明確な単一の起源はないと言われ
ています。つまり科学的な思考は、数万年の歳月をかけて徐々に発展し、さまざまな形で
世界各地に発生したと考えられています。そのため科学における最初期の発展については、
ほとんど詳細が明かされておらず、先史時代の科学では、宗教的な儀式を執(と)り行う
女性が中心的な役割を果たしていた可能性も高いと考えられています。
科学的なプロセスの直接的な証拠は、古代のエジプトやメソポタミアなどの初期文明で
文字が発明され、およそ5000年前から3200年前ごろに、科学史上における最古の
文書記録が作成されたことで明確になりました。
当時は「科学」や「自然」という言葉や概念は存在しませんでしたが、古代のエジプト
人とメソポタミア人は、のちにギリシアの科学で重要な位置を占めることになる数学や天
文学、医学などの分野で業績を残しました。
前者の古代エジプト人は、およそ5000年前から十進法の数字を発展させ、幾何学
(きかがく)を用いて実用的な問題を解決し、暦(れき)を発明しました。また、彼らの
医学的治療法には薬物療法に加えて、祈りや呪文(じゅもん)および儀式などの超自然的
なものも含まれていました。
一方、後者の古代メソポタミア人は、さまざまな天然化学物質の特性に関する知識を、
陶器やガラス、石鹸(せっけん)、金属、漆喰(しっくい)、および防水材の製造などに活
用しました。また、占いのために占星術や動物の生理学・解剖学・行動学などの研究も行っ
ていました。
メソポタミア人は、とくに医学に強い関心を持っていたみたいで、ウル第三王朝時代に
シュメール語で書かれた最古の処方箋(しょほうせん)の記録が残っています。しかしな
がら、単純に知的好奇心を満たすことにはほとんど関心がなかったみたいで、明らかに実
用性があるか、あるいは彼らの宗教・信仰に関係する科学的主題のみが研究されたと考え
られています。
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その後、2600年前ごろから2200年前ごろにかけて、古代エジプトとメソポタミ
アの科学の成果を受けつぎ、それを土台にして科学をさらに発展させたのがギリシャでし
た。
まず2600年前ごろのギリシャに生まれた、初期の自然哲学の学派である「ミトレス
学派」の哲学者たちは、超自然的な宗教的概念に頼(たよ)らずに自然現象を説明しよう
と試みた最初の人々でした。
この学派はタレス(紀元前624年頃~紀元前546年頃)によって創始され、のちにアナ
クシマンドロス(紀元前610年頃~紀元前546年)とアナクシメネス(紀元前585年~紀
元前525年)によって受け継がれました。
三平方の定理(直角三角形の一番長い辺の2乗は、他の2辺の、2乗の和に等しいと
いう定理)で有名なピタゴラス(紀元前582年~紀元前496年)は、学派を創設して複雑
な数理哲学を発展させ、数学の発展に大きく貢献しました。
レウキッポス(生没年不詳、紀元前440年~430年頃に活動)と、その弟子であるデモ
クリトス(紀元前460年頃~紀元前370年頃)は、原子論(物質の根源には、目に見えな
い、それ以上分割することのできない「原子」が存在するという考え方)を提唱しまし
た。
その後、エピクロス(紀元前341年頃~紀元前270年)は、この原子論に基づいて「万
物は原子と空虚から構成される」とし、科学的な宇宙論を発展させました。
ヒポクラテス(紀元前460年頃~紀元前375年頃)は、医学を原始的な迷信や呪術から
切り離し、臨床と観察を重んじる経験科学へと発展させたことにより、「医学の父」とし
て知られるようになりました。
アリストテレス(紀元前384年~紀元前322年)は、自然学、倫理学、政治学、文学など、
非常に幅広い分野で活躍したことから「万学の祖」と呼ばれました。
アリスタルコス(紀元前310年~紀元前230年頃)は、「宇宙の中心には太陽が位置し、地
球は自転していて、地球や地球以外の惑星は太陽の周りを回っている」とする「地動説」
を世界で最初に唱えました。
しかしながら2300年前の当時において、アリスタルコスが提唱した地動説は物理法
則に反していると考えられたため、広く拒否されてしまいました。その代わりにプトレマ
イオス(83年頃~168年頃)が提唱した、地球を中心とする「天動説」というのが、その
後長く支持されることになりました。
アルキメデス(紀元前287年頃から紀元前212年頃)は、微分・積分学の始まりに大き
く貢献しました。
エラトステネス(紀元前275年頃~紀元前194年頃)は、地球が球体であると仮定して、
その円周がおよそ4万6000キロメートルであると推定しました。
現代の測定でも地球の円周は4万キロメートルとされていますから、エラトステネスが
求めた値は、2200年前の当時としては驚異的な正確さだったと言わざるを得ません。
ローマの著述家・博学者である大プリニウス(23年~79年)は、後世に多大な影響を
及ぼした百科事典「博物誌」を著(あらわ)しました。
以上のように、すでに古代ギリシャの時代において、原子論、微分積分、地動説、地球
の大きさの推定など、じつに驚異的な科学的成果が多く残されていたのです。
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申し訳ありませんが、この続きは次の章でやりたいと思います。
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