愛は究極の真理
2025年7月20日 寺岡克哉
私は、以前に書いたエッセイ1213で、「愛すれば幸福!」というのが、それまで私
の人生で発見した、最大で最高の真理であると述べました。
なぜなら、この真理にたいして、「外的な状況」はいっさい関係がないからです。つま
り、お金が無くて貧乏であっても、病気を患(わずら)っていても、身体障害があって五
体満足でなくても、家族や友人がいなくて一人ぼっちであっても、さらには自分の死に直
面しているときでさえ、「愛すれば幸福!」という真理は、まったく揺(ゆ)らぐことが
ないからです。
その反対に、何億円もの金を持っていても、健康で五体満足であっても、家族や友人た
ちに囲まれて賑(にぎ)やかに暮らしていても、安全が保障されて命の危険がなくも・・
・そんな理想的な状況にあっても、怒りや憎しみ、妬(ねた)みなどの感情につよく駆ら
れていれば、それは「不幸」以外の何ものでもないのです。
このように、「愛すれば幸福!」という真理にたいして、「外的な状況」はいっさい関
係がありません。お金が有っても無くても、体が健康であってもなくても、五体満足であっ
てもなくても、命の危険があってもなくても、「愛すれば幸福!」なのです。
ゆえに、どんな状況の人でも、愛すれば幸福になることができます。
つまり「愛すれば幸福!」という真理は、原理的に、どんな人でも幸福になれる真理で
あり、どんな人でも救われる真理なのです。
ところで、「愛すれば幸福!」という真理においては、愛する対象を選びません。
つまり、人(恋人、家族、友人など)でも、組織(会社、クラブ、国家など)でも、仕
事でも、趣味でも、とにかく何か一つでも「愛するもの」を持つことができれば幸福が得
られます。
しかしながら、人や組織、仕事、趣味などは、いつか失ってしまう可能性がゼロではあ
りません。そして、もしも「愛するもの」を失ってしまったら、ものすごく大きな不幸に
見舞われてしまいます。
また、「ある一つのもの」を愛せば、別のものに対して怒り、憎んでしまう可能性もあ
ります。
たとえば、ある人を愛せば、その愛する人に敵対する者に対して、怒りや憎しみの感情
が起こってしまうでしょう。
また例えば、ある国家を愛する人は、その国家に敵対する国に対して怒り、憎んでしま
うことでしょう。
そして怒りや憎しみに駆(か)られるのは、やはり不幸以外の何ものでもありません。
従って、最も完璧(かんぺき)で、絶対に失うことがなく、怒りや憎しみに決して駆ら
れることがない幸福を得るため。つまり、不幸を絶対に招くことがない「完全でゆるぎな
い幸福」を得るためには、「ある一つのもの」を愛するのではなく、「この世界のすべて」
を愛するしかないのです。
(この辺の詳しい話は、エッセイ1213を参照して下さい。)
* * * * *
ところでまた、前々回のエッセイ1218で述べたように、この世界を存在させている、
いちばん根源的で究極的な存在が「愛」でした。
なぜなら、「この世界」というのは無限の過去から存在し、無限の広さを持ち、無限の
数の宇宙を含み、無限の階層構造を持っており、これ以上は考えられないほど、とてつも
なく広大無辺なものですが、
しかしさらに、そのように広大無辺な「この世界」を存在させているのが、この世界を
「存在させる働き」つまり「存在の肯定」すなわち「愛」であり、その愛を存在させてい
るのも愛なので、この先どこまで追究しても「愛」しか存在しないからです。
ゆえに愛は、「この世界の根源」なのです。
* * * * *
いま上で述べたように、愛は「この世界の根源」ですが、それと同時に、愛は「この世
界の全てに行きわたっているもの」でもあります。
なぜなら、もしも「この世界に存在する個々のもの」に「それを存在させる働き」が働
いていなかったら、つまり「この世界に存在する個々のもの」の存在が肯定されていなかっ
たら、従って「この世界に存在する個々のもの」が愛されていなかったら、「この世界に
存在する個々のもの」は存在するはずがないからです。
ゆえに、「この世界に存在する個々のもの全て」は愛されているのであり、素粒子から
物質、生命、そして宇宙全体に至るまで、あまねく愛が行きわたっているのです。
* * * * *
以上から、
愛は、この世界の根源であり、
愛は、この世界の全てを存在させており、
愛は、この世界の全てに行きわたっており、
愛は、完全でゆるぎない幸福を与えるものだったのです。
私は、このことに気がついたとき、愛は最大で最高の真理を超えて、「愛こそが究極の
真理なのだ!」という結論に至(いた)り、ものすごく感動してしまいました。
つまり人間の知り得るかぎり、もっとも根源的な存在で、もっとも普遍的な存在で、もっ
とも大きな幸福を与えてくれる存在が、じつは「愛」だったわけです。
愛は究極の真理である。
これが、現在の私の知見における、最高の到達点なのです。
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