受け止める愛         2004年6月20日 寺岡克哉


 前回のエッセイで「受けとる愛」のことを書いていたら、「受け止める愛」というのも
あることに気がつきました。

 前でお話した「受けとる愛」とは、相手の愛情や好意を拒絶したりせず、素直に
感謝して受けとるというものでした。
 しかし今回お話しようと思う「受け止める愛」とは、相手の愛情や好意を受けとる
だけでなく、それよりもさらに一歩進んで、相手の怒り、憎しみ、悲しみなどの
「ネガティブな感情」をも含めて、「相手の気持ちを受け止めてあげる」
という
愛なのです。

 「相手を受け入れる」ということには、「相手の好意を受けとること」と、「相手の
気持ちを受け止めること」の、二つの要素があるように思います。
 つまり一つは、相手の愛情、好意、善意、友好、援助などを、「ウザッタイ!」とか
「ありがた迷惑だ!」などと拒絶したりせず、素直に喜んで受けとってあげること。
 そしてもう一つは、相手の怒り、憎しみ、妬み、悲しみ、恐れ、不安などの「ネガ
ティブな感情」をも含めて、相手の気持ちを正面から受け止めてあげること。
 この二つがそろってはじめて、「本当に相手を受け入れること」になるような気が
します。

 ところで、「相手の気持ちを受け止める」とは、たとえば相手が怒りや憎しみを
発しているのに対し、自分も怒りや憎しみをもって相手にぶつけ返すことではあり
ません。
 また、相手の怒りや、恨みつらみや愚痴を、ただひたすら耐え忍んで聞き流す
ことでもありません。
 なんというか、あまりうまく説明できないのですが、「相手の気持ちをしっかりと理解
して受け止め、相手の気持ちを十分に納得させ、相手の怒りや憎しみや悲しみを
鎮めてあげる」と、いうような感じです。

 しかしながら、「相手の気持ちを受け止めること」は、「相手の好意を受けとること」
にもまして、とても難しいことです。
 なぜなら、心がよく鍛錬され、人格がしっかりとした人でないと、「相手の気持ちを
受け止めること」など、なかなか出来ることではないからです。
 広い心、奥深い心、寛容さ、忍耐力、相手の気持ちを的確に把握する理解力・・・
相手の気持ちを受け止めるためには、そのような能力が必要とされるのです。

 しかし、たとえそれが非常に難しいからと言って、「私には、相手の気持ちを受け
止めることなど、とても出来るわけがない!」と、投げ出してしまうわけには行きま
せん。
 各人が少しずつでも、そのような能力を身につけ、それを向上させて行くことは、
どうしても必要なのです。
 というのは、個々人の人格を成長させるためにも、また、住み良い社会を作って
行くためにも、それが大変に重要だからです。

 たとえば、普段おとなしい子供が突然にキレたりして精神が不安定になるのは、
親や周りの大人の、「子供を受け止める愛」や「子供を受け止める能力」が不足し
ているからではないでしょうか?

 また、私もあまり人のことは言えないのですが、現代人一般の気質としても、
 「自分の気持ちが、相手に受け止められなくてイライラすること」は多々ありますが、
 「相手の気持ちを受け止めてあげること」には、ほとんど関心が向いていないの
ではないでしょうか?
 そのような、一人ひとりの無意識に行われる言動が、知らず知らずのうちに住み
にくい世の中を作り出しているのだと思います。

 ところで今の世の中は、自己主張の強い人間だけが高く評価され、よく耐え忍ぶ
人間を見下すような風潮はないでしょうか?
 つまり、自己主張の強い人間だけが幅(はば)をきかせ、それを耐え忍ぶ人間に
対して、無限にしわ寄せを押しつけるような風潮はないでしょうか?
 そのような風潮が、「他人の言うことを聞けば自分が損をする!」という考え方を
蔓延させ、ひいては、「相手の気持ちを受け止めてやるなど、以ってのほか!」と
いうような考え方を、助長しているのではないでしょうか?

 「自己主張」から、「相手の気持ちを理解し、受け止めてあげること」へ。
 そのように、世間の価値観を変革する必要に迫られていると思います。
 (ただし、引っ込み思案な性格で何もかも人から押しつけられ、すべて自分で抱え
込んでしまうような人は、自己主張が正しく出来るようにするべきです。)

 ところで、「相手の気持ちを受け止めること」とは、自己主張のできない「精神的な
弱さ」の為せる業(わざ)ではありません。
 「相手の気持ちを受け止めること」は、自己主張にもまして、強い精神力とエネル
ギーが必要なのです。
 どれだけ多くの人間の「気持ちを受け止めること」が出来るのかによって、「その
人間の大きさ」が分かってしまうほどです。

 このように、「相手の気持ちを受け止めること」は、やはり大変に難しいことです。
 しかしながら、私も含めて各人が、相手の気持ちを少しでも受け止めてあげられ
るように努力しなければなりません。
 なぜなら、私たちが「人間として成長するため」にはそれが必要だし、また、社会
の雰囲気を変えるためにも、それより他に方法がないと思うからです。



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