以前の考察との比較検討
                                2025年7月27日 寺岡克哉


 以前に書いたエッセイ1210では、「神とは、この世界そのものである」と定義して
いました。が、しかし、前々回のエッセイ1218において、「神とは、 “存在させる働
き” つまり “存在の肯定” すなわち “愛” である」と定義を変更しました。
 そのため、これまで行ってきた考察についても、変更があるのかないのか、いろいろと
比較し、検討する必要が生じてしまいました。

 今回は、それについて書いて行きたいと思います。

              * * * * *

 まずエッセイ1210で、「神」というのは、この世界を超越して「この世界の外」に
存在するのか、それとも「この世界の内」に存在するのかという考察をしました。

 これについて、以前の「神とは、この世界そのもの」という定義では、もちろん神は
「この世界の内」に存在します。

 そして一方、「神とは、 “存在させる働き” つまり “存在の肯定” すなわち “愛” である」
という新たな定義においても、神は「この世界の内」に存在しなければなりません。
 なぜなら、神とは「存在させる働き」のことですが、この「存在させる働き」というの
は、間違いなく「この世界」に対して働いているからです。というのは、「存在させる働
き」が「この世界」に対して働いていなかったら、この世界が存在するはずがないからで
す。

 ゆえに「存在させる働き」は、「この世界の内」に存在しなければならないのです。
 なぜなら、もしも「存在させる働き」が、「この世界の外」つまり「この世界」から完
全に隔絶された「完全別世界」に存在するならば、そのような完全別世界からは、いかな
る働きも、「この世界」に対して及ぼせるわけがないからです。
 そしてもしも、「この世界の外」から「この世界」に対して何らかの「働き」が及ぼせ
るというのならば、それはもはや完全別世界ではなく、その「働き」を通して「この世界」
と因果関係をもつ「この世界の内」なのであり、決して「この世界の外」ではないのです。

 ゆえに、「存在させる働き」である神は、「この世界の内」に存在すると結論されます。
 神は、「この世界の根源」として、「この世界の内」に在り、つねに「この世界」と共に
在るのです。

              * * * * *

 つぎにエッセイ1210では、「この世界に存在する個々のもの全て」が、「神の一部」
であるという考察をしました。

 これについて、以前の「神とは、この世界そのもの」という定義では、もちろん「この
世界に存在する個々のもの全て」は「この世界の一部」であるから、「この世界そのもの
である神の一部」であるのは自明です。

 そして一方、「神とは、 “存在させる働き” つまり “存在の肯定” すなわち “愛” である」
という新たな定義においても、「この世界に存在する個々のもの全て」が、神の一部であ
るという結論になります。
 なぜなら、「この世界に存在する個々のもの全て」が、「時間的な因果関係」や「構成
要素的な因果関係」によって、この世界を「存在させる働きの一部」となっているからで
す。そしてそれは、「神の一部」となっているのに他ならないからです。

 ここで「時間的な因果関係」とは、過去の原因が、現在の結果を存在させているという
因果関係です。
 たとえば、およそ140億年前に起こった「ビッグバン(宇宙の始まりである大爆発)」
のエネルギーから「物質」が作られ、それらの物質が集まって恒星や惑星が作られ、その
惑星の一つである地球に「生命」が誕生し、その生命が進化して人類が出現すると言った
ように、「過去の原因」は「現在の結果」を「存在させる働き」をしています。
 従って、「過去の」この世界に存在した個々のもの一つ一つ全てが、「現在の」この世
界を「存在させる働き」の一部となっているから、「神」の一部となっているわけです。
そしてそれは、現在から未来に対して考えても同様です。
 ゆえに、「この世界に存在する個々のもの全て」は、時間的な因果関係によって、この
世界を「存在させる働きの一部」となっており、従って「神の一部」となっているのです。

 そして一方、「構成要素的な因果関係」とは、あらゆるものが、それより下層の構成要
素によって存在しているという因果関係です。
 たとえば、陽子と中性子から「原子核」が形成され、原子核と電子から「原子」が形成
され、原子から様々な物質や生命や惑星や恒星が形成され、恒星から銀河が形成され、銀
河から銀河団が形成され、銀河団から「この宇宙」が形成されると言ったように、「下層
の構成要素」は「上層の構成要素」を「存在させる働き」をしています。
 従って、この世界に存在する個々のもの一つ一つ全てが、それより上層の構成要素を
「存在させる働き」の一部となっているから、「神」の一部となっているわけです。
 ゆえに、「この世界に存在する個々のもの全て」は、構成要素的な因果関係によって、
この世界を「存在させる働きの一部」となっており、従って「神の一部」となっているの
です。

 以上から、
 「神とは、 “存在させる働き” つまり “存在の肯定” すなわち “愛” である」という定義に
おいても、「この世界に存在する個々のもの全て」が、神の一部であると結論されます。

              * * * * *

 また、エッセイ1210の「神とは、この世界そのもの」という定義では、「この世界
に存在する個々のもの」には神が存在しないけれど、それらが集まり複雑に関係し合うこ
とによって「創発」という現象が起こり、神が創成されるという考え方をしました。

 しかし一方、「神とは、 “存在させる働き” つまり “存在の肯定” すなわち “愛” である」
という定義において、「この世界に存在する個々のもの」は、上で述べた因果関係によっ
て、この世界を「存在させる働きの一部」を担(にな)い実行しているから、「神の一部」
を担い実行しています。
 従って「この世界に存在する個々のもの」は、神そのものではないけれど、一部とはい
え神の働きを担い実行しているので、神性の一部を宿(やど)していると結論されます。

              * * * * *

 なお、前回のエッセイ1219で、この世界を存在させている、いちばん根源的で究極
的な存在は「愛」であると結論しましたが、愛は根源的な存在であると同時に、この世界
の全てに行きわたっているものでもあります。

 なぜなら、もしも「この世界に存在する個々のもの」に「それを存在させる働き」が働
いていなかったら、つまり「この世界に存在する個々のもの」の存在が肯定されていなかっ
たら、従って「この世界に存在する個々のもの」が愛されていなかったら、「この世界に
存在する個々のもの」は存在するはずがないからです。

 ゆえに、(愛そのものである)神は、あなたや私を含めた「この世界に存在する個々の
もの全て」を愛しているのです。

              * * * * *

 以上、ここまでの比較検討により、

 「神とは、この世界そのものである」という定義から、「神とは、 “存在させる働き”
つまり “存在の肯定” すなわち “愛” である」という定義に変更すると、
 「この世界に存在する個々のもの」が、神性を全く有していないか、一部とはいえ神性
を有しているかという、大きな違いが生じてしまいました。
 が、しかし、その他の考察については、あまり大きな違いが生じないことが確認でき
ました。

 最後になりましたが、「神の定義」がコロコロと変わることについて、お詫(わ)びし
ます。
 しかしながら、これまでの私の考察をふり返ってみると、「この世を、この様にしてい
るもの」から「この世界そのもの」そして「“存在させる働き” つまり “存在の肯定” すな
わち “愛”」へと、神の定義を変えてきましたが、それに伴(ともな)って「私が考える
本当の神」に近づいているという手ごたえを感じていますので、どうかご容赦ください。



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