神の御業 20
2025年12月21日 寺岡克哉
20章 農耕の獲得
人類は「農耕(のうこう)」という方法を手に入れて、さらなる進歩や発展を遂(と)げ
てきました。つまり、それ以前までは狩猟(しゅりょう)や採集にたよっていた食料の入
手が、農耕によって計画的に食料を生産することが可能になり、それが社会構造に変化を
もたらして、文明の発達が始まったのです。
ちなみに「農耕」とは、多くの人々に食物を供給するために、田んぼや畑に種子や苗な
どを植え、それを育てて、継続的に食料生産を行っていく営(いとな)みのことをいいま
す。
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ところで、人類が農耕を獲得したのは、一体いつ頃なのでしょう?
農耕の発生については諸説あるみたいですが、その中でもいちばん早い時期とされてい
るのは、イスラエルのガリラヤ湖岸において2万3000年前の、ムギ類を育てていた農
耕の痕跡です。
また、一般的にいちばん良く知られている説は、いわゆる「肥沃(ひよく)な三日月地
帯」とよばれる地域で、およそ9000年前に人類最初の農耕が始まったというものです。
この「肥沃な三日月地帯」とは、西アジアからエジプト北部にかけて広がる弓状の地域で、
現在の国名でいえば、イラク、シリア、レバノン、パレスチナ、エジプトなどが含まれま
す。
当然ですが、現在において農耕は世界中で行われています。が、しかしそれは「肥沃な
三日月地帯」から世界に広がったわけではなく、中国、アフリカ、ニューギニア島、アメ
リカなどの各地で、それぞれ個別に、しかも独自に農耕が始まったと考えられています。
中国では、およそ1万2000年前ごろから、揚子江(長江)の流域で米の栽培が開始
されました。
アフリカでは、およそ7000年前ごろまでに、サヘル(サハラ砂漠の周辺地域)でモ
ロコシ(イネ科の植物でソルガムとも呼ばれる)の栽培が開始されました。
ニューギニア島では、およそ9000年前ごろに、サトウキビやイモ類の栽培が開始さ
れました。またパプアニューギニアでは、1万年前~7000年前ごろにかけて、すでに
交配されたバナナが収穫されていたといいます。
アメリカ大陸では、およそ7200年前ごろに、トウモロコシ、キャッサバ、クズウコ
ンが農作物として栽培されるようになったとされています。また、南アメリカのアンデス
地方では、1万年前~7000年前ごろにかけて、インゲンマメ類やジャガイモの栽培が
始まったとされています。
このように、複数の場所で個別に独立して農耕が始まったのは、すでに人類が進化によっ
て「農耕が行える能力」を獲得していたからではないかと、私は思っています。
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ところで人類の祖先は、およそ700万年前に類人猿(チンパンジーとの共通の祖先)
から分岐したあと、そのほとんどの長い間、狩猟や採集などによって食料を得てきました。
が、しかし突如として人類は、およそ1万年前に新しく農耕を始めたのです。その理由の
一つとして、「食料難」が原因だったのではないかと考えられています。
つまり農耕が始まった時期は、氷河期(最終氷期)が終わったことにともなう気候変動
(急激な温暖化と、それによって融(と)けだした氷河からの冷たい水が海水温を下げた
ことによる、一時的な寒冷化への揺りもどし)が続いた時期と重なっています。
この気候変動によって、従来通りの狩猟採集による食料の確保が困難になったことが、
農耕を始めるきっかけになったと考えられているのです。
人類は農耕を獲得したことにより、食料を計画的に大量にしかも安定に生産することが
可能になりました。
そして食料の大量安定供給により、もはや食料生産に関わらない人々をも養うことが可
能になり、商業や工業などに従事する人々が現れて、人類の社会構造が大きく拡大しまし
た。そして、ものすごく多くの人々が定住して社会生活を営むようになったのです。
さらには、作物の管理や分配のための計算や、気候の変化と農作業の日程を知るための
暦法(天文学)、農地管理のための測量などが必要になり、これらが数学の基礎となりま
した。
ところで農耕を行うには、大量の水が必要であり、その管理も必要になります。そのた
め農地として多くの場合は、河川周辺などの定期的に水の供給が得られる場所が選ばれる
ことになりました。
世界四大文明(メソポタミア、エジプト、インダス、 中国)などの古代都市文明も、
農耕を基礎においており、大きな河川の流域で大いに発展しました。そして政治や経済が
発達し、ついには「国家の誕生」へと至るのです。
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以上ここまで、人類が農耕を獲得した経緯について見てきました。
上でも述べましたが、農耕が世界の各所で独自に始まったという事実は、すでに人類は
進化によって、「農耕が行える能力」を獲得していたことを表わしているように、私には
思えてなりません。
そして、そのような人類進化を歩んでこれた背景には、さまざまな自然現象や因果関係
や偶然や必然が、無数に働いてきたに違いありません。そのことに対して私は、「神の御業」
というのを感じないではいられないのです。
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